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生の血を飲んで、いのちについて考えた話

ごくんと、つばを飲み込み、息を吸って、吐いて、
心の中で「いただきます」と唱えてから。

私は人生で初めて、ヤギの血を飲んだ。

私にとって、生きることを考えるのに必要で、本当に貴重な経験だったと、今振り返って思う。

だいぶ前のことだけど、マサイ族の村に行ったときのことを書こうと思う。

当時はいろいろ刺激が強すぎて、しばらく書こうか迷っていた。でも、あの時の感覚を忘れたくない、ちゃんと言語化しなきゃ、と思ってすごい時間をかけてブログを書いたのを覚えている。

タンザニアにいたのは、もう4年前のことだなんて。
時が経つのは早いものだ。

家、ついて行ってイイですか?

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鮮やかな服を来たマサイ族の村の女性たちが、お出迎えしてくれた。
お母さんの背中にまるっと包まれたちっちゃな坊やは、歩くリズムと一緒に揺れている。

異世界だった。砂漠の真ん中に、ぽつんと人の営みがある。
ここで、どうやって生きているのか。ふしぎ発見の番組に入り込んだような気分だった。

そして、みなさんが暮らしているお家についていくことになった。

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お家はこんなかんじ。
中に入ると、ひやっと湿っていた。外の熱気はどこへやら。
もちろん、ガスも電気も水道もない。

土っぽいので出来ているんだなぁと壁をぺたぺた触っていたら、マサイ族の方に「これは、牛の糞とセメントを混ぜ合わせたものだよ」と言われて、「おおおまじか」と驚いた。嗅いでみたけど、全然臭くなかった。

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暖をとったり調理するために部屋で火を焚くんだけど、その煙が上にのぼって、天井に溜まって固くなったものを棒で削ると、こんな土みたいなのがほろほろと落ちてくる。これをマサイの人は、胃薬として飲むらしい!

正露丸チックな爆弾感があるけど、効くのかなぁ…。

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女性は耳たぶに大きな穴が開いていた。
ビーズで作ったアクセサリーが、たくさん。すっごい美しかった。
耳の穴は、小さい頃に開けて、時間をかけてそれを徐々に広げていくんだって。穴にプレートのようなものを入れて、定期的にプレートを入れ替えてどんどん穴を大きくしていく。

私も実際に耳に同じものをつけてみたんだけど…

「重すぎぃぃ!!耳たぶ引きちぎれるわ!!!」

と絶叫した。マサイの方の耳たぶは頑丈だ…。

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首の周りにある白い土星の輪っかのようなものが、ジャンプをするとアクセサリーとぶつかって、シャンシャンと音がなる。

「お前もつけろ!」と言わんばかりにその土星の輪を頭からかぶらされ、一緒にジャンプした。音がなるのはけっこう楽しい。シャンシャンわいわいしてたら、

「ヤギがとれたぞ」
と、遠くから声がかかった。


ヤギの生捌きをお目にかかる

ぞろぞろと男の人がいるところに行く。
ヤギが一匹、横たわっていた。

マサイ族の人がその動かなくなったヤギを取り囲んで、ナイフで綺麗に捌いていく。皮をすーっと剥ぐと、その下に半透明の膜があって、それを破ると真っ赤な内臓が見えた。内臓を素手で取り出し、器にほいほいと入れていく。まるで、手術をしているようだった。

本当に、真っ赤だった。
この生の肉を、そのまま食べるんだ、マサイ族は。
その光景を見るのは人生で初めてで、気がついたら眉間にしわが寄っていて、顔がこわばっていた。

こういうのはグロいな、って目を塞いでしまう私だけど、頭のどこかで、しっかり見ておきたい、見ておかなきゃいけない、とも冷静に思っていた。

2メートルくらい離れたところから、一部始終を見ていた。何回も顔が歪んだと思う。

内臓を取り終えてから、マサイ族の人が血を飲んでみたい人ー!って私たちに聞いた。周りにも欧米系の人がいたんだけど、「oh my goodness definitely NO 」って声が聞こえた。誰かは小さな声で「野蛮だわ」って言ってた。

マサイ族の人はこの血を飲んで生活しているんだよなぁ。
どんな生活しているか目の前で見ていて、経験できるチャンスがあって、これを逃すのはもったいない。
そう思って、数歩前に出て、2メートルの距離を縮めた。

「私、飲んでみたいです。でも、少しだけで大丈夫です!
ほんとに、すこーしだけで。」

ただひたすら「キドーゴ!(少しだけ)」と言ってたら、「ハイナシダ~(大丈夫だよ)」とマサイのおじちゃんは茶色い歯を見せた。

マサイの人が小さなプレートを持ってきて、それでヤギの体の中にたまっている血をすくった。

一口くらいの量の血は、少し赤黒くて、どろっとしていた。

一気に飲もうか、ちびちび飲もうか。

未知なるものを目の前に鼓動がどんどん速くなるのを感じながら、ゆっくりとプレートを唇のもとに持っていった。

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唇が血と触れ合った瞬間、重みを感じた。

そして、びっくりした。


…あったかい。


体温だった。

いのちだった。

ただただ五感で、味わっていた。


さらさらしたものではなく、例えるなら濃厚なポタージュみたいな感触。舌の上が、錆びた鉄の味でいっぱいになる。匂いはそこまでない。臭くない。ちょっぴりスモーキーだなと、息を吐いた時に鼻の奥の方で感じる。

勇気を出して喉に流し込んだ時、数滴の血が、喉の壁をゆっくりと伝うのを体全体で感じていた。とっても、不思議な感覚だった。生きた血が、体に入っていく。

ごちそうさまでした。

少し先に見えるヤギを見て、そう思った。

一口の血をいただいた後、体で感じていたことを、頭がいろいろ処理しようとしてたけど、全然追いつかない。ぼーっと、砂漠に舞い上がる砂埃を見ていた。鼓膜と心臓が隣り合わせになったかのように、耳の奥で速くなる鼓動を聞いていた。

口の中がしばらく血の味がしたので、水を口に含んで吐き出したら、真っ赤な水が口から出た。それを見て、ぎょっとした。


マサイ風アフタヌーンティーをしながら

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マサイ族の人の自家製ミルクティーを飲みながら、マサイ族の方とお話した。

ヤギや牛を毎日遊牧する生活について。生まれてから死ぬまで、ずっと、遊牧と狩りをして過ごすことについて。

たまにキリンを狩ることもあるんだって。キリン1頭で、村全体で1週間は生活できるらしい。そして、ライオンを狩ると、勇者のしるしがもらえる。ガゼルとかヤギとか牛とかを狩っても、しるしはもらえないらしい。

そのしるしっていうのは、腕にあって。

どうやってこのしるしを付けるの?って聞いたら、「赤くなるまで熱した鉄の輪を、じゅぅっっと腕に当てるだけだよ!ハハハ」って、自慢げに腕に残るそのしるしを見せてくれた。どれだけ強い男なのかは、どれだけ狩りをしっかりできるか、で証明できる。だから、とっても大事なしるし。

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私も似たようなしるしある〜!って自分の腕にあったハンコ注射の跡を見せて、ケタケタ笑い合ったのはいい思い出。

まさかこんなタンザニアの奥地でマサイ族との共通点になるなんて、ハンコ注射の跡自身、絶対思ってなかっただろうな。

人生は短いから

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いろんな感情がぐるぐるしながら家に帰った。同じホームステイ先にいるスウェーデン人のJoelに、ヤギの血を飲んだんだって言ったら、
「WTF なんでそんなことしたの? You are way too brave..... (ドン引き)」って文字通り目をまんまるにして言われた。

because life is short.
人生は短いから。

答えはこれに尽きる。

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「僕みたいな毎日病院で働いている人は、血が一滴でも自分についたら終わりだから、血がどれだけの病原体を運んでいるか知ってるから、もう考えられないよ。血を触る、ましてや飲むなんて…!」

その上に、彼はタンザニアではベジタリアン。肉も魚も食べない。スウェーデンではビーガンだから、卵も乳製品も食べない。動物が関わっている食べ物は一切口にしない。

I just don’t like killing って言ってた。

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彼がマサイ族の村に行った時の経験を話してくれた。

「僕は肉を食べません。」

って村で言ったら、マサイ族の人みーんなびっくりして、「じゃあ何を食べてるの?」聞かれたらしい。「野菜だよ」って答えたら、不思議がられたようで。

「肉以外に食べるものはないでしょう?」って聞くマサイ族の人に

「じゃあ牛は何を食べているの?野菜だよね。牛を殺す代わりにそれを食べればいいじゃないか」

って言おうとした時、「これは価値観の押し付けだ」って気づいて、結局何も言わなかったんだって。

ちなみにマサイ族は、動物の肉と、血と牛乳で、生きている。(動物は主に牛)野菜はほとんど食べない。

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これはマサイ族が牛乳を入れるのに使っている水筒。ひょうたんから作られているよ。私たちが飲んでる牛乳は低温殺菌されているけど、マサイ族は普通に牛乳を殺菌せず飲む。お腹を壊すことは、まったくないんだって!

ヴィーガニズムから見えてきた世界

Joelと、ヴィーガニズムのことについて話した。この世界には、飢餓で苦しんでいる人が何億人といる。そんな中、私たちは牛に与えるためだけに穀物を育てて、牛を食べている。

その穀物で、どれだけの人間が救えるか、考えたことある?

彼のこのフレーズから、夜な夜な語った。そして、私がスウェーデンに留学していた時、4ヶ月くらいベジタリアンだったことも話した。

ヴィーガニズム:Veganism
完全菜食ならびに動物性製品を使わない主義のこと。 ヴィーガンは、ヴィーガニズムを実践する人のことです。 ヴィーガンはベジタリアンの一派ではありますが、ベジタリアンは赤身肉さえ食べなければ乳製品を食べたり卵を食べたり魚を食べてもよいことになっているので、ベジタリアンとは区別されます。

20歳の誕生日を境に、ベジタリアンになってみよう。って思って、なってみたこと。ベジタリアンになった次の日にケバブをうっかり食べてしまって、この上ない罪悪感に苛まれたこと。体調が悪くなって、爪がボロボロになったこと。結局、4ヶ月しか続かなかったこと。正直に話した。

私がベジタリアンに興味を持ったのは、留学中スウェーデンの大学で取っていた、Critical Animal Studiesっていう授業でヴィーガニズムを学んだのがきっかけだった。これは、動物を、社会学、心理学、歴史学、経済学、自然環境学、人科分類学…etcの観点からクリティカルに考えてみようというもので、かなり学際的に新しいフィールド。

一緒に授業を受けている人は、ベジタリアン、ヴィーガンだけでなく、獣医さん、お母さん、心理学専攻の人、インド文化を学んでいる人、学校の先生になりたい人…もちろん留学生も取れる授業なのでとっても国際的で、バックグラウンドも様々でした。ちなみに教授2人はヴィーガン!

その授業でたくさんのドキュメンタリーを見たりや論文を読んだりして、不都合な真実を突きつけられた。

お時間がある人は、これをぜひ見て下さい。私は授業中に見たこの3分間に、心をボコボコに殴られました。


ホルモン剤を打たれて、身動き取れないケージの中で、ただひたすら人間に食べられるために生産されている動物たちがいること。

動物を育てるために莫大な水や飼料が消費されていて、それが環境問題につながっているということ。

飢餓で死ぬ人がいる一方で、肥満で死ぬ人がいるということ。

その他にもいろいろあるけれど、上記またはそれ以外の理由を考慮して、ベジタリアン・ヴィーガンになる人がいる。

ベジタリアンやヴィーガンという異文化を体験してみて、新しく見える世界があった。

価値観がガラッと180度変わったわけではないけど、その4ヶ月、栄養のことをもっと考えるようになった。いのちが、この資本主義経済の中でどう扱われているのか関心を持つようになった。

肉を食べない代わりに、どんな栄養素が足りていなくて、どんなものを食べたらいいのか。ファストフードのお肉は、どのようにして作られているのか。お肉を増やすために動物たちはどんな薬を体に打たれているのか。

最後の論文では、私がベジタリアンになると決めてから、どのように世界に対する考え方が変わったか。そして体が変わったか。その軌跡について、日本の食文化の変遷を交えながら書いた。

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私たちが日常で口にするお肉の大半は、命ではなく、「モノ」として、工場で生み出されているんだなぁ。

残忍だと思われてしまうところは、消費者には見えなくなっている。

その綺麗にトリミングされて闇に葬られた部分を、直視することなく、私たちはスーパーでパックに入れられた整った肉を手に取る。

そんな世界に住む私が、ヤギが1頭、村の中で殺されて捌かれているのを見て、「グロい」「かわいそう」「残忍」とかよく言えたもんだ。

工業化された、殺すために牛を人工的にぶくぶく太らせる文化の方がよっぽどおそろしいんじゃないか、って思ったりした。

文化は相対的

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マサイ族の、動物を食べる文化。
資本主義化された世界で生きる私たちの、動物を食べる文化。
同じように、動物を食べている。
どっちがいいとか悪いではなくて、ただ違うだけ。

でも。

マサイ族の人たちの、牛を大事に育てて、牛の肉を食らい、血を飲み、皮はカーペットにし、骨はアクセサリーにして、糞を固めて家を作り、時には牛を貨幣として物々交換する文化を見てから、
いのちを大事にするその姿を見てから、
私自身が、生きている血を口にしてから、
しっかり、いのちに感謝して、いただかなきゃ。

子どもの頃から教わってきたことけど、
この実体験を通して、そう心から感じた。

いのちを食べて生きていく上で、この経験は、絶対忘れちゃいけないな。
スウェーデンで学んだことが、タンザニアでの経験に繋がった1日だった。

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ちなみに、noteの背景に使っているのは、マサイ族が住む場所で撮ったこの写真!

マサイシュカというマサイ族の人の伝統的な布がとってもビビッドで、遠くにいてもすぐ分かる。あの鮮やかさは、血と似ていて、今もずっと頭から離れないでいる。

かなり長く書いてしまった…。

みなさんにとって、明日もいい1日になりますように!

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