見出し画像

磯田道史『歴史とは靴である』

みなさん、こんばんは。NOZOMIです。

本日は読書レビューになります。読んだ本はこちら。

タイトルを考察してみた

歴史というのは、コーヒーのように好きか嫌いか分かれる嗜好品ではなく、靴のような実用品であるというのが本書タイトルの由来。

画像1

個人的に面白かったのは、ホモ・サピエンス時代の遺跡から大量のビーズが発掘される話。オスはメスに気に入ってもらうために、美味しい肉や木の実といった食糧ではなく、ビーズ(アクセサリー)といういわばガラクタを一生懸命作ってプレゼントしていた。私を含め、多くの女性の話を聞いていると、どのくらいお金をかけてくれたのか(お店でおごってくれる,お金をくれる)よりも、どのくらい時間を割いてくれたか(私のために何か作ってくれた,慣れないことをしてくれた,一緒の空間で過ごした)が恋人関係や夫婦関係の満足度に強く関わっているのではないかと考察することがある。

現に、うちの祖母は私が家事を手伝おうとすると「私には私のやり方があるから」と言って断るのだが、料理をしている祖母の横で話し相手になると喜ぶ。なんだそれ、と弟は不思議がる。祖母的には、同じ時間を共有して、料理のストレスやめんどくささ、ちょっとしたハプニングやアイディアを共有できるから嬉しいのだろう。ホモ・サピエンスの時代は食べ物にありつけなかったら、皆死んでしまうシビアな世界。より優秀なオスを見つけるためにジャッジしていたのだろう。こんな感じに↓

判断基準➀: 食料調達をして生命維持ができること。→メスや家族を守ってくれる。

判断基準②: 自分のことにどれだけ本気で一途なのか。→時間を割いてくれる。

言い換えるならば、経済力と一途さ。

画像2

結構、現代と似通ったところがあると感じた。このように、案外人間の本質的な部分は時代を飛び越える。過去から考察する力がある人間は歴史を学ぶに越したことはない。だって、過去を再現することはできないけれど、教訓として携えて、より良い人生を歩むヒントがたくさん散りばめられているのだから。本書タイトル『歴史とは靴である』にはこのような思いが込められているのではないかと思った。もちろん、これは単なる一部分にすぎないだろうけど。


磯田さんが語る日本の教育

磯田さんが日本の教育について言及している箇所がいくつかあった。現在手元に本がないため、引用できないのが申し訳ないが、私の解釈も含めながら解説していこう。

➀知識の詰め込み教育も大切

自分の興味のあることをとことん追求するためには、引き出しがないとキツイ。だから、学校教育で行われる系統学習は効率的にすべての教育内容(学問分野)に触れる最初で最後のチャンスだ。大人になってから、教科書を全部読破するってないですよね。あれだけ幅のある領域に一気に触れるわけですから、児童・生徒はそこから「これだ!」という原石を見つければいくらでも走り出せる。そういった原石を発見するにはもってこいだ。磯田さんは、学校教育で少しでも触れておくことが、ほとんどの場合は無自覚にも教養(ムダ)として生活や仕事に生かされていくと考えている。この「ムダ」という言葉、私は結構好きだ。

②大学受験という壁

私は、高校時代部活に明け暮れ、それが大会という区切りで引退になってしまい、ぽっかり穴が開いた気分になった。私よりも先に同級生らが一斉に勉強する様子に違和感を抱き、なんだか勉強にやる気がでない高校3年生を過ごした。今思えば、当時の私はまだ大学受験というのがよく分かっていなかったし、大学受験よりももっと大事にしたい今があったのかなと思う。あの時に頑張って受験を乗り越え、現在様々な分野で活躍している友人たちを見ると、やはり勉強は裏切らないと実感するしとても尊敬する。ただ、100%受験にコミットできなかった自分を悔んだりすることはなくて、自分の興味のあることを誰にも止められず、見返りも求めず、ただ純粋にとことん追求できる大学という場所。私はこういう場所を求めていたんだと思うようになった。

磯田さんは、好奇心や追求心を追い続けた結果、気付いたら学者になっていたのかなと。大学の偏差値で測れるのは、目標に対して正しい努力ができたかどうかであって、それが社会でエネルギッシュに活躍できるかには直結しない。そんなメッセージを感じる。

③文系軽視の傾向

教育学研究科にいると、文系の研究領域がものすごいスピードで縮小しているのを実感する。歴史学に限らず言語学、教育学などの大学院に行ったところで、就職浪人に溢れ、社会のお荷物なんて言葉もちらほら。いわゆる生命科学や物理学、機械工学などの理系を批判しているわけではなく、学問には優劣がないのではないかと主張したい。経済や政治とは切り離して「学問の自由」や「学問の多様性」というのを担保してほしい。とはいっても、大学進学者に占める理系の割合40%でまだまだ低いので、理系が増えた方が良いのは間違いない。

でも、「学問の自由」や「学問の多様性」を日本国内で見ようとするのは視野が狭い。もし日本ではイマイチな研究分野をやりたいのなら、それに強い海外の大学に進学するという考え方が当たり前になっていくだろう。そのくらい世界はシームレスになっている。そういう側面もあるよなあと。

画像4

「よし、教育に強い大学を探そう。」

最後までお読みいただきありがとうございました💛


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?