夕焼けや愛とはなにか問うてみる【自問自答】
なんの前触れもなく思い出した、高校の文芸部時代に創った夏の句。受賞歴なんてない、黒歴史として葬られたはずの句。なのになぜだろう。
当時なにを考えて、なにに悩んで、なにを想ってこれを詠んだのかは、もう思い出せないけど、ここでの「愛」は男女の間のものを指していたというのは覚えている。ちょうどややこしい恋愛に身を投じている時期だったはずだから。
あれから恐らく六、七年は過ぎた。恋愛経験を人並みに(?)積んで、大学では心理学を学んだ。なのに、結局その答えはよくわかっていない。
強いて答えるとすれば「無償であるのが愛」だろうか。ありきたりだけど。
恋愛関係なら、何気ないLINEのやりとりとか、相手へ想いを伝えることだとか、記念日にサプライズを考えることだとか。
自分がやりたいからやるならそれは「愛」に基づく行動ではなくて「恋」に基づくもの。もし相手から期待した反応が得られなくて悲しんでしまうなら、それはまだ「愛」ではない。
それと「〇〇だから相手が好き」というのも、きっと「愛」とは呼べないだろう、と思う。その「○○」をもし相手が失ったとき、心が離れてしまうなら。(相手が実はモラハラやDVをする人だったなど、危険に晒されるのであれば話は別だが)
相手が自分の思い通りになってくれなくても、期待したものを得られなくても、相手に幸せになってほしい。相手になにかしたい。
そんな想いが、きっと「愛」なんだと思っている。
………。
いや、ちょっと待てよ。
自分で書いていて、なんだか違和感がある。
たしかに、「相手に幸せになってほしい」「なにかしたい」という想いは「愛」に近しいものなんだと思う。
ただ、「自分の思い通りになってくれなくても」「期待したものを得られなくても」って。本当に、そんなにできた人間がいるものだろうか。
たとえば、「愛している」人と結婚したとして。
子供が生まれて自分は子育てで奮闘しているなか、相手はなにもせず休日は趣味のために出かけて、帰ってきた第一声が「夕飯まだー?」なんて言葉だったら。そんな相手を、「愛し」続けることはできるのだろうか。
少なくとも、今の私にはできない。
というか、自分が大変なときに助けてくれない相手に対して、「何かしてあげたい」なんて考えられるのだろうか。
なんだその神は。菩薩は。実在するものなのか。
……どうやら、さっきの答えはまだまだ不十分そうだ。
うまく言い表せないけれど、「愛」はもっと相互的なものなのかもしれない。それだけ付け加えておくとしよう。
さてさて…。
「愛」について自問自答してみたけれど、それに付随してもう一つ、自分に投げかけたい。
「愛したこと」はあるかい。
「愛されたこと」はあるかい。
…これも答えは出なさそうなので、今日はここまで。
野乃
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