僕は死なない

散文。

僕はいつも「散文」から始まっていたと思う。
今は、自分が何をしていたのかよく解っている。
けど、昔みたいに何でもは覚えていない。

自分が何をしていたのか、思い出話はだんだん出来なくなっている。
それは記憶力の老化かもしれないけど、それだけではないと思う。

これは
「それどころじゃない」
そんな事言ってる間もない、場合じゃない。それだけだ。

今を生きる事に必死。
まだ未熟で至らない僕だけど、日常を生きる僕らは毎日が命懸けだ。
自分の人生に責任を負わなければならない。
それに今思えば、自分だけの事を言っているだけなら楽だと思う。
世の中の大人は自分だけの責任や人生の為にだけで行動してない。
会社員なら会社の為、会社で働く同じ社員の人生や、その人たちの家族もいる。社会はすべてが繋がって成り立っている。
自分だけが良ければ事が済むと思っているのは子供か引き篭もりくらいだ。

今の僕は、昔と比べて真っ当に、自分の正しさや幸せに向かって生きていると思っている。当然、辛い現実にも向き合っている。

逃げろ、逃げるな、を地で行っている。

ロックは死なないと言うように、僕は死なない。
変わる事はある。生きているのだから、良くも悪くもとは言わない。
良いように僕は変わっていく。

・・

人間だから解からない。未来の事は分からない。
人間だから、所詮人間だから、されど人間なのだ。
良い時も悪い時もある。その時その時で生きる事は大変で必死だ。

それぞれに群像する事情がある。
多様性も多面性も俯瞰して見られるように、
そうやって僕は人や物事を見ていたい。

言いたい事は死ぬほどある。
言わない時もあるし、言ってしまう事もある。
「それも人間らしい」
と、言い訳みたいな事も言ってしまう。

それでも超えてはいけない、踏み外してはいけない線はある。
僕の中では正しいと思っている答えがあっても、それを人様が見れば「間違っている」と言われてしまう事もある。

それでも僕は死なないように、殺さないように。
自分も他人も大切にしたい。
物事の物語の感情や文脈や背景も大切にして生きていきたい。

今でも
「良い奴だな」
と言われたら嬉しいけど、僕はそんなにいい奴じゃないと思う。

見る人が誰と比べて僕を評価しているのか知らないけど、その誰かさんと比べたら、もしかしたら良い奴に見えるのかもしれない。
けど僕だって、やる事はやってる。色々あるさ。

一日が終わった時、それか何かってイライラして、怒鳴りたい、叫びたいような感情に我を忘れそうになることもあると思う。発狂してないだけだ。

今は僕は過去と比べて少なくなったように見えているのだろうか、見てもらえているのだろうか。人からの見え方だから僕が言える事では無いけど。

もし僕を好意的に見守ってくれている人がいるなら、その僕の応えは、僕が極力、俯瞰して見る事に必死だからだ。

・・・・・・

一日が終わっても
「まあ、いいか」
と言えない夜も多い。

何日経っても許せない事もあるし、どう考えても苛立ちが収まらない事だってある。けれど、それもどこかで話を着地させなければならないのだ。

振り上げた拳、矛を収める事は本当に難しい。

極力、全力で地に足つけて息をしようとしている。
今は何か憑き物が落ちたみたい。
それは初恋の時の終わりみたい。卒業式は卒業式だ。
人生の第三章は、まだこれからだ。一生続くのだ。

・・

僕は思う。
例え病気であったとしても、何かの問題や課題があって抱えている障害があったとしても。
本人がそれをそれとして、変わる気がなければ変わる事は一生絶対ない。

変えたいと心から思っていない人(奴)は変わらなくていい。
僕には関係ない。

一生、メンヘラおばさんで引き篭もっていればいい。
年金や手帳をもらって薬を飲みながら、
ヘラヘラと言い訳を、御託並べて生きていけるの人はそれでいい。
勝手にやっていればいい。

僕には関係ない。
関係ないから、僕も好きに勝手にさせてもらう。

僕の十年、二十年来の知り合いにも、そういう奴はいっぱいいる。
今でも変わらない、未だに何も変わっていないように見える奴は一生そうやって愚図っていればいい。

僕には一切、関係ないからな。

・・

話を変える。

僕は好きな事や作品以外も、そのオリジナルの速度で見る。

最近は「コスパ」や「タイパ」と言い、動画や作品を速度を変える人が多い。
何でもそうやって考える人がいるけど、その対象物によると思う。
それも個人の自由なんだろうけど、僕はそれを良いとは思わない。
僕も、情報だけのコンテンツは速度を変えるようになった。
1.25や1.5倍速で流したり、再生しながら仕事や作業している事も多い。

でも、音楽は当然変えない。格闘技の試合も変えない。ラジオの録音も変えない。映画も変えようとは思わない。出来れば変える事はしたくない。

そういう時代と言えばそういう時代なのだろう。
悪いとは思わない。浅いなとは思う。
他人の事は僕には関係ないけどね。

・・

物語の空気や間を楽しめない人。
物事の文脈が読めない人。

情報として結果だけしか楽しめない関心を持たない人。
そこに込められている想いを大切に出来ない人。
命懸けの瞬間を感じ取れない人。

・・

例え機械が発達しても、絶対にそれだけでは越えられないものがある。
再現できないものは、人間が命がけで創作する時に生まれる熱だ。
それと、人間が語る物語だ。
人生をかけた者が生む力や物語を機械では再現できないと僕は思っている。
作品に物語や背景が無いのだから共感することは無いと思う。

僕は生身の人間が生み出すもの以外の作品には共感しない。
人間らしさが無い物語には、感動も魅力も感じない。


・・

去年、僕が好きな格闘技の試合があって、結果だけを見て感想を発信した人がいるんだけど。僕はそういう人たちとは、そのことに関しては、一緒には楽しめないと思っている。

格闘技の試合というのは、人生を賭けて双方が殴り合いをして、そこで勝ちと負けが決まる。勝者は歓喜し、敗者は絶望をする。
そこにあるのは血だらけで満身創痍になりながら戦って、肉体をボロボロにし、血だらけになっている人間。

そこは音楽とは少し違うと思う。

音楽も人生を賭けてしている人もいるだろうし、生活が掛かっていて、色々な犠牲や代償を支払って音楽活動をしている人もいると思う。
良い悪い楽しい楽しくないだけで成り立たない、それが格闘技だ。

殴られる痛みを知らない人や殴られたことも無いのに、殴ること、殴られることが無い所から、余裕かまして偉そうにモノが言える人には解らないと思う。
僕は相手によって自分の言動や立ち振る舞いを大きく変える奴が嫌いだ。
安全圏から解かったように上から目線で語る人も嫌いだ。

他人事だから言える事もあるけど、それとは違う。
自己評価が高く、他人には否定的で厳しい物言いが出来る人が嫌いだ。

去年僕が感動した試合では、勝った者がリング上でプロポーズをし、観客やファンは祝福した。
その歓喜している部分だけを切り取って、情報だけを見て知って、分かったように、幸せエピソードのように感動して、それを「良かった」と発言している人を僕は「浅い人間」と言ってしまう。

そこに必死で全力で戦っている(生きている)人間がいて、努力しようが挫折や絶望を背負う者たちを見て、安易にそうに言える人は、人を感動させたり人に何かを届けられるような作品は生み出せないと僕は強く思っている。

別に音楽だから、格闘技だから、僕が好きな事だから偉そうに語っている訳じゃない。僕も好きじゃない事、興味が無い事には浅い見識で感想を述べてしまうだろう。

僕も見たくないというより、見れない作品はある。
興味が今は無くて、なかなか読むことが出来ない本もある。
それは僕にその力が無いのだと思っている。興味の有無で片付けない。

それは、自分にその才能や力量が足りてないだけだと思う。

自分の人生を賭けて何かを表現して形にして残す力はまだ少ないと思う。少ないから浅い物しか作れないし、遺せないのだと思う

・・

僕は今も変わらない、そんな僕も生きている。
これだけは重ねて言葉にして残す。

一日あれば色んなことがある。色々おもい考える事ばかりだ。

でも、僕は生き様はロックでありたい。
ロックスターに生かされたのだから、僕も同じような人間になりたい。

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