(下書き中)それが無くても死ぬことは無いが

僕の日記は最後が【泣き】になる事はありません。

僕はいつも、叫んでいます。
泣いているのではなく、鳴いているのです。

「生き辛い」「つらい」「悲しい」「寂しい」「不安だ」「悲しい」「辛い」「死にたい」「消えたい」「もう生きていても良いことない」「もう死にたい」「死んで、死んでも許さない」「絶対に」

みたいな感じです。

始まりの感情がマイナスでも、そのマイナスをマイナスのままにしません。
怒りに一旦変換しています。

この怒りへの変換は何か言われて気に入らないから怒るとか、心当たり胸が痛いやましい事、単純に怒られたから怒っているみたいな逆恨み的なものではない。

僕の正義で考える。この言葉も懐かしい。
改めて思い出して考える。

最初は、ナンバーガールなら何と謳うのだろうか、と考えたのが始まり。

あの子なら何と言葉にするのだろう。
ナンバーガールなら、向井君なら何て言うだろう。
そういう感覚を意識していたのが20歳くらい。そこから僕の考え方に好みや主義主張みたいなものが始まったと思う。

僕の人生の分岐点の一つ。
「ハロー」を使い始めた頃の事だ。
モナリザのtシャツを着た透明少女と出逢った時の話だ。

ロックはアンチテーゼの音楽というように、ロックは生き様だと言いたい。

僕らは不幸でなければ、とはもう言わない。
もう僕らは幸せになってもいいと思う。幸せになるべきなのだ。

20歳から始まって、今の僕は十分、充分、十二分に不幸を演じたと思う。

「演じた」
今ふと思いついてしっくり来てしまった言葉だから使う。

不幸な事に僕らは不幸ではなかった。
やっぱり僕は僕だ。

・・

話は反れたけど、不幸と言うのも、比べるものでは絶対ない。

なぜなら、比べられるものではないから。

比べてしまうとキリがない。
今でも戦争や病気で、今にも死ぬ環境や殺される状況の中にいる人たちがいる。
でも、そこと比べられても困る。
でも、社会から他人から見るとそうなのだ。
だから比べるものではないね。そこで自分軸を使うと言い。

そうでないと、
僕らが想像できない生活をしている人の事と比べられてしまうよ。
僕はそういうの大嫌いだな。

「発展途上国や戦地で、今もご飯も食べられずに死んでいく人もいるんだぞ」
そんな人たちの事を言われても
「世の中にはもっと大変(不幸)な人がいる」
と言われることが心底嫌いだった。

そもそも、それはその人たちの背景があるから、一緒にするなと思う。
もう相手にもしなくなった反応もしなくなった。
金も無い癖にすることないから動物みたいに繁殖するなよ、と思ってる。今でも思っている。超少子高齢化多死社会で終活士の仕事をしてている僕は、家族や子供は宝と思いながら、なんかもう全体的に嫌いで気に入らないんだと思う。

もう、そう言う事なんだよ。

胸が痛いと言うより、本当に関係ないと思ってる。

だから、みんな考え方が変だなと思う。

・・

最近思った事、思い出した。

箇条書きだけ
・こどおじ ひもの は 同じ。ネタとしても実態としても。
・決めるのは本人ではなく、決めるのは客
自分が良ければいい、自分で決めた事ならばそれでいい、否、良いか悪いか評価するのは他人。

人間関係や社会生活の中で自分軸の主観でモノを言うが、判断するのは客。

対価を払うのも話し合いが人間同士は必須。
ギブアンドテイクの良好な関係を築くのは自分軸ではない。
断言する。

お前らがしているのはただの泥棒(火事場泥棒)みたいなものだと思う。
見つかったら殺されても何も言い返せない。
そこで「違います」だの、それこそ感謝しようが謝ろうが、自分軸や発達障害の正当性みたいな自己弁護を一生して、自己満足して納得しているだけなんだから、殺されても当然だと思う。

僕のこの考え方は、一貫してると思う。

僕が許して見逃している人たちの事。
僕が許されているのか許されてないままなのか分からないけど、僕も見逃された事。見逃されている事。同じだ。
だから僕も自分がしてきた事と同じことと思っている部分もある。

自分が誰かに後片づけをしてもらって、世話してもらって、最後まで面倒見てもらって生かしてもらったように、僕も誰かの事をそうやって見守ったり、大人になったんだから、と自分に気合を入れて。

これでも感情を飲み込んで優しく対応する事も、僕は学んでいる。
これでも僕なりに必死なのだ。これが自分軸。
僕なりに何をしてようが、あなたから観た僕の評価や感想は僕が訴えかけている物とは違うと思う。それが悪い訳じゃないけど、そこで生身の人間同士で問題を実際に起こしていると業の始まりだと思う。

学んでいないのは誰だ。全員だ。
一人で生きていけるなら最初から、一生、自分軸で自論強化してればいい。

残骸で終わり。

・・

僕は叫びをスイッチにして自分を鼓舞する。
悲しくて、動きたくなくて、立ち止まって悲しみで、怒り狂って、戦う僕になる。

覚えていてくれても嬉しい気がするがもう忘れて欲しい気持ちも一瞬だけ芽生える。これは魔だ。ここと手を組むと、もう僕はどこか遠い所に消えようとしたがり出すと思う。だから僕の事は忘れないでと書く。

・・

実は誰かに影響されて日記を今書いている。

つらくてつらくて死にたいです
鬱です 死にます

なんて終わり方、僕はしない。
そんな終わり方をずっとをしている人は僕は嫌いかも。
でも僕もずっと女々しく延々と嘆いてるように見えるんだろうね。

少し気が付いて修正する。

僕はそこから立ち上がって見える世界が見たい。僕も君に見せたい。
それが僕の生き方で、僕の恩返しだと思っている。

・・

今日は大事なことを書きたい。

いつも日記は、携帯などにメモをストックする。
箇条書きや、とりあえず忘れないように書き殴る。記録しておく。
いつか見返して文章にしようとする。
未完成の下書き状態で公開する。後日修正を何度する。
どこかで完成と思えば画像を添付する。
日記一つ完成。みたいな流れです。

数日間の内容を下手に纏めようとしてしまう為、時系列も無視した形になってしまいます。僕の悪い所、悪い癖です。

ストックしたものをさらにそこから後日修正を繰り返します。
だから日記として一貫性がなかったりするのだろうなと思います。

・・

自分で読み返しても「何か変だな」と違和感が、今でもあります。
ごめなさい。

言いたい事も書いているうちに変ってしまったりします。
人間の頭の中、心の中なんてそういうものだと思っています。
考えるから人間で、考えて変わるから人間で、変わっても変わらなくても人間なら考え続けるのだと思っています。

人間は一生、死ぬまで不安で、死ぬまで戦い続けなければ、一生安定や安心な「そんな生活」はありえないと思うのです。

老害や情弱無知な愚図に負けないで。

・・

僕のこのnoteが、3年目になったそうです。
最初から酷いものだったなと思っています。

こういう時に本当に勉強って大事だなって思います。
日本語能力、言語化能力、国語ですよ。
勉強って本当に大事。言うのは誰でもしてると思うけど、僕なんかこうして書いているから人様から見て僕は勉強が足りない。
学力の努力が出来てなかったと思う。

最近も、マイナス(ネガティブに見られる)日記が多いと解かっています。

どうしても僕は言葉に感情を込め過ぎてしまいます。その上で、文章力が無いので、変な部分が多いので、変われていないのかもしれません。

でも、、

と、「でも」とキーボードを叩いたところで、

「ああ、よくないな」

と思って、ここで止めます。

・・

感動を共有したい

そこを考えた。
僕は音楽が好きだ。

どれくらい好きか。
他の何よりも僕の原動力や生きる力になる。
それくらい僕にとって「語らない」部分に潜めている愛は強い。

衣食住や三大欲求と比べても、僕は好きな音楽やアーティストの方が存在は大きい。衣食住が無ければ生活が成り立たないので、そこは芸術や文化的な嗜好品は当然それでお腹を満たす事も病気を治す事も流石にそれが直結することは出来ないけど、それでも僕に余命宣告のような残酷な質問をするなら音楽だけあれば良いですか?と聞けば、いいんじゃないかと思う。

僕の中には、安心も無ければ、幸せな人生というのも存在しない。

こればかりは下品な表現だと思うが、僕の中の音楽の感動の最高地点は、比べてしまうと、何と比べても、どうしても越えられない壁があるのです。

それでも分からない人と、個人的に仲良くなろうとは思わない。
だから音楽が好きな人とは、僕はあまり付き合いたくないのだ。

そんな感じ。

だから音楽とお金を比べるのは難しいし、命と比べるのも無理。

親や家族、他人とは言え大切な人たちと比べるのも無理。

ただ上に書いたように、僕にとって【音楽から得る感情、音を経てする感動】は他の何よりも、きっと超えてはいけない線よりも、僕の中では特別だと思います。

・・

ではなぜ、その音楽を共有する事に何故そこまで苦しんでいるのか。

僕の中で音楽を聴く過程、環境みたいなものを僕が重視しているからだと思う。

音楽を一人で聞いている時もタイミングを常に気にしている。
図るや考えるほど僕には才能も知識も技術も無い。

ただ自分の中でベストなタイミング、最適解の音楽にしたいのだ。

専門的な話をしたい訳ではない。
家ではノートパソコンのスピーカー。イヤホンも3000円くらい。

2年前まではCDを買って、それを聴いていた。
車の中は、標準装備のスピーカー。
携帯から有線ではなく無線で飛ばしている音楽を聴いている。
それくらいの音響設備や環境で聞いている。

音楽が好きだとそこまで語るならそこも力入れろてから言えよと言われてしまいそうだが、僕はそういう人間だ。CDの保管状態も本当に最悪。

僕も音響や音質には確かに拘りたいが、一番はそこではない。
僕はそこに割ける力を振っていない。

それに満足して、それ良いと思っている訳ではないけど事実は一応事実。

・・

僕は感動を常に探している。

感情に触れる部分を常に探している。

音を聴いて、曲やメロディ、歌詞、言葉を聞いて、何が生まれるのか。
生まれるなんて大層な言葉を使ったけれど、感覚はそんな感じだ。

感情の振り方、振り幅を大事にしたい。
それは音楽と自分との向き合い方だと僕は思っている。
安易な表現で一害に行っている訳ではないから誤解はしないで欲しい。

だから、僕がそれだけ好きで楽しいや救いにしているのだから、せめて一つや二つは僕から取らないで欲しい。奪わないで欲しい。

・・

何度も言うが、環境ではない。
何を考えていても、何していてもそれは関係ない。

音楽に集中して聞いている時もある。
ほとんど耳にも入っていない時もある。

僕は一日中、音が欲しい。

学校もまともに通わなかったけど授業中はずっとイヤホンを制服に仕込んでFMを聞いていた。
家に帰ってからも僕はラジオっ子で、僕は眠るまで音楽に生かされていた。
学生が終わった後も仕事中も、今も仕事をしているけど、音楽か、何かしら流れている。

楽しい時もあれば悲しい時も、僕の基本土台みたいなのが音・音楽なのだろう。

そういう僕が(音楽だけに限定はしていないが)音楽から感動する事を幸せの一つしている。僕はそれが、価値観が違う者同士の共生共存、に必要。

だから見る人によれば、僕の言い分が異常に見えるのだと思う。

「素人の趣味(好み)で何言ってんだ」

僕もそう思う。だから考えた今少し理解したのだ。

・・

僕はナンバーガールを人に絶対に薦めない。

「音楽には語らない愛もある」
が基本にあるので、僕は話を最初はしたがらない。

そこが最初の僕の中の個人的に好きか嫌いかの判断になるのだろう。

ナンバーガール以外は話をするのか?

したいが、したくない。したいけれど出来ないというのが正確だと思う。

僕が指している「感動の共有」というのは、そこからの熱量や共有条件のハードルが一気に高くなっているのだ。

僕の事を
「音楽の話をする人」
と思っている人は多い。けれど違う。僕は音楽が好きだけど
「音楽は聴かないですね」
と言う時が結構ある。

僕はそこからのハードルや熱量が大きい過ぎるのだ。

僕の友達には、僕がこういう人間だって事を知ってる人はいて、だから、そういう意味で、僕の事を少しでも知って、それでも僕と繋がってくれている人たちを僕は「かけがえのない存在」としている。

もしかしたら、そこに家族や、大切な人。

愛する人がいればよかったのにね。

それがなければ生きていけないというのが僕なのだと思う。

僕はセンスが悪い人たちに囲まれて生まれてしまった。
僕の血筋は全員馬鹿なんだと思った。
僕は小学生の頃に両親が離婚して、それまで父は婿養子として母方の実家で暮らしていた。僕は産まれた時から実家は今のここだ。

母方の僕の母と祖母は、父方の血筋を少しは嫌っていたのだろうし馬鹿にしていたと思う。

でも、一年くらい前かな
「私は阿保なの」
と母が連呼しだした。阿呆だから努力する。馬鹿だから勉強する。
それはよくわかる。

でも、私が言っている事が絶対なの、私が言う事が間違いないの正しいの、なんで解らないのとキチガイ発狂していたのは、お前だ。

お前が阿呆だから、阿呆の癖にって事だ。
「私も発達障害かな(かも)」
ふざけんな。死ね。

お前は知的障害でも精神障害でもねえよ。境界知能の少女老婆だろ。
ただの誰からも相手にされない愛されない孤独女の一生末路だろ。

お前がお前のコピーを必死で作って、この家の中で箱庭を作ったのだ。
こうなる事は現実だろ。

とはいえ、僕も自分の不幸を語って酔っているのかもしれないが、僕が幸せ者でワガママな事を言ってるのが僕で10:0で説明できるならしろ。

最後は爺ちゃんが言ってた通りになる。
最後は殺し合いになるぞって、あれは爺ちゃんと母との間の話ではあるけど、僕が今考えるなら、母や僕のような人間は下手すると上手くいかなくなるぞって、いや、じいちゃんに僕は性格が似てる。
じいちゃんも馬鹿だ。優しいしお調子者だし明るいし頼りになる人だ。
僕とは違う。僕に安心をくれ。僕は何をしても一生安心できないのだ。
これが母が僕につけた呪いだ。

・・

僕が出逢ってきた人たちの生き様に僕は救われた。
今も支えられている。今、その人たちと会う事は無い。
もう逢う事は無いと思いたくないが、会わないのだろう。

僕は君と繋がりたい。

明日を生きて、明後日の話をいつかしよう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?