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与えられていないものを与えるのは難しい。

自分が子供の頃に親から与えられていなかったものを、

我が子に与えるのはとても難しい。

(子育てに限らず、他者に対しても応用可能)

与えられたかったと思うものは全て、与えようとする際には、「想像の世界での理想」として作られている。

理想の愛情、理想の環境、理想の関係、理想の知識、理想の考え方。。

自分が得ていないものや、知り得ない体感を、

我が子にだけは与えてあげたいと思った時、

与えてもらいたかったという隠れた欲求に蓋をして、我が子に関わっている可能性がある。

例えば、愛に溢れた親子関係にしようと、

自分がほしかった理想の愛の形を、自分なりの方法で、一心に伝え関わっていくのだけれど、

もし、子どもがすんなり受け取ってくれない瞬間や、逆に過剰に求められる瞬間が、想定内を超えて長々と続くと、

奥底に大切にしまっておいた、本当は得たかったという欲求に触れられ、感情コントロールを複雑にする。

こんなに愛情をもって接しているのに、と理想と違う受け取り方にイライラが強まったり、

逆に、これ以上何を求めているの、どうしろというの、と、自分が得られなかった悲しい感情や、自分が欲しかった部分をつついてくる。

まるで自分の過去にある親との関係性のようだったり、

過去に反面教師で得ようとしたものだったり、

ほしかっけれど言い出せなかったものだったり、

もしくは、みたことすらないという事もあるかもしれません。

もし、他のママは苦なくやってるのに、自分はそれに耐えうる沸点が低いなと思う事があれば、

当たり前に得られていたかどうかを考えてみる事で、そもそも本来より高いハードルで頑張っている事の存在の有無を知る事ができます。

そして、それらの感情は、見えない悩みや苦しみとして自分を苦しめていきます。なぜなら、蓋をした欲求は、自分自身にさえ欲求ではないもののように見せて、蓋をしているとは気づかせないから。

それが愛情だった場合、自身が望むべきじゅうぶんな愛をうけとれていたら、ここに感情を揺さぶるハードルは存在しない。

苦なく与えられるものは、苦なく当たり前のように存在し受け取っていたもの。

自分になかったものを、子どもにどう捧げどう与えるか

それをうまく与えるためには、

与える方法より、自分を充分に満たす事。そう思っている自分がいるんだな、と許すことでもいい。

そして、与えたことによる、反応の期待値をもたないこと。

この軸があれば、たとえ知り得ることができなかった理想でも、我が子にぴったりの方法に変換して、心を揺らさずに与えることができるようになっていきます。

子どもが本当に与えてもらいたい形を、みつけられるようになるのです。

子育てを、洗脳にしないためにも、関係性において自らが起こす大革命。

「難しくて当然」のハードルの先で、共に味わい感じられた幸せや喜びは、

本来、自らを満たす作業で埋めようとしていた理想までも、かさ増しで満たしてくれます。

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