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植物と昆虫

植物を毎日見ているのですが、
やっぱりいいですね。

ほんのわずかな時間の差で
光の当たり具合、
風だけでも、毎回違うように見える。

気が付かないだけで、
植物は成長している。

ちょっと歩くだけでも、
様々な植物が生えており、
不思議と引き込まれる。


嫌われている雑草の代表ともいえそうなものですが、

結構きれいです。
あちこちに生えていますが、
種の量が多い。

よく生えているのは、
大量の種まきをしているだけです。

自然農法の鉄則ですね。

このような、嫌われている
草であっても、
よく見ると、独特の色、形です。


タケノコ
フジ
名前は分かりませんが、
青や紫のものは多いです。

野草で楽しむ、
決して特別なものではないけど、

何だか見ていると気分
が良くなってくる。

レンゲ
アザミはほんの数日で
青葉がとげとげしく変化。


何か動いたと思ったら、蛇。
たぶん、アオダイショウだと思う。

ヘビがカエルを食べている様子を
見たことがありますが、

蛇はイタチやワシ、トンビなどに
よくやられてます。

生まれて大人になれる蛇は
どのくらいだろうか。

ヘビは見慣れると、どことなく
かわいらしく思えてもくる。

ヘビを飼う人もいるそうだけど、
その気持ちが少しわかる
気がします。

スーッと流れるように
きれいに動く。

手も足もないのにどうやって
動かしているんだろうか。


植物や昆虫、野鳥は
毎日見かけるもので、
特別なものではない。

でもなぜか惹かれてしまう。
そして飽きない。

毎日見ても飽きない、

ということはずっと
続けていけそうなことです。

クローバーとチョウ

何だか美術館などの
特別展に行かなくても、

クラシックコンサートに
行かなくても、

自然に触れるだけで十分な
気がしてきます。

写真をたくさんとってますが、
音や匂いは撮れない。

野鳥の声や
新緑やヒノキ、また森の
独特のいい香りもしてきます。

蜂の羽の音、
風の音や空気の味もしていて、

気がつけば、あっという間に1時間くらいは経過している。



ススキ。
小さなカミキリムシ
時々見かける野草
不明
クモも美しく見える。
フジの花
糸トンボ
赤い新芽も
仲が良さそうなチョウ
トンボ
ススキも
秋から春まで種まきしています。
これだけでも、もう芸術以上かも。


畑にもいろいろな生き物がいて、
単純な作業でも、退屈することがない。

最近、よく聞こえてくるのは、
ウグイスの鳴き声。

興味深いのは、ほんの一月前だと、
下手な鳴き声が多かったのが、

最近は、とてもうまく
鳴いているウグイスが目立つ。

ウグイスは鳴き方を練習して、
上手くなったのかもしれません。

音の写真は撮れないのですが、

鳥の鳴き声ほど、澄み切った音って
あるのだろうか。

野鳥の鳴き声が聞こえてきますが、
ウグイスは
簡単に見つけられない。


春にメジロはよく見かけたけど、
またウグイスもそのうちに。

見かけるチョウの種類は
最近は増えてきました。
色、形、模様、
デザイン、どれも完璧。

線香花火のようにも見える。

見てて無条件にきれいか
何か良い気分になる植物や昆虫。

美術館もいいけど、
ふらっと野山を歩きまわるだけで
結構楽しめます。


気分よく過ごすためには、
自然はもはや必須に
思えてきました。

猫は最近よく脱走します。ほんの少しの隙があれば、外にいく。

木に登ったり、草など食べたり。
本心は外で思いっきり
遊びたいようです。

帰ってくるとはいえ、
何とか脱走は防ぎたいところ。

ただ思うのは、
猫やきっと他の動物も
そうかもしれないけど、

無条件に楽しませてくれる。
どんなに忙しく、大変であっても、

悲しい時ですら、
つい笑ってしまう。

たとえば、エアコンの上に登り、
天井に穴をあける。

外に抜け出し、モグラを捕まえて
家に戻ってくる。

過去に何度か、枕元に
モグラがいたときは、

本当、驚いたけど、
とにかく予想もつかない
行動をする。

夜中に急に皆で走り回ることも。
要は色々とおかしなこと、

考えも予想もしないことを
する猫を見れば、つい笑ってしまう。

何がそんなに面白いのか、といっても、
うまく表現ができない。

植物や昆虫も、言葉でうまく説明ができない、って思います。

ただ、猫にせよ、動植物、昆虫にせよ、
みて触れると何か良いものを
感じます。

写真を見れば、よりわかりやすいとは思うのですが、

実物を目の前にして、触れた方が、
断然良さはわかる。

不思議なのは、植物の良さを
目の前の人に話しても、
あまり通じない。

私の言語、表現力の無さも
あるのですが、

かといって仮に文章表現プロのような人に表現してもらったとしても、

おそらく言葉では、私が今見ている動植物の良さを伝えられるとは思えない。

でも、特に考えず、
無理に表現しようとせず、

適当な写真等を
見返してその時のことを
思い出す。

それでも写真と実物を
見ている時の心境は
同じではない。


薄っぺらい表現で表すとしたら、
自然や生き物はとにかくいい。

すごく良いもの、ってことです。

そして、心身に何かとても良い影響を
与えてくれる。

自然から離れれば離れるだけ、
何か乱れてくるように思う。

逆に、自然に触れる機会を持つだけで、
何か良いものを感じる。

何がいいのか、といえば、
きれいに見えて、気分良くなるから、
としか表現できない。

良い音、きれいな音、きれいな空気、
素朴な自然の味、
旬、朝日、日光、風、
今生えている植物、
鳥、生き物、などとにかく、自然のもの。

猫なら、無条件に笑わせてくれる効果がある、って思ったけど、

自然は無条件で気分を良くしてくれる、
気持ちを整えてくれるもの、
とも言える。

では乱すもの、って何かと言えば、
自然ではない、旬でない、

今見かけない植物、野菜、などかと。

先日、なせか贈り物で
色々とお菓子など頂いた。
そのなかに、ナスビが入っていました。

贈り物は嬉しいし、茄子も調理したら、美味しかった。

でも、今、私の住んでいるところで
茄子はない。
実っていない。まだ早い。

スーパーでは売っているのかも
しれない。

なすびって、今あるの?って聞けば、
普通に売っている、という。

そう言えば、トマトやきゅうりも
売っているのを
先日見かけた。

しかも、真っ直ぐに伸びた、
整ったサイズのきゅうり。

変だと思う、なんて言わないけど、
おかしいと思う。

そもそもきゅうりはないし、
大きさはバラバラ。

またきゅうりは多少は
曲がったりするもの。


売っているものが普通、
当たり前、ってことなら、

その当たり前に少しは疑問を
自分の中だけでも持とうと思う。

ナスビが今手に入るのが、
おかしい、なんて言う必要はないけど、

おかしいと自分の中で少し
思うくらいは自由。

旬は難しいわけではなく、
今、生えているものを
歩いてみるだけです。

畑を歩いてみるだけでも、
旬は見える。

今、私が住んできるところでは
四月に茄子やトマトは
ない。ミョウガもまだまだ早い。

旬のものではない。

もし、大量に旬でないもの
ばかりをたべると、

きっと何か乱れる、
かぜを引きやすくなる、体が
冷えるなど、何かが起こると思う。

あるいは、感覚が鈍くなるのかも
しれない。

大したことではないだろうけど、
小さなことの積み重ねは
良くも悪くも働くと思える。

栽培するより、買う方が楽。
また先日見かけたけど、

野菜がカット済みで
冷凍してあるものもあり。

これ、楽だなぁ、って思ったけど、
これだと包丁も使わない、

もしかして、鍋すら使わなくても、
ご飯ができてしまう、
なんて想像しました。

料理って、何をするか、
味付けはしないにしても、
手順や片付けなど、

段取りを色々と頭や体を
使うのですが、

体を使わない、ってどうなんだろう。

ふと思うのは、ただ歩いて
自然観察をするのは、

実は、外の空気を吸い、
少しの運動にもなる。

そして、花でも見て、
小さな感動もする。

体のあらゆる筋肉か
体全体を使っていると思う。

朝日を浴びると、心地よいし、
花を見ても心地がいい。

心地がいいを積み重ねれば、
きっと何かと良いんじゃないかと
思えてくる。

筋肉は使わないと減っていくし、
もしかしたら、感動する筋肉の
ようなものも

感動するようなことが
少なくなれば、
冷めていくのかも。

そのうちに無感動に
なるんじゃないだろうか、
って思えてくる。

となると、何気に朝起きて、外歩く。

自然を見て何かに心が動かされる、

散歩って大したことがないように
見えても、実は何かよいことの
積み重なりに思えてくる。

出てきたタケノコを見ると
小さな感動あり。

タケノコを掘るのは
大変な労働。

でやっぱり旬のものは
無条件でおいしい。

生えてくるものを
食べる。

至って単純なことだと思います。

夏野菜は体を冷やすし、
春には合わない。

となると、野菜は土に種を蒔いて
できた時に食べる。

場所と環境があるなら、
種まきして栽培することが
ベストだと思う。

何も考えていなかったけど、
旬の大切さは何となく
わかってきた。

少なくとも、何かおかしいことには
気がつけるようになってきました。

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