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「自分より若い人」の活躍を眺める世代に入っていた

今日の朝の「スッキリ」では
若者の間でバズった歌、「香水」を生み出した瑛太さんが出演していた。

実はちゃんと「香水」を聴いたとはその生出演ライブが初めてだったのだけれど、なんとびっくり、観終わって数十分後には自然と口ずさんでしまっていたのだ。中毒性の高い、癖になるメロディと歌詞だった。

そして更に驚くことに、この方は23歳だったのだ。同い年、いやもしかしたら学校であれば後輩なのかもしれない。

思えば、私が今応援しているYouTuberさんは昨日24歳(バッチリ同年代)の誕生日だったそうだ。毎週欠かさず観ているゲーム実況者グループのメンバーは22〜24歳だったし、惚れてしまいそうなほど美声だったあの歌い手さんはまだ18歳にもなってない。Twitterで素敵な二次創作をあげる絵師さんが、別で「学校の宿題終わってない💦」なんて呟いていることもよくある。
芸能界も同様、大好きな橋本環奈さんも、応援しているガールズグループNiziUのメンバーも、全員年下。
文化やスポーツでも、自分より若い人が注目されるのをよく見かけるようになった。

いつからだろう。
自分より若い世代の人を、見上げるようになったのは。
子供の頃は、その人がどの年代であれ「良い事をした大人」「人気な大人」「面白い大人」などと、とにかく「大人」で一括りできた。
みんな自分より長く生きていて、沢山の経験をしている。その中で何かを注目されるような事を成し遂げたから、テレビに映っている。話題になっている。そんな認識だったと思う。

でもだんだん自分が「大人」になっているのに、ちっともそれらしい事をしていないと気づいていく。
あっという間に二十代になり、学生ではなくなり、自分が「何者」なのか、所属や肩書きでしか説明できなくなった。
正直それらと今の自分に誇りを持っているわけでもないし、もしかつての同級生たちが目の前に現れたら怖気付いて逃げてしまうかもしれない。同窓会?もういいかな…。

そして今では自分の下の世代の人が活躍するのが当たり前になっていて、私は音楽や娯楽などの形で彼らから恩恵を受けている。
非常にありがたいし尊敬する反面、
チラッと鏡を覗いてはため息をついてしまう自分もいる。
私が適当にうじうじだらだら生きていた間、彼らはどれだけ頑張ってきたんだろう。なかには、かつて自分がやりたくてもできなかった事を生業にしている人もいるのに。
もっと身近なところで言えば、既に家庭を築いたり部下を持ったりして、誰かを支えて生きている人だってたくさんいるだろうに。
どうして自分には、それができなかったのだろう。

…こんな風に塞ぎ込んでいると、頭の片隅にある第二の自分が主張してくる。
「これから頑張れば良いじゃないか」「世間では私も若者」「そもそも人と比べてなんになる」「誰かに貢献したり注目されたりすることだけが全てじゃない」と。

たしかにそれもそうなんだ。
こんな事を考えたところで、結局私が「何者」になりたいのかすら分からないし。すぐにエネルギッシュに動けるような性格には変われない。打ち込める何かが見つかるわけでもない。

これからもきっと、自分より若い世代の人も含めた誰かに支えられながら、
ドラマでは主役になれないような人生を
、できるだけ美味しいとこ取りする事を考えながら、流されるように生きていくんだろうな。

…というか、そういう生き方をしちゃだめですか?

誰かが許してくれたとしても、自分が許せなくなるのかなぁ。

野乃

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