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つっぱれない方がいいかもしれない

去年の夏から暮らしている今の家は大きな窓があるのになぜかカーテンレールがない。なのでつっぱり棒を使いカーテンを付けている。けれど私の力が弱いのとカーテンが重いのと両方でカーテンを何度か開け閉めしているうちに「ガシャン」と落ちてくる。

大体、落ちてくる時は急いでいる時か眠たい夜。
もう1回つっぱればいいだけだからいいのだけど。
ストレスだ。
自分でできるけど誰かやってくれないかなと思う時がある。

けれど秋に友人が家に遊びに来て、つっぱり棒を張ってくれてから、不思議と1度も落ちてこない。

なんてストレスフリー。感謝。

それだけで突っ張り棒のことを気にせず、カーテンの明け締めができて、窓から外を眺める回数が増える。朝起きて、コーヒーを飲みながら朝日を浴びる、窓を開けて部屋に入る風で季節を感じたり、暮らしが少し豊かになる。

こんな時、私はいつもドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」を思い出す。

ドラマの中で、主人公の大豆田とわ子はベランダの外れた網戸に苦戦しながら、「誰かが代わりにやってくれたらいいのに」とボヤく。網戸は話の中で何度も登場するのだけれど、「網戸が外れる」=「ふとしたときに頼れる、寄り掛かれる人がいない」ということを表しているのかなと思った。

疲れて帰った時にお風呂が沸かしてあったらいいのに。
寒い冬、帰ってきたら暖かい部屋が待っていたらいいのに。
自分でごはんを作る楽しみもあるけど
たまには誰かが作ってくれたごはんも食べたい。

どんなに仕事が充実していても、誰かと遊んでいても、日々、楽しく、不満がある訳でなくても無性に寂しくなったり、心にぽっかり穴が開いたような空虚感に襲われることが私はある。

なんとなく毎日が過ぎゆく中で、先なんてわからない未来に漠然と不安を感じたり。そんな時、誰かと話したりしているとなんとなく、その不安が和らいだり忘れられることがある。

一人でも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい。

「大豆田とわ子と三人の元夫」より

私は良くも悪くも放任主義の両親に育てられた。
幼稚園もここが良いと私が指差したところに決まった。その後の進路も就職先も、選択肢は全て私に託してくれたし、自分が習いたいと思った習い事は習わせてもらえたし、恵まれてはいたと思う。

そして私は
「女は子育てと家事をする男が働いて稼げば良い」
「俺は仕事で忙しいから子育てできないから」
私が生まれる時そう母に言った
ジェンダー問題の塊のような父と
家事も育児もしながら働き
「これからは女の人だって働くのが普通な時代よ」
と話す母の
なんとも真逆の考えの両親のもとで育った。

家事も育児もしながら働く母は
私にとってスーパーマンのようで
周りの友達のお母さんは
専業主婦のお母さんが多くて
車も運転できるお母さんが少なかったから
「望ちゃんのお母さんは
仕事もして車も運転できてかっこいいね」
と言われることが少し誇らしかった。

おひとりさまランチや一人呑み、
「お一人様」がへっちゃらな母
なにか物が壊れても父に頼らず
自分で解決する母がかっこよく見えた。

「何でも自分でできるようになりなさい」
両親が共働きな事もあって
小学1年生から鍵っ子だった私は
年齢とともに色んな家事を任されたおかげで
自然と家事の仕方は覚えていった。

自分で出来ることが増えるのはとても嬉しかった。

だけど人に頼るということは下手だった。
いや、今も下手だと思う。

良くも悪くも、何でも自分で決めた事をさせてもらえてたから

「あんたが決めたんでしょ」

そう言われたら何も言い返す言葉がなかった。

「自分で決めたから」

それが呪いのように染み付いて
全部、自分に責任があると思うようになった。

だからいつしか
「やめたい」「変えたい」
それが言えなくなった。
限界まで倒れるまでやる。
それが染み付いた。
そしたら摂食障害になって
自分の体が骨と皮になるまで走り続けた。

摂食障害の回復の過程で
自立=なんでも自分でできる事
ではなく
「自分の樽を知ること」
「困った時に誰かに頼る」
も自立なんだと感じた。

「ひとりでも生きていけるけど、まあ、寂しいじゃん。寂しいのは嫌だけど、でもそれで誰かと二人でいたって自分を好きになれなかったら結局ひとりだしさ。好きになれる自分と一緒にいたいし。ひとりでも幸せになれると思うんだよね」

「大豆田とわ子と三人の元夫」より

このセリフはとても共感する。

誰かに依存はしたくないし、自分の好きなこと嫌いなこと、幸せになれることとか、自分のご機嫌は自分で取りたい。
「1人でも幸せ、大丈夫」
だけどたまに無償に誰かに甘えたくなる。
誰かと何かを共有する幸せも感じたい。

だけど甘え方が分からない。
友だちを大事にしたい。
しているつもりだけど
実際できているのよくわからない。

知らない間に、友人が差し伸べてくれている手を「大丈夫、自分でやれる」と、払いのけているのかもしれない。そう思う出来事が、ここ最近いくつかあった。

自分でできることも大事だけど
自分を大事にするにも
友人を大事にするにも
もしかしたら甘えることも大事なのかもしれない。

私のつっぱり棒の張りが弱いように、自分の心のツンツン、突っ張っている
プライド、自己防衛を少しは緩ませたい。


読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。