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瑞々しい感覚を忘れたくはないな、という話。

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瑞々しい感覚を、忘れたくはないな、という話。

朝スキッと起きれた日があったこと、誰かと語らいながらゆっくりとあじわって食事をするということ、疲れた体を湯船に浸せるだけのこころの余裕、太陽が傾いていくだけの様を綺麗だと思えること、目配せの意味が分かった瞬間。
―瑞々しさの尺度をどこに置くかは、その日のわたしの気分次第なんだけど。
乾いてない感覚をどこかに持っていたいな、と思う。(“持つ”というより、“見つける”の方が正しい気もする。)その感覚は近くにあっても、遠くにあるんでもいい。コンビニ弁当に見出してもいいし、誰かと台所に立った時に見出してもいい。太陽の光にも、たゆたう夜の闇にも、夏のまとわりつくような濡れた空気、体を駆け抜けてゆくような冴えた冬の空気、悲しいきもち、満ち足りた幸福感、あらゆるところにそれは見出せる。
―すべてはその時の私次第なんだけど。
とにかく今私は生きてるんだって、自信をもって言えるような感覚を、日々忘れたくないな、と思ったのだ。

愉快で陰鬱で、底抜けに明るいドブのような日々を、腐った美しい生活を、私は今生きている。


覚書。20200114.

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