あの頃の自分にかけたい言葉を、君におくるよ。
つい先日のこと。
しばらく連絡をとっていなかった友人Kちゃんから連絡が来た。
私は、彼女の名前が画面に表示されるだけで、少し胸がちくりとした。
Kちゃんは、私と同じ絵画教室に通っていた。
学校が違うから、彼女とは週に2時間しか会わない。
でも、その2時間は、私がいちばん私らしくいられる濃密な時間だった。
私と彼女は、一緒に過ごした時間はわずかでも、一番深い部分をお互いに知っている、そんな関係を築けていたと思う。
彼女は、私より絵が上手だった。
私も、彼女も、勉強が好きだった。
進学先は違ったけれど、お互いに第一志望の大学へ合格した。
私は、大学で西洋美術史を学んだ。
彼女は、大学で日本美術史を学んだ。
私は、地元で学芸員になった。
彼女は、大学院へ進学した。
私は、心を病んで、学芸員を辞めた。
彼女は、私の後任として、学芸員になった。
彼女が、私の後を継いで学芸員になったということは、風の噂で聞いた。
どうか彼女があの職場で心を病まなければいいと思った。
彼女から、直接連絡が来ることはなかった。
彼女はきっとうまくやっているのだろう。
そう思うと、ほっとする気持ちと同時に、彼女にはできたことが私にはできなかったのだな、と自分を情けなく思う気持ちが湧き起こる。
彼女と話したいと思いながらも、会ったら自分が惨めに思えそうな気もして、私からも連絡を取ることはなかった。
そんな彼女から突然の連絡。
私が仕事を辞めてから、もうすぐ3年が経とうとしている。
メッセージを開くよりも前に、これは彼女からのSOSだと察した。
直接私からは話していなくとも、彼女は私が辞めたことをもちろん知っているし、辞めた理由だって聞いているはずだ。
そんな私に連絡するのは、きっと勇気が必要だっただろう。
でも、私に連絡を取らなければならないほど、彼女は追い詰められていた。
彼女からのメッセージを読みながら、あの頃の自分にそっくりだと思った。
私が私を見失ってしまった、あの頃に。
彼女は、少し落ち着いたら、ご飯にでも行こうねと提案してくれたが、私は、今すぐにでも会いたいと言った。
私が彼女のためにできることなんてないかもしれない。
というか、私が逃げ出したせいで、彼女が苦しんでいるのだ。私は彼女を苦しめている張本人の一人だ。
でも、私はSOSを出している彼女のもとに駆けつけたかった。
自分の痛みと向き合うことになるかもしれない。
それでもいい、と思った。
彼女の苦しみが少しでも軽くなるのなら。
いや、たぶんそんな自己犠牲的感情だけじゃない。
私は一番堕ちていたころより回復していた。
博物館で働いたり、大学院に進学したり、また美術館で働き始めてようやく立ち直ってきたところだ。
前を向き始めている。
彼女に嫉妬してしまいそうなときには会えなくて、自分が立ち直って、彼女が落ち込んでいるときには会えるなんて、私はやっぱりずるい人間だ。
だが、自分が真っ暗闇の中にいるときには、だれかを光さす方へと導くのは難しい。
いま、私に光が差しているから、彼女に手を差し伸べられるのだ。
どんなにずるくても、いまの私にだからこそできること、今の私にしかできないことがある。
私たちは、私たちの通った絵画教室で会うことになった。
彼女は、今でもときおり絵画教室に顔を見せているらしかった。
私は、仕事を辞めてから絵画教室の先生には一度も会っていない。
先生は、私が学芸員になったことを喜んでくれた人だった。
仕事を辞めた私は、先生に合わせる顔がなかった。
でも、ずっと会いたかった。
先生と話したいことがたくさんあった。
久しぶりに訪れた絵画教室は、懐かしいにおいがした。
絵の具と溶き油のにおい。
ちいさな教室には子どもたちがたくさんいたが、みんなマスクをして、各机には仕切りが置かれていた。
にぎやかだった教室では、いまほとんど声がしなかった。
教室の奥の先生の部屋に、先生とKちゃんがいた。
先生は、相変わらず、おひさまのように笑っていた。
Kちゃんは、やつれて見えた。
その姿を見て、涙が出そうになる。
彼女をこんなにまで苦しめているのは、私でもあるのだ。
でも、久しぶりだね、と言う彼女の声は、変わっていない。
優しくて、おっとりとしている彼女。
マスクをしていても、彼女が私の姿を認めて、微笑んでいるのがわかる。
Kちゃんは、ぽつりぽつりと話し始める。
ずっと周りの声が聞こえすぎて、苦しいこと。
遠回しに自分のことを悪く言われているのが、烙印のように消えないこと。
学芸員らしいことがほとんどできていないこと。
職場で味方がいないこと。
Kちゃんの置かれた状況は、限りなく、3年前の私に近かった。
私は、Kちゃんに謝った。
Kちゃんが苦しんでいるのは、あのとき仕事を途中で投げ出して私が逃げたからだと。
Kちゃんは、ううんと首を横に振る。
「桃子ちゃんがどんなふうに仕事していたのかは、残っている資料を見ればわかるよ。あの状況を変えたくて必死に動いてくれたことも。でも、私も必死にやったけど、変わらない。変えられない。」
そう話す私たちを見て、絵画教室の先生が話し出す。
「ももちゃん、Kちゃん。
こんなことを言っていいのか、わからない。
でも、二人をずっと小さい頃から見ているから、言うね。
あなたたちは、普通ではない。
とっても不器用。
生き方が不器用。
みんなが右向けと言われて右向いていても、あなたたちは右向けないの。
まずは、どうして右向かなきゃいけないのって考える。
右向けっていう人を疑う。
でも、それは、弱さであり、強さなの。
他の人に見えないことが見えるのは、あなたたちの強みにもなるの。
私もそうだった。
あなたたちは、27歳?
私はね、30歳になったら、突然いろんなことがわかるようになった。やるべきことが見えてきた。
あなたたちは、まだ3年ある。
あと3年、蛇行しなさい。
思う存分。
でも、どんなにぐちゃぐちゃな線を描いてもいいから、進むべき方向だけ目をそらさずに見据えなさい。」
そう言って、先生は部屋を離れ、子どもたちの様子を見に行った。
Kちゃんが、口を開く。
「前を見ようとしても、横が気になっているうちに、下を向いちゃうんだ」とポツリ言う。
私には、その気持ちが痛いほどわかる。
苦しいよね。つらいよね。
でも、私がかける言葉はそうじゃない。
「Kちゃん。
Kちゃんは否定してくれたけど、私が投げ出したせいで、Kちゃんが苦しんでいるというのは否定できないと思う。
だから、私が言えることじゃない。どの口が言うんだって自分でも思う。
でもね、私はKちゃんに私と同じような苦しみを味わってほしくないって心から思うんだよ。
私は、辞めたあとも、ものすごくつらかった。
どうして辞めてしまったんだろうって悩んだ。
辞めてから、自分がどれだけ恵まれた環境にいたのかわかった。
でも、辞めてからわかっても、遅いから。
だから、私は、いまKちゃんに自分が感じたこと伝えるよ。
愚痴が言いたくなったら、我慢しなくていい。
私に言って。
職場で言えないなら、私に話していいよ。
Kちゃんは、たぶん仕事以外の時間も仕事のことが頭から離れないんじゃないかな。
私もそうだった。
夜遅くまで残って、土日も職場に行って。
それでも、終わらないから、もう自分の時間なんてないと思い込んでいて。
でも、本当は違うんだよ。
Kちゃんは、Kちゃんとして生きていいんだよ。
それは、仕事を辞めなくてもできることだよ。
自分の声を抑えなくていいんだよ。
言いたいことがあったら、我慢せず言っていいんだよ。
先生もさっき言ってた。私たちは見えすぎるって。
見えることは、見えないフリしないで言っていいんだよ。
でも、Kちゃんには見えてないこともある。
たぶん気にしなくてもいいことを気にしてる。
さっき、Kちゃんは、他人から言われたことが烙印のように頭から離れないって言ってたね。
だけど、たぶんその烙印を本当に押してしまっているのはKちゃん自身だよ。押さなくていい烙印を押している。他人に押されたよりも強く、自分自身で押してしまっているんじゃないかな。」
Kちゃんは、「そうかもしれない。」とつぶやいた。
ずっと自分自身で、烙印を押し続けていたのかもしれない、と。
私は、少し話題を変えた。
Kちゃんに大学で何を学んだのかを聞いた。
修論の内容について話すKちゃんの表情は、私が知るKちゃんだった。
カバンに仏像のキーホルダーをつけて、にこにこしながら仏像の魅力を延々と語っていた高校生のころの彼女がそこにいた。
そして、Kちゃんは、いま所蔵作品について勉強しているところだと語っていた。
私は、学芸員として在籍していた間、学芸員らしいことはほとんど何もできなかった。
何をどうやって研究していいのかわからなかった。
作品も、資料もなく、頼れる人もいなくて、もう逃げることしか考えてなかった。
彼女は、過去の私とは違う。
もう道を拓き始めている。
たぶん、もっとうまくやれる。
きっと続けられる。
それは、逃げた私だからこそ、わかるんだ。
Kちゃんが、どれほど必死で戦っているのか。
Kちゃんが、どんなに美術作品に愛を注いでいるのか。
私は、まだ自分が仕事を辞めてよかったとは言えない。
辞めたからこそわかったこと、辞めたからこそ出会えた人たちもいる。
だが、辞めたことへの後悔が消えたわけじゃない。
たぶん、この先もその後悔はしばらくつづく。
でも、私が辞めて、Kちゃんがあの街の学芸員になってよかったといまの私は思える。
負け惜しみも、ちょっと入っている。
私は、Kちゃんのようになれなかった。
でも、Kちゃんのようにはなれなかったけれど、なれなかった私だからこそ、Kちゃんがつまずく前に石を取り除いてあげることができるかもしれない。
絵画教室を立ち去る間際、先生は私たちに言った。
「私は、あなたたちより、40歳ちかく年上なの。この歳の私に言わせたら、いまあなたたちの悩んでいるのは、とっても小さいこと。
見たいものを、見て、聞きたいことを、聞いて。
やりたいことを、次々にやっていきなさい。
人生は思っているより短いよ。
横を見ている時間なんてあなたたちにはないの。
上の人たちを動かすのが大変なら、まずは下の人たちを味方につけなさい。自分の下にいる人を育てなさい。
いま子どもたちを見ていると、大きな変化が起きている。
刺した、殺した、というような傷つき方ではなくて、真綿を少しずつ詰め込まれていうような苦しさを子どもたちは感じているの。
あなたたちにできることは何か考えてみて。」
先生に課題を与えられるなんて、絵画教室に通っていたとき以来だ。
Kちゃんは、学芸員として、きっとこれからこの課題に取り組んでいくだろう。
私は、どうやって取り組んでいくか、まだはっきりとしない。
でも、先生に与えられた、(おそらく、最後の)課題に、私も取り組んでいこう。
Kちゃんとともに、教室を出ると、夜風が優しく顔に当たる。
「Kちゃんがつらかったら、いつでも話を聞くから、遠慮なくいつでも連絡してね」と別れ際に私は言った。
Kちゃんは、「つらいことなんかなくても、話したいよ。」と笑う。
そう言われて、ああ、そうか、と思う。
私とKちゃんは、前任と後任という関係じゃない。
友達だ。
私は、仕事を辞めて、肩書も、お金も、何もかも失ったように思っていたけれど、ほんとうに大事なものは手元に残されたままだった。
大事な人との絆。
それらは、もうどんなことがあっても、手放さない。
私が持つものの中で一番大きな財産だ。
仕事を辞めて、すべてを失ったように感じた私だからこそ、ほんとうに大事なものに気づけたのかもしれない。
でも、辞める前に気づけるなら、そのほうがいいね。