放課後のような街に暮らしたい
放課後の空気が好きだった。
校庭や体育館で汗を流す人。
吹奏楽部の誰かが奏でるトロンボーンの、どこかとぼけたような音。
美術室に染み付いた油絵具の匂い。
職員室の前や、図書館で勉強している人たち。
思い思いに過ごす、夕暮れまでのひととき。
放課後って、一つのユートピアだよな、と思う。
そんなことを言うと、ただ郷愁に浸っているように思われるかもしれないが、放課後を懐かしく思うのは、大人になってからそんな時間をもつのは容易くないと感じているから。
人によっては忙しくて「時間」がないということもあるだろう。
でも、時間があっても、思い思いに過ごせる「空間」が少ないなと私は考えている。
たとえば、自宅で油絵具を使うと、かなりのにおいがする。
美術室に染み付いた絵具のにおいは嫌いじゃなかったけれど、狭いアパートであのにおいの中ごはんを食べるのはつらい。かといって、制作のたびに、どこかの場所を借りるのも大変だ。
楽器を演奏するのだって、大人になるとちょっと難しい。
学生の頃は、サークルでフルートを吹いていたが、サークルを引退してしまうと、自由に楽器を演奏できる場所がほとんどないことに気づく。
アパートでは近所迷惑なほど、楽器の音は響いてしまう。
私はあまりスポーツには縁がないけれど、最近では、近隣住民に配慮して、ボール遊びを禁じている公園もあると聞く。
大人も「放課後」を謳歌できる場所があったらいいのに、と夢想する。
学生の頃は、静かな図書室にいても、校庭や体育館の運動部の掛け声は聞こえていたけれど、不思議と気にならなかった。
それぞれがやりたいこと、やるべきことと向き合っていて、それを認め合える空気が流れていた。
あれは、子どもだけに許されていた時間だったのかな。
何かをすることを禁止している場所は多い。
飲食禁止、ペット禁止、騒音禁止、ボール遊び禁止…
それは、だれかが嫌な思いをしないために必要なことではあるけれど。
何かをやることを禁止する場所じゃなく、何かをすることを積極的に応援する場所があったなら。
街角で楽器を練習している誰かと出会ったり、ショーウィンドウを眺めるように、誰かが絵画や彫刻を制作しているのを眺めたりするのかもしれない。
スポーツや文化を鑑賞するだけでなく、自らプレーし、制作するのが当たり前になるのかもしれない。
子どもたちは、そんな大人たちの姿を見ながら育っていくのかもしれない。
そんな白昼夢を見ているのは、私がまだ完全な大人ではないからだろうか。
私は、一度社会人になってから、大学院に進学した。現在二度目の学生生活を送りながら働いている。
二度目の大学生活は、昨年の春、非常事態のなか始まった。
今は大学も少しずつ日常を取り戻しつつあるけれど、あの放課後の自由な空気は感じられない。
「今しかないのに」、と嘆く子たちになんと声をかけたらいいのかわからない。
私は、大人になっても「放課後」の時間を作れる人がいることも知っている。
だけど、「今しかない」と思う、その気持ちを、私にはまだ否定できない。
でも、もし大人たちも「放課後」を楽しむ場所があったらさ。
「今しかないんだよ」って脅すんじゃなくて。
「大丈夫。これから先にも楽しいことはたくさんあるから」
と胸を張って言えるのかなって。
大人のほろ苦さを知りながらも、まだまだ夢を捨てきれない私は思うのだ。