再構築する。自分の音
僕の日記は更新(追記)があります。
この日記も同じように数日間に編集をしています。
僕は日常会話でも言い間違い、言葉違いがあり、それを直さなければならないと思い、許可を得た上で、録音をすることもあります。
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「こうなりたくない」
「あんな大人になりたくない。」
そう思っていた頃。
まさか、自分がこんな人生になるとは思いもしなかった。
想像の斜め上どころか、全方向に全く別世界にいるような。
別人のような日常を僕は生きている。
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人間の脳は一時間前の事を、一時間後に70パーセント以上を忘れるようになっているらしい。
例えどんな幸せな瞬間や、忘れたくないと必死になって全力になって、何もかもすべてを捧げて賭けてそこで喪ったところで。
その瞬間は良い事も悪い事も瞬間的には覚えているだろうが、その全体像はほとんど消えている。
ロボットや機械じゃないんだから人間なのだから、そりゃそうだ。
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良いことがあったなと思っても、その時の記憶の全体像がすべて明確に覚えている訳ではない。些細な事は特に。だからカメラや写真を僕は取って残しておいた方が良いと今でも考えている。
決めたポーズや、「はい撮りますよ」なんてはしない。
プライバシーも、顔も出来るだけ写さない、写したくない。
でもその瞬間を切り取って忘れないように記録すれば、それはその人の生きた証。宝物になると思っている。
人生の追体験みたいなものだ。だから僕は後からああしておけばと言いたくないから、言いそうな事を避ける為に少し意識しすぎかもしれないが写真を撮るようにしている。
僕の写真は変わっているらしいから、変なのかもしれないけど、僕が残しておきたい形に寄り添う視点で切り取る。
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例えばあの時に人とすれ違って、その時にこんな事を思って、考えて、こういう事があって、信号待ちで、天気は普通で、風が強くて、気温は寒くて
「一月だもんな」
と言いながら、
「新年あけましておめでとうございます」
と偶然出会った人にあいさつをし、
「最近どう」
「色々ありますけど、何とか何とか生きてます。バタバタしてて」
と返し、僕は年末年始に
「みんなバタバタしててと言うけど、何してんだろう。ていうかバタバタしててって言う人って大抵何かメンタルが弱ってそうなんだよな。人の事言えないけど、なんかあるよな。」
と想っていた矢先の新年の挨拶だったなと。
通り過ぎた見覚えのあるまた別人が気になり、看板が新しく書き換えられていて、「まあ、わからん事はわからないままででいいんだよ」と深く考え過ぎないようにして。
どうしても空腹で回転すしに行くと入店時間のギリギリ前で、席になかなか通してもらえず僕はその店員さんの態度や言い方に気が立ち、「じゃあ日を改めます。すみません。また改めてきます」といい、はらわたは煮えくり返るほどではないが、限界一線超えそうなくらいストレスや苛立ちが重なった。
挙句、帰ってきてから母親と「もう終わり」「殺してやる」「死ね」となり、それから今日一日、殺意や悪意に冒されている。
薬は飲まない。飲んだって仕方がない訳ではないが、本意ではない。
気持ちよくも無い。楽しくも無い。何も問題は解決も、着地もしていない。
「ふざけんじゃねえ」と思う。
けど、それでもまた次から次へとやらなければいけない事が続く。
子供じゃないんだから、子供じゃないんだからといいながら。
でも僕のような人間は、もう全てを壊して無にしたい願望もある。
けど大人になったんだ。
僕がどけばいい。そこから僕が変わるか移動すればいい。なんでこっちがそこまでしなければいけないんだよと言いたいが、それは僕の一方的な勝手ないい分だ。
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聴きたい音楽が無い。今の自分に合わない。力にならない。
これが始まると、僕はまた落ちて行くけれど、残念なら安心して。
僕は強く賢くなろうとあの時から決めてしているだ。
2022年の10月に一通だけ返ってきた
「あなたも辛いのだなと思いました」のメールを偶然見てしまい、
ふざけんじゃねえ、てめえ今、どの面下げて、
事が済んだみたいに生きてんじゃねえぞと苛立ちをさらに強めた。
今日は戎まつり。
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気に入らない事がキリがない。
嫌でもやらなければ回っていかない、成り立たない。
合わせ鏡と反面教師、自業自得と因果応報。
俯瞰する力で冷静になれる。極力、地に足つけて落ち着いていたい。
身勝手な人も世の中には多いけれど、ぼくもその身勝手極まりない。
自分の思い通りの思い描いていた人生では無い。
道は遠いし、僕は今でも生きているが辛いし苦しい。
苛立つのは重なるからだ。イライラするし、嫌な事も、面倒な事も気持悪い事も、痛々しい至らない自分も全部がその時は悪く重なって我を忘れたり取り乱してしまう。
怒りとここでは言うが、もうこれは殺意しかない。悪意はない。
解っている。分かってはいるが、わっていたとしても、どうしようもない行き場のない怒りや感情が僕を壊していく。
それは悪い事なのだろうか。いや、悪い事だろう。
今日は昨日の夜から、殺意しか僕は内包していない。
だからといって、だからとてだ。
それが人間と言うか、大人と言うのか、社会の中で生きるという真理。
・・
僕はある時を境に「僕ら」とは言わなくなった。
僕らと言うのは僕が僕であるときの僕の口癖だ。
僕らという事で、僕は独りじゃない僕になろうとしている。
僕の声は、「幸せになりたい」「幸せになる為に」と叫んだ声は、愛だったのか、それとも何も解かっていない戯言で、そしてその声は、想いは気持ちはエゴでしかなかったのか。
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運命の啓示は
「僕が過去とこれからの未来の両方に頭と心が両方に向いて引っ張り合って自分で自分を決められずに立ち往生しているみたいだ」
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誰かと僕のパソコンのデータがあの時に飛んだと話をした。
バックアップも外付けも、すべてのデータが消去したという事だ。
僕は今は考えないようにしている。それは時と人間力で解決、腑に落とす。
僕が記録する事、写真を撮っているところで
「写真とか、こうやって記録は遺しておいた方が良いぞって」
「想い出とか生きた証みたいな奴、絶対後から問っておけばって思うから写真に撮ってるだけや」
「でも、それもこうやって撮ったところで、誰が見るねんってな。」
「こうやって写真に撮ったり、記録しようと形にしようとする事が何か僕は違うのかもな」
僕はそれをぐるぐる想いながら写真を撮るのも辞めた。
生きた証って、これが証になるのだろうかって。
僕の人生や生きた証、命やすべては、どこまでいっても僕だけの中のものだ。そこに気が付いてきたら、虚しさと同時に、また更に新しい考え方が見えてきた。
この録音やデータを誰が見て、それでどうなるのか。
誰が見てどう思うのか。
何の為に僕はやっているのか、何の為に僕がやっている事が誰の何になるのだ。人間はそういう者です。それでそれで流れ流れていくのでしょう。
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「魂の在り処」
この話を僕は永遠に死ぬまでするだろう。
安心できる自分の居場所について。
僕の為にしてくれた。
彼女も僕の運命の人だ。
愛する愛されるという事を、僕なんかの為に教えてくれた。
僕は、君の事を一生忘れずに最期まで行くから。
本当にありがとう。
いつか手紙か縁が繋がる事を僕は心から楽しみにしている。
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僕の手が震えていると、あの子は言った。
現実は小説よりも奇なり、だが、蓋を開けたところで誰にも解りやしない。
愛とは欲、性欲と色の違いを考えさせられた。ありがとう。
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世界一の僕の特別なお姫様が。
僕がライバルと呼びたいカッコいい彼らが。
僕の大好きで夢憧れる尊敬するロックスターが。
僕に限られた人生の中で、僕に時間や力をくれた。
それ以外にも僕は解っている。気が付いている。
解っていない事も気付いていない事もある事を僕は知っている。
今日の戎まつりで「大吉」を頂いた。
いいこと、とても嬉しいお言葉が書かれてあった。
今までとは違う内容だった。僕はいつも同じような内容が掛かれているのがお決まりだと思っていた。
書いては良くないのかもしれないけど、
正しくありなさいと書かれていた。
春には待ち人からの便りと出逢いがあると。
ただし、自分を正しく律していないと災いが起きる。と書かれています。
何を持って正しいというのだろうか。己の心が考えて判断するのだ。
今年は一人で、自分の為にお祭りに、参拝に来た。
今までは大切な人、あの人にと想い続けて、お守りもおみくじも、そうやってずっと生きてきた。
今年は僕一人だ。誰の事も気にはなるが気にしない。
今ある僕の力で、やるだけ。
僕は一年間で変わった訳じゃない。
僕は命を賭けて、人生に再構成(リビルド)をかけた。
漫画やドラマや映画のようなフィクションではない。
ノンフィクションとフィクションの間と言うなら、僕は誰よりもノンフィクションに近いから僕らしさと僕に共感や言葉を贈ってくれた人が多かったのだろう。
きっと。
今は痛い痛い、別世界の中。
それでも今日も今夜も僕は生きている。
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僕の狂う目、最期は決まっている。
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今日の僕へのおススメは「自己愛家族で生まれ育った人間たちの末路」だ。
僕が「幸せ」になれないのは僕だけの問題ではないが、僕の人生を語るのも最期を決めるのも自分自身なのだ。
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追記 2024.1.12
今日、ナンバーガールを聴いた。
今朝、偶然だった。
やっとナンバーガールが聞けた。
僕が生きるの時も、死にそうになる時も、ナンバーガールが僕の力になる。
ロックスターに生かされるのではなく、地力を信じて僕は生きる。
今の俺でも許さない。絶対に許さない。
許さない言葉を心の中で連呼して、振り切っている時も、僕は死なない気がする。それは解っているから。僕はこんな所で死ねない。
『NUM-HEAVYMETALLIC』
殺風景では無かったんだ。こんな時は、僕が一番聞いているのは殺風景なんだ。でも今朝、偶然流れてきたのはこのアルバムのInuziniだった。
一曲一曲聞いて、僕の中の考えや想いが変わっていく。
性的少女の次にあるのはFrustration In My Bloodだったんだ。
愛を知って、愛を知りなさい、愛を知るの、と言われて知ったような気になっているが、僕は僕の人生を生きていたい!
黒目がちな少女が流れてしまって、子供みたいにずぐってしまいそう、複雑な心境になりそう。落ち着くのが、冷静になるのが嫌だ、みたいな解ってしまっている僕だから、笑って澄まさない。苦笑いでも誤魔化さない。
そんな事を思いながら、流れてきたのが、永遠少女だった。
今でも僕はナンバーガールに生かされている。
ロックスターたちの音楽を僕は受け止めて自分に言い聞かせて、生きる力に帰る。
それは安易に命の話をしていない。
俺でも僕でも関係ない。
僕は僕だ。
こうやって時間が経てば、そうやって事が過ぎれば。
僕らはそれなりに生きて、何となく年老いていくのだと思う。
僕はもう一度 自分の命の金を賭ける。
それだけが言いたくて、銀行とコインランドリーから帰ってきた。
・・
追記 2024 1.12
命は重い。
重くも無いが軽くも無いというのは誤解がある。
人間は簡単には死なないが、思いも寄らない事やきっかけで命を落としたり無くなったりすると言いたい。
人間は思っている以上に強いとか弱いとか、そういうモノサシで話をしてしまうと変な感じがする。
もしかしたら明日、目が覚めずに死んでしまっているかもしれない。
この後、出掛けた時に車に轢かれるかもしれない。それは自分に過失があるのか、誰が悪いのかはあるけど、そこにあるのは「命」の有無でなんだと思う。
・・
今日、僕は怒りを収めた。
※
悪い言葉を使う事を、ここで詫びる。説明の為に使わせてもらいます。
今日、別の場所や別件で
「〇ね」「〇してやるからな」
という言葉が何度か自分も含めて使われた。
注意:そんな言葉を使う人は最低、そんな言葉使いする人いないと思う人は想像できないと思うから関わらないで欲しい。
これは言葉に囚われて先行せずに置き換えて欲しい。
それをしなければ、それしか選択肢はないのか?
それだけしか選択できないのか?
視野が狭くなるというよりも、自分が見ている視界がどれだけ狭いかを考えれば、自分の立ち位置や考え方は変われる気がする。
・・
僕はそこでふと思った。
「本当に死ぬことか?」
何度も心の中で考えた。本当に死ななければならない事か?
「殺してやる」
「殺すからな」と言われて、気が良い人間などいないと思う。
でも、それは内容や場面によって状況、事情は違うけれど、僕はそこに自分に置いて考える。
僕は、親を殺すか殺されるかしなければならない選択肢しかないのか?と。
自分に置き換えて考える。
場面場面、個々の事情は別として。
自分がそこに留まるか、むしろ、それよりもベスト(最善)の道や手は他にあるのではないだろうか。僕は考える。深く考えて見よう。俯瞰だ。
僕は自分の経験でしか想像が出来ない。
けれど、選択肢は増えるのではないだろうか。
今でも感情に左右されてしまう事は認める。
仕方がないと言うと言い訳に聞こえるだろう。
それで事が済むならまだいいのかもしれない。
でも、許されるかどうかも、考えなければならない。
それぞれの事情と言うのだから、絶対の正解(正義)は無い。
それぞれが、それぞれの思いや考えで動いている(生きている)。
ただそれだけ。
そう考えれば、人の動きなんてものは怖がって臆する事では無いのだ。
生きるか死ぬかのような極論の選択肢は可能性を狭める。
解っていると言いながら、分かっていると言いながら、どうしても人間だからと言ってしまうのを許してくれ。誰にって、自分自身と僕の中にいる僕を生かしてくれたすべてに、すべての人達に宛てて。
僕は極限まで人を見る。
出来るだけバランスを取って、僕の負担が大きくなり過ぎないように。
どこまでいっても僕の視点(個人の主観)でしか見ないけど。
極力、考えてあげる。
そうしよう。
僕は考えてあげよう。
僕や僕らや、君や、君たち、みんなの世界の為に自分の為に、考えてゆっくり物事を見て、僕は僕のしたい事をやり遂げよう。
今こうして書いている事はきっと明日になれば、少しは、少しはまた変わっているかもしれないけど、大丈夫。
僕は、悪いけど、ロックの申し子だから。
僕はアーティストにもプレイヤーにもなれなかったけど。
音楽の神様にリスナーとして愛されたからロックスターたちに出逢えた。
僕は解っている。僕は今、死ぬ運命じゃない。
僕は感情を込め、心をかける。
1・2・3・4!
本当は一緒に音楽を楽しみたいんだけど。
僕はこの線を超えるられるから。
ついて来れる人だけ。
一緒にいこう!
・・
僕は朝にナンバーガールが流れた瞬間からまた今日が始まった。
他人はそれを偶然と呼ぶだろう。けど、人は関係ない。
僕の物語は僕だけが知っていればいいとも思う。
本当は叫びたいし、伝えたい。
僕は圧倒的にナンバーガールが僕の人生のキッカケ、起点を生む。
そこから始まるんだ。
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