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鏡の夜 都でこころ 交わりて (中編)


宿から10分くらい歩いたところに、ひっそりと、そのお店はあった。

昔の日本家屋のような、深い茶色の木造の扉。

その茶色と決して混ざろうとせず、涼しげな顔でその空間を区切っている、薄い灰色をしたコンクリートの堅い壁。

照明は落ち着いている、というそれよりもさらにワントーン落としたような暗さ。


随所に置かれている年季のありそうな棚の上には、見たことのない表紙の小説や図鑑、食器やドライフラワーのような物が飾られていて、小さなギャラリーのような空間になっている。

その小さなギャラリーの右手の引き戸を開けると「お茶の間」になっていて、反対に、左手を開けると食事ができるスペースなんだと彼が小声で教えてくれた。

物音ひとつしないその狭い空間で、棚の上に置かれているそれらに手を触れるだけで、時間の重みが指先からずしり、と伝わってくる気がして、思わず大きく息を吐く。


その時、がらり、と引き戸が開き、いかにも割烹の料理人をしていそうな、
和服を着て凛々しい顔つきをした40代くらいの男性が顔を出した。

「食事はまだ準備中やから、それまで書庫でも見て待っとってください。」


書庫。


そのきらりと光る宝物のような響きに、胸が高鳴る。

この木造の建物の中にある書庫なんて、絶対素敵に決まっている。



「ねえ、私ちょっと、書庫見てきていい?」

彼の「じゃあ、俺はお茶の間でも見てるわ」という返事の「じゃあ」が聞こえた時点で、私はすでにギャラリーの奥にある引き戸を開け、はなれにある書庫へと向かっていた。



細い廊下を進み、小さな裏庭のようなスペースを潜り抜けると、小さく、けれどとても立派な「書庫」があった。

固く、重みのある引き戸を両手で力一杯こじ開けると、目に飛び込んできたのは、たくさんの、本だった。

なんとなく、音を立てないように気をつけて、ゆっくりと足を踏み入れる。

中央には、雑誌のアーカイブが山積みになっており、左右を見渡すと、上から下まで、大小様々な本たちが、肩を寄せ合って本棚に収まっていた。



今にも弾んでどこかに行ってしまいそうな心臓を抑え、時計回りに、1つ1つの本棚をじっくり見て回ることにする。

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本棚を1周した時にはもう、時計の針も1周していた。

さっきまでは全く気づかなかったけれど、手がかなり冷えている。

そろそろ、食事の時間かもしれない。

引き戸を閉めて廊下を歩いていくと、ちょうど彼も、「お茶の間」から出てきたところだった。


「どうだった?」

2人の声が重なる。

私だけじゃなく、彼の声も、心なしか興奮気味に聞こえた。


「お茶って、こんなに深いんだな。普段コーヒーとか紅茶ばっかり飲んでたけど、ちょっと見方が変わったかも。」

彼の口からそんな言葉が出てくるとは思わなくて、数秒間、彼の顔をまじまじと見つめてしまう。

それにも気づかない彼は、熱を持って話し続ける。

「中の壁も、凄かった。いろんな種類の引き戸をつなぎ合わせて1つの壁みたいにしてるんだけど、全部ここの人たちでリノベーションしたんだって。」

「書庫も、とっても素敵だったよ。自分だけの秘密の屋根裏部屋みたいで。
本のラインナップも独特で、ついつい気になった本を片っ端から手に取ってたら、こんなに時間が経っちゃった。」



こんな風に、お互いがいいなと思ったものを共有し合うのは、かなり久しぶりだった。

そのことに気づいて少し泣きそうになっていたら、横の扉がまたがらりと開き、先ほどの男性が顔を出して、食事の準備ができたことを伝えてくれた。

ここでは精進料理をベースに、少しアレンジした和食が食べられるそうだ。

普段は和食なんて地味だと言ってイタリアンばかり食べている彼が、一体どういう風の吹き回しだろうと思ったけれど、何も言わないでおいた。


まだ時間が早かったからか、お客さんは私たちの他にはいない。

その空間で音と言えるものは、包丁とまな板がぶつかるトントンという音や、たっぷり入ったお湯の沸騰するぽこぽこという音、そういったささやかな音だけ。

その静けさが、なんだかとても、心地よかった。

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「聖護院大根と、京にんじんの煮凝りです。」

そう言って私の目の前に置かれたのは、光沢を抑えて鈍く光る金色の平べったい器に、こてんと鎮座した、オレンジ色の四角いゼリーのようなものだった。

目を丸くする私の横で、彼が慣れた手つきでその四角い物体を一口サイズに切って、口に運ぶ。


「…うまい。なんだこれ。」

彼の言葉に男性は一瞬だけ手を止め、ふっと気が緩んだように微笑む。
そしてすぐにまた、真剣な表情で手元の作業に戻る。

男性は、真面目で物静か、少し堅い人という印象だったけれど、その一瞬だけ垣間見えた表情があまりにも優しくて、なんだか私の気も緩んだ。



私も恐る恐る、そのぷるんとした物体を箸で割って口に運ぶ。

出汁が染み込んだ、柔らかいにんじんと大根の甘み。さっぱりとしたゼリーの、つるりとした喉越し。

ゼリーの周りのふわっとしたクリームは、苺の甘酸っぱさと粒々がしっかり残っていて、思ったよりも苺が存在感を強調していてびっくりした。

でも、強いのに、なぜか、全体で統一感があって、苺が全く孤立していなかった。

新しいのに、昔から知っているような気がする。
そんな感覚に襲われた。


ここは、確かに彼が好きそうなお店だな。
でも、私も、もしかしたら好きかもしれない。

いや、かなり、好きだ。

こんなおしゃれな料理をこの物静かな男性が作っていること、それを自分が美味しいと素直に思って食べていることが、信じられなかった。



けれど、驚きはここで終わりじゃなかった。

1皿目の余韻に浸る間もなく、次々と運ばれる料理たちは、どれも、初めて食べる味で、それなのに、どこか懐かしく、優しい気持ちになって、思わず笑みが溢れてしまうような料理ばかりだった。

1皿1皿に対していちいち驚いたり、「これって何が入ってるんですか?」と
質問を繰り返していたら、コースが終わる頃には、すっかりカウンターの向こう側にいる男性と親しくなっていた。


「祇園とか、清水の辺りも華やかで好きですけど、この辺りは、まさに私がイメージしていた京都でした。町全体が静かで、穏やかで。あの東寺のなんとも言えない荘厳さも、いいですね。」

「お寺も神社も、歩いてたらいくらでもあるような町で育ってきたさかい、特に意識したことはなかったねえ。…まあ、なんもないんやけど、私も、ここが好きでずっとおるんです。」


私の言葉に少し照れたようにはにかんだ男性の表情を見て、ああ、またここに来たいな、と強く思った。

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男性にごちそうさまでした、と言って扉を開けると、「お茶の間」の扉が開いて、すっとした印象の黒髪の女性が出てきた。

彼をちらりと見ると、お茶のセレクトをしている方で、さっきもお茶をご馳走になった、ということを簡潔に教えてくれる。

「おふたりとも、東寺にはもう行かはりました?ちょうど今の時間、遅い時間やから空いてるんですよ。ライトアップも綺麗やし、あの、水面に東寺が映るのは、夜だけなんです。」


女性の言葉を聞いて、彼をちらりと横目で見る。

「ねえ、今から行ってみようよ。」

面倒だと言われてもなんとか押し切ろうと思っていたら、

「そうだな、行ってみるか。」

意外にあっさりと返事が返ってきて、拍子抜けした。


夜の東寺に2人で繰り出す、という非日常的なこの状況に、わくわくする。

お礼を言って外に出ると、辺りはもう真っ暗で、しんとして音もない。

空気がひんやりと肌を包み、私たちから体温を奪おうとした。

「急ごう。」

思いがけない寒さに顔を見合わせて、私たちは、夜の東寺へと急いだ。


続く


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作中に登場する民泊・お店は、こちら。

Kamon Inn Toji Higashi
京都を中心に、地域に密着しながら
展開する分散型民泊。
ここKamon Inn Tojiエリアでは、
「交舎」をコンセプトに運営。

間 -MA-
「茶飯事を愉しむ」をコンセプトに運営している、
複合的な要素を持ったお店。
1つの家屋を幾つかの空間に区切り、
お茶や本など異なるジャンルの融合を楽しむことが
できる。お茶にまつわるイベントも定期的に開催。
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※本小説は、PR記事として作成・公開しています。

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