スマートな未来の町内会について
今度「スマートシティはどう共助を進められるのか」という問いについて考えるシンポジウムでパネラーを担うことになったので、考えていることをメモしておこうと思う。
前提として、私はスマートシティは専門外であるが、今回のパネラーとしての立場は、ベタベタな地域社会の近くで仕事している人からみて、スマートシティってどうお役立ちしそうすか?という問いを投げかけられるという立場である。なので、スマートシティかくあるべし、みたいな話というよりは、私が関わってきたお客さんたちの顔を思い浮かべながら、こうなんじゃないすかね、とつぶやく、というようなものになる。
まずは「共助」が可能な距離から考える〜フィジカルな距離と、メタフィジカルな距離
まず、「共助」というのは、一般に「周りの人たちと助け合うこと」を指す。これは自分(の世帯)で自分を助ける「自助」や、公的組織に助けてもらう「公助」との比較で説明されるものだ。なので、いわゆる地域住民主体のまちづくり活動などは、お隣近所に助けてもらうという意味で共助にあたる。
さて、「共助」は「周りの人たちと助け合うこと」なわけだけど、「周り」といってもその距離感には幅がある。まずは物理的な距離感だ。お隣に住んでいる人と、3キロ先に住んでいる人とでは当然距離感が違う。それだけでなく、メタフィジカルな距離感もある。生活習慣や価値観、収入の度合いなど、生活を構成する要素が似ていると距離感は近いが、あまりに違いが大きいと距離感は遠くなる。
大抵の場合、お友達になる人同士はなんらか自分に似ている。「類は友を呼ぶ」というやつだ。同じ職場で働いているとか、同じ学校を卒業しているとか、同じような収入があるとか、同じようなライフスタイルであるとか。共通性が人を結びつけるともいえる。そういう「メタフィジカルな距離感」が近い人とは、比較的助け合いをしやすい。しかし、メタフィジカルな距離感が遠いと助け合いがしにくい。
メタフィジカルな距離感が近い人が、物理的な距離が近いところに住んでいれば、それに越したことはないのかもしれないが、実際にはそうとも限らない。物理的な距離が遠いところに親しい友人が住んでいて、お隣は何する人ぞ、というのが現代都市生活の実際だろう。
当然ながら共助は物理的な距離が近いほうがやりやすい。しかし、それをするには隣近所に住んでいる人とメタフィジカルな距離感を詰める必要があって、ここにかかるコストが無視できない。
地域SNSというジャンルのサービスが時々思い出したように流行る事がある。そして、なんらかのトラブルを抱えてクローズするとか縮小するということを繰り返してきた。こういったトラブルは、たいていメタフィジカルな距離感が遠い相手と物理的な距離を詰めるときに起こるようだ。本来であれば交差しなかった異文化が、地域SNSというテクノロジーによって出会ってしまう。そこで異文化コンフリクトが起こる。ネットワークの拡張が生み出したプチグローバリズムだ。
メタフィジカルな距離を詰めることで生じるコンフリクトと、そのコストを節約する信頼資本
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