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【荒らさない学級経営】クラスに規律をもたらす教師の2つの武器

結論から言うと、目線と沈黙です


 目線とは、教師が目で何をみているか、です。沈黙とは、喋らないことです。どうしてこの2つが最強なのでしょうか。

目線で語るスキル

 目線がどうして最強なのか。それは、目線はこどもに合わせた言葉を子ども自身が勝手に受け取ることのできる最強のメッセージ伝達方法だからです。
 前提として、教師は指導者です。指導者ということは、こどもに指導をする立場ということ。
 当たり前の話ですが、指導者とはこどもを指導する立場の人間のことです。

 なら、何を指導するのか。
 教科指導と生活指導です。
 よくこの2つの指導が言われますが、もっと大きな視点でみると、「人間の在り方、心の在り方」を指し示し、導くのが教師の仕事です。
 人間ってなんだろう。人間はどうあるべきなのか。完璧でいいのか、適当でいいのか、適切でいいのか。忘れ物は? 返事は? 友達への接し方は? 食事に対してどう考えるのか。色々ありますが、そのような人間とはこういう生き方をするべき、というのを指し示すこと。これが教師に求められていると私は考えます。
 この意見に対しては様々反論はあるかと思いますが、私個人の指導観ですので(学習指導要領に書いているとか分からないです)、もし「あー、この人の考え方合わない。」と思ったらそっとブラウザを閉じてください。
 指導者としてこどもを教え導く立場にある。それなら、この目線で語るスキルをまず習得しましょう。

 具体的にはどういうことかというと、こどもを見る、ということです。
 言葉にすると難しいというか伝わりづらいんですが、こうとしか言いようがありません。わかりやすいように例を出します。

 例えば教師が「教科書を出しましょう」と指示をしたとき、出さない児童がいたとします。こういうときに、教科書を出すよう促す方法はたくさんあります。
・口にする「〇〇さん、教科書を出しましょう」
・口にする「あと〇〇人出していません」
・近くに行って教科書をとんとんと指差す
・教科書を素早く出した児童を褒めたり認めたりする
 発達段階や学年によって指導の仕方は様々です。ただ、実は目線を使うことで、これらのいわゆる「先生の注意」が必要なくなります。

 上記の指導方法の中で、ちょっと問題だなーって思うのが、「口すにする」という方法です。この方法は低学年では特に必要なことが多いですが、中・高学年になると名指しで注意されたり先生が小うるさく言葉にして注意したりするとそれだけでクラスの雰囲気が悪くなったり、子どもの意欲が減退する可能性があります。
 なぜなら、できている子からしたらいつもできているのにそのできていることを褒められず、注意ばかり聞かされているということになるからです。
 「先生はできている自分のことはどうでもよくて、できていない子ばかりを注目するんだな」「先生はできていて当たり前で、できていないことだけにしか興味がないんだな」と思われてしまう可能性があります。
 そうなると面倒で、「ちゃんとコツコツ頑張っている子」の気持ちが担任から離れていってしまう危険があります。学級経営において大きなマイナスになります。

 だから、本当は小うるさく注意することが大切なのではありません。小学校の先生のなかには、小うるさく注意することが自分の職務だと勘違いしている先生が、実は少なくありません。特に年配の先生に多いように思います(もちろんそうではない先生も多く知っています)。
 小うるさく注意されるのが嫌だからやらないようにしよう、という方法は、いわゆる「母親的なしつけ方」とでもいいましょうか。注意を何度もすることでこどもの行動を制御しようとしています。もちろん、それも行動を正す?ことに成功することもあるでしょうが、こどもの感情としてはどうでしょうか? 家では母親が頑張ってしつけをしますから、それは分かります。良いと思う。
 でも、小学校でも母親がいるような指導をされると、それはこどもにとってしんどいのではないでしょうか。だから、私はなるべくこどもに小うるさく注意する指導ではなく、「こどもが自発的に行動したい」と思うような投げかけをします。

 だいぶ話がそれてしまいましたが、言葉を使わずに、「目線で語る」ことができるようになるととてもラクです。

例)教科書を出しましょうと指示した。ぼーっとして聞いていない児童がいた。
⇨周りを見渡す。そして、ぼーっとしている子を見つめる。こどもがハッと気づいて周りを見て、教科書を出そうとする。それを確認した後、ニコッと微笑む。以上です。

 これだけのことです。でも効果は絶大です。
 ・先生に言われて教科書を出した
 ・自分で出さなきゃと思って教科書を出した
 この2つの行動は、結果は同じですが意味は全然違います。先生に言われて教科書を出したということは、ある意味強制された、ということになります。そこにこどもの自主性もないし、教師の権威性や強制力ばかりがあります。教師という上の立場のものからの命令に従うこども、そんな構図です。
 それは事実なんですが、でもやっぱり上下関係が際立ちすぎるとこどもは心情的に反発したくなります。
 だから、こどもが行動しなきゃ、と思わせるように仕向けることがポイントです。
 この場合は、教師はただ教科書を出していない児童をみていただけですが、児童は勝手に「出さないと…」と感じて出してくれます。つまり自分から出さないと、と感じたわけで、意志の出発点はこどもにあります。

 目線を使えるようになると、とてもいいことがあります。
 これは、注意や指摘だけではなく、承認や称賛にも使えます。
 目線で合図をすることもできるようになります。

 ぜひ、若手の先生方には、目線をうまく使えるようになってほしいと心から思っています。


沈黙で語るスキル

 沈黙とは、喋らないことです。やり方は単純で、指示を出したら沈黙。それだけです。
 沈黙しているということは教師の指示を完遂させるために待っている、ということです。このときに、児童がなにか不規則的な発言をしても、私は無視をします。
 なんなら、短く「先生は教科書の21ページを開いてください、と言いました」と一言伝えるだけにします。これもはっきりいって蛇足です。誰かが「開いたよせんせー!」とか、「まだー?」とか不規則発言をしても、放っておきます。

 その代わり、沈黙し、全員が教科書を出すまで他の行動をしません。これは指示を徹底するという意図があります。もう少しはっきりと申し上げると、「先生は指示を出したらそれが完了するまで徹底している」とこどもに感じさせることを狙っています。

 口うるさく「教科書を開きなさい!」と注意するのではなく、沈黙するだけでこどもは「あ、先生はなにかを待っている。きっと言ったことをみんなやるまで待っているんだ! みんなも待っている! 急がなきゃ!」とこどもが自発的に感じてくれて、好ましい行動を取ってくれるようになります。


目線×沈黙が最強すぎるチートスキル


 以上、2つの最強の武器をお伝えしました。そして最強すぎるチートスキルがあります。
 それは何かというと、「沈黙をしながら目線を使ってこどもをみる」というチートスキルです。これができるようになると最強です。

 指示を出したら、すぐに先生が話し出すんじゃなくて、黙る。
 そして目線を使ってできている子に合図を送ったり、できていない子をみたりする。こうして、一言も注意せず、沈黙の「気まずさ」をうまく使って指導ができるようになります。

 いつもこれをやる必要はないですが、必殺技として習得しておくと、いざというときにとても便利なスキルです。


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