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馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない

学校で子どもたちに指導をしていると、よくこういう場面があります。

例えば、姿勢良く座りましょう、と指導したとします。

その指導の瞬間は姿勢が良くなりますが、姿勢を維持することはできません。すぐに姿勢が崩れます。

先生の中には、そういうときに声を荒げて「姿勢よく座りなさいって言ったでしょ!」と叱る人がいます。

そうすると子どもたちはまた姿勢が良くなります。


この状態、指導が入った状態、でしょうか?

…いいえ、違いますね。

怖いから姿勢を正しただけ」です。

つまり、恐怖の感情を利用しただけなんです。

そうなると、恐怖を感じない場面ではどうなるか。

当然、姿勢を正さずに座ります。


指導が入ったように見えても、まがい物です。

子どもは「姿勢を良くすることが大切だ」と思って自ら姿勢を正したのではありません。

先生が怖いから、注意されたくないから、叱られたくないから、大声出されたくないから、嫌われたくないから…

だから姿勢を正しただけなんです。


でも、上記の指導をもって「指導力がある」と勘違いしている先生がいます。

一番は、指導した当の本人ですね。

目の前の子供達がビシッとするから、「私は指導力がある」と勘違いしてしまうのは無理もありません。

でも、よーくどんな事が起こっているか見てみると、

先生のいないところでは指導した内容は放っておかれている。

そんな状態ならば、あなたの指導は「入っていない」ことになります。


怒鳴ったり叱ったりして水を飲ませても、飲み込まない

人間は馬ではありませんから、きつく言われたら水を飲もうとしてくれます。

正しくは、水を口に含むところまではします。

ただ、その水をもし飲みたくなかったら、

先生のいないところで吐き出している。

そんな状態です。

子どもを水辺に連れていくことはできます。

でも、水を飲むかどうかは本人次第です。

最後の一番肝心なところ。

教育の目的である、「正しいと先生が思う行動を子どもにさせ、成果を得る」というところは、

子どもがハンドルを握っているわけです。


まぁ中には、盲目的に先生の言うことを聞いて、飲みたくもない水を自分からガブガブ飲む子もいるでしょう。

でも、本心では嫌がっている。

そういうのって、いつかどこかでほころぶ

それが、11月なんですよね。

この時期、子どもたちもどこか陰鬱としてきて

荒れてくる。

11月の荒れについては、

この記事を参照くださいませ。

荒れの原因は様々ですが、今まで黙って水を飲んでいた子どもたちが、黙らずに反旗を翻し始める時期だってことです。

そりゃあ喉も乾いていないのに、水を飲みたくはない。

いくら熱中症を予防するからって、寒くなってきたこの時期に喉は乾かない。

でも、「正しいと先生が思うこと」を子どもに押し付けることで

子ども自身が矛盾した存在になっていってしまう

自分は飲みたくないのに、飲み続ける状態。

その矛盾した状態に我慢できなくなる時が、11月です。

この時期、今まで問題のなかった子が突然色々な問題を起こし始める

そういう子って、多くの場合は「飲みたくもない水を飲みすぎて腹痛を起こした状態」なんですね。

だから、そういう子に対する対処法は、

まず「水を飲むのをやめること」です。
先生の言うことばかりを聞いて、やりたくもないことをやり続けるのをやめること。
そして、自分が今したいこと、自分が本当に思っていることをしっかりと出し尽くすこと。

それが、今まで先生の言うとおりにして、いい子にして我慢してきた子への、治療となります。


子どもへの指導の目的を見失わないようにする

先生が指導する意味。

それは、子どもが成長することを後押しすることなんですよね。

だから、先生の役割は水を無理やり飲ませることじゃないと私は思います。

水辺に連れていくところまでが先生の役割。

そして、その水を飲むかどうかは、本人に委ねるべきです。

「それじゃ指導は入らないじゃないか」そうです。

指導は入りません。

指導は入るものじゃなくて、「子どもが受け入れるもの」です。

子どもが主体的に先生が指導したことを「受け入れる」

そうすることで初めて、結果としてよい成果が目に見えるんです。

でもね

だからって先生は無力なんて思わなくていいんですよ。

あなたの指導が受け入れられる日は、「すぐ」じゃないかもしれないだけです。

あなたの指導は、いつか子どもの心の中で場所を占め

「あのときに先生が言っていたのはこういうことだったのか」と気づいてくれるときが来ます。

だから、子どもたちが実際に変容しなかったとしても、あなたの指導は無意味じゃない。

ちゃんと水辺に連れていき

「水が美味しそうだね」
「水を飲むと体にいいんだよ」
「喉が乾いたら飲みなさい」
「飲みたくなったら飲みなさい」
「水は美味しくなくても、ジュースなら美味しいかもね」

などと、手を変え品を変え、水っていいよと伝えながら

子どもがその水を飲むための支援をし続ける。

それが、私達先生の職人技なんじゃないかなって思います。

子どもに指導するのは、あなたのメンツを保つためじゃない。

あなたの世間体を保つためじゃない。

あなたのステータスとは関係がない。

あなたの指導力を誇示するための道具じゃない。

指導は、子どもの成長のためです。

成長するかどうかは、

促した数✕多角的な価値の伝達✕その子のやる気

です。

私達にできることは、

促し続けること。

そして、指導する事柄の意味を多角的に伝えること。

そして、子どもがやる気になるまで信じて待つこと。

以上です。


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