愛もクソもない結婚
さあて、またアラサー女が感化されたからnoteを書く。
大河ドラマや伝記の考察動画、中世を題材にした欧米の海外ドラマを見ていて政略結婚が当たり前のように出てくる。
あいつとうちの娘を結婚させれば…
この家系の子供を王に…
こんなことばかり見てると現代の自由な身分で快適な生活をできるこの場所に生まれたことがなんとありがたいことか。
政略結婚という観点から行くと、大昔の庶民一般、平凡な人たちの方が恵まれていたのかもしれない。
好きになった人と一生を過ごす、添い遂げていくという点では。
貧乏でも、生活が苦しくても支え合う人がいたら強くなれる、生きていけるって言うじゃあないですか。
周りから決められた望んでいない結婚ではなく、自由な恋愛で結ばれるって当たり前のようで、当たり前じゃなかった。
もちろん最初は気乗りしない結婚でもだんだん愛が芽生えて幸せになった人もいるだろうし、そうでない人もいただろう。
そこに愛があったかどうかは本人たちのみぞ知る。
こんな考えをしているとお主は恋愛結婚主義なんか?と思われるだろう。
別に現代の婚活を否定してるわけじゃない。
発端が婚活でも偶然の出会いでも惹かれ合えばそれは恋愛に発展するのだろうし、恋愛結婚ってひとくくりに出来なくもない、よね?(強引)
政略結婚をさせられた歴史の一人一人に「どうでした?その心は?」ってインタビューしてえな。って思った話。(無理だが)
せっかく自由に快適に生活できる世界に生まれたんだから、愛のない結婚は遠慮したいなと個人的に思う。
利益か愛か。両方か。
政略結婚も自然の理なのか。
人類の成長と地球の誕生って何なんだ。(あかん、また思考がビッグバンに持ってかれている。)←すぐに人類と宇宙に思考を持っていきがちなアラサー女である。
せめて、愛はほしい。
しかし、あげられる愛がまだバケツに溜まってない独身アラサーなのでまずは空っぽのバケツを埋めてからか。
いや、愛を欲しがることは傲りなのか(修道女かよ)
まだブッダの35歳の悟りまで時間はある。
愛とはなんぞや、をゆっくり考えていくわ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?