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雨上がりの夜に教えてもらった、優雅な朝

挽き立ての豆で淹れたコーヒーと、焼き立てのパン、じっくり煮込んだスープに、サニーサイドアップとこんがり焼けたウィンナー。

そんな優雅な朝食をとる休日の朝、思い出す夜がある。


数年前のある夜のこと、私は雨上がりの街中で、Yさんを待っていた。

待ち合わせ時間を少し過ぎた頃、通りの向こうからYさんが、白いロングスカートを靡かせながら歩いてくる。Yさんは、私を視界に認めると、急ぎ足になった。

「雨上がり」というこの夜の天気を私が覚えているのは、濡れた地面がYさんの白いスカートを汚しはしないかと、ひやひやしたから。
Yさんは、地面すれすれのスカートを心配そうに見つめる私に気づいて、「雨の日に、白い服を着たくなるの」といたずらっぽく笑う。
私は、そんな彼女の少女のような茶目っ気が、なんとも言えず好きなのだった。


Yさんは、同じ大学の一つ年上の先輩で、フランス文学を専攻していた。西洋美術史を学ぶ私は、Yさんとは、いくつか同じ授業をとっていて、一方的に私はYさんのことを知っていた。
Yさんは、教室の中で浮いていたから。
際立っていた、と言った方がよいかもしれない。
彼女は、モデルのような容姿で(実際モデルの仕事をしていることを後に知るが)、ひとつひとつの所作が美しくて、ただノートを書いているだけなのに絵になってしまう、そういう人だった。

共通の友人が紹介してくれたおかげで、私はYさんと話す機会を得た。
はじめてYさんと話したとき、彼女のふとした仕草や話す内容があまりにも洗練されていることに私は衝撃を受けたが、それでいて、彼女にはある種の親しみやすさもあって、私は気後れすることなく楽しい時間を過ごしたのだった。

Yさんとは、片手で数えられるくらいの回数しか、二人きりで話したことはない。
けれど、たった数回であっても、彼女が私にとって特別な人だと感じられるのは、彼女と会ったその数回が鮮烈な印象を残すものだったからだろう。


あの雨上がりの夜は、そんな数回のうちの1回だった。

その夜は、商店街の地下にある赤いチェックのテーブルクロスのレストランで食事をしてから、バーへと向かった。

Yさんが気に入っているという、そのバーで私たちは2時間ほど話した。
一つしか歳の変わらぬYさんだが、行きつけのバーがある、というだけで当時の私はYさんをとても大人っぽく感じた。

薄明りのバーの中で、グラスを傾けるYさんがとても綺麗だったから、あまりじろじろ見るのは失礼だと思いつつも、じっと見ていたかった。

そのバーを出るとき、もう少しYさんと話していたいなと思った。
そんな私の心を読んだかのように、Yさんは、「もう一軒つきあってくれる?」と提案してくれる。

「もう一軒」は、先ほどのバーの上階にあった。

急な階段を上るとき、Yさんが白いロングスカートの下に、透明なかかとの白いブーツを履いていたことに気づく。Yさんは、頭の先から、足の先まで美しく装っていた。

階段を上る途中で、Yさんは、「次のお店は、ゲイのNさんが営むお店なの」と教えてくれる。

扉を開けると、カウンターの向こうに、Nさんがいた。
「あら、Yちゃん、こんばんは。」

「ももちゃんを連れてきました」とYさんが私のことを紹介してくれたから、Nさんも初対面の私を「ももちゃん、いらっしゃい」と迎えてくれた。

店内の客は私たちだけだった。
こじんまりとした店内は、殺風景といってもよいほど、何も置かれていない。けれど、白いストーブの上に置かれたやかんから、しゅんしゅんと湯気が立ちのぼっていて、どこか懐かしいような温かさがあった。

下の階で呑んできたところだと話すと、Nさんが「呑んできた後だったら…これはどう?」と見せてくれたのは、ドライフルーツとドライフラワーがふんだんに入ったお茶だった。

いいですね、とYさんと私が同意すると、Nさんはストーブの上のやかんに手を伸ばして、やかんからこぽこぽとお湯を注ぐ。注がれたカップは、3つ。Nさんも一緒にお茶を飲む。

「もうすぐ、クリスマスね。二人は、なにかほしいものある?」とNさんが私たちに尋ねる。

そのとき、ぱっと思い浮かんだのは、小さな鍋だった。
けれど、小さな鍋がほしいですと、口にしたすぐ後に、もっとすてきなものを答えたらよかった、と思った。

鍋がほしいと言われても、返答に困るだろうと思っていたところに、
「もしかして、小さな鍋って、野田琺瑯の鍋かな?」とNさんが返答してくれて、私は驚いて顔を上げた。

私がそのときほしかったのは、ちょうど野田琺瑯の鍋だった。蓋のついたソースパンで、スープやジャムをつくるのに便利そうだと思っていた。だけど、鍋の話なんてきっとわかってもらえないと思っていた。

顔を上げたとき、はじめてNさんと目が合った。
Nさんは、青みがかったグレーの目をしていた。カラーコンタクトなのかもしれないが、その透き通った色がNさんによく似合っていた。
私は、自分の話に答えてもらって、ようやくNさんの目を見て話すことができたのだ。

「ももちゃんは、料理が好きなのかな?」とNさんが尋ねる。

「ももちゃんは、料理も絵も上手なんですよ。彼氏さんにも、いつもお料理をつくってあげているんだよね。」とYさんが答えてくれる。

「そう、ももちゃんにも、ステキな殿方がいらっしゃるのね。」
そう話すNさんの表情は、とてもやわらかくなっていた。
「殿方」という言葉選びがすてきだったから、私は心の中にそっとメモする。

「それなら、とっておきのレシピを教えてあげる。」とNさんが教えてくれたのは、特別なフレンチトーストだった。

卵と牛乳とお砂糖を溶いたものを、厚めに切ったバゲットに浸して、フライパンにバターを溶かし、両面をこんがりと焼く。

ここまでは、普通のフレンチトーストだ。

特別なのは、それに、フライパンでカリカリに焼いたベーコンを添え、はちみつと黒胡椒をたっぷりとふりかけること。


そのレシピを聞きながら、おいしそうだとは思いつつも、甘いとしょっぱいが絡み合う味をうまく想像できず、私は少し困惑した表情を浮かべていたのだと思う。

そんな私を面白そうに見ながら、Nさんがこそっと言う。
「これぞ、ホモーニングよ。」と。

“モーニング”って言ったのかな。“ホモーニング”って聞こえたような、とますます私が困惑していると、Nさんがクスクスと笑い始める。

ホモーニングよ。ホモが教えるホモーニング。
今度は大きな声でNさんが言った。

「いいですね、ホモーニング。」とYさんも同調する。

「ももちゃん。ホモじゃなくても、ホモーニングを愉しんでいいのよ」とNさんは優しく私に諭す。

ホモセクシャルのホモは、同性を指す”同じ”っていう意味。

 だけど、ホモには、”人”って意味もあるの。

 ホモだって、人が人を好きなだけ。
 それだけのこと。
 
 みんな同じ。人間なの。

 ホモーニングは、人間が人間であることを愉しむ朝よ。
 そして、みんな同じ人間だということを思い出す朝。

 そんな特別な朝を、ホモーニングと呼ぶのはどう?」

Nさんが話し終えてから、私とYさんは、これから「ホモーニング」を実践することを約束した。

私が、Nさんのお店に入ったとき、Nさんと目を合わせられなかったのは、単に私がシャイだったからだけではない。
Nさんがゲイの方だということを、店に入る直前に聞いて、どんな目でNさんを見たらいいのか、わからなかったのだ。
差別なんかしたくない、そう思っていても、知らず知らずのうちに失礼な態度をとってしまうことが怖かった。

だけど、Nさんは、言った。
みんな、同じ人間なのだと。

きっと、Nさんは、他人と違うことを、何度も痛感してきただろうと思う。
それでも、みんな同じ人間だと話すNさんの顔は、とても優しかった。

私は、たまたま好きになった人が男の人だった。
けれど、美しいYさんを前にして、少し緊張していた私も、本当の私だ。

「多様性」というのは、便利な言葉だと思う。
それぞれのちがいを認める言葉。
しかし、その「多様性」という言葉は、寛容なようでいて、どこか他人事にしてしまう言葉でもあるような気がする。

みんなちがって、みんないい。
確かにそうかもしれない。

でも、ちがうのだと線を引くその前に、みんな同じく人間なのだということを忘れてはならないのではないかと、私は思う。

国、宗教、ジェンダー、言語、文化、病気、障害…さまざまなちがいをみんな抱えている。
だけど、みんな同じ人間だ。

そのことを教えてくれた夜を忘れないように、
私はときどき優雅な朝ホモーニングを過ごしている。


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