見出し画像

会話って損ばかりじゃない?

人と話すことで、自分の価値を下げてしまっている気がする。
最近、いや長年の悩みだ。


久しぶりに学生時代の友人と話した。
誘ったのは私だった。

最近仕事どう?
引っ越したんだっけ?新しい町は住みやすい?
そういえば習い事始めてさ――。
こんな感じで話は進んでいった。

近況報告会といえば、なんだか堅い響きだけど
互いの頑張りをたたえあって、モヤモヤを愚痴りあって
趣味の話で盛り上がって、合間においしいものや景色を楽しんで・・・
職場の飲み会よりも感情表現が自由にできて、気楽な時間。
帰宅後も、とてもスッキリした気持ちで眠りについた。

そして夜中にふと気づくのである。
自分、今日もネガティブな話ばかりしてたなあと。

相手は、こんなこと頑張ってる、こんなことやってみてると、なんだかんだポジティブに話をしていた。
一方で自分は、相手を尊敬する気持ちを表現したかったからこそとはいえど
「自分なんかこうでさ・・・(だから、君はすごいね!)」構文を何度使ったことか。
見方によれば、自分は愚痴ばっかりのダメ人間です!という過剰アピールになってしまっていなかったか?

そこで生じる不安が2つ。

1つ目。
この人めんどくさいな、この人と話しても楽しくないな・・・と思わせてしまったかもしれない

別記事でも触れているのだが
会話には、愚痴、楽しかったこと、謙遜、成果をバランスよく話すことが大切だと私は考えている。

それなのに、自らそのバランスを崩す愚行をしてしまった。

2つ目。
自分を大切にできなかった。

相手ほどじゃなかったかもしれないけど、いや、もしかしたら相手よりも
頑張っていた部分があったのに。
それなのに、歪曲した。

とにかく謙遜していれば、相手を攻撃することは絶対ないからと、
逃げたのかもしれない。
けれども、自分が他人だったら、こんな扱いした?
謙遜なんかした?目いっぱい褒めたんじゃない?
褒めたら自分はさらに頑張れただろう。
相手も自分を見直して、尊敬してくれたかもしれない。
そして、さらに切磋琢磨できたかもしれない。

こうやって無意識に自分を傷つけている。
どんどん卑屈になる。被害者意識が芽生える。
そうすると、どこかで他人と喧嘩になってしまい、傷つけることもありえる。
自分も他人も不幸せにして、一体何がしたかったのだろう。


結果として、自分の価値を下げてしまった。
こんなことになるなら、友人なんか誘うんじゃなかった。
と、後悔するのである。

「やらなかった後悔よりやった後悔」とはいうけれど、自分にとって
人と話すことはデメリットばかりに思える。
課題が分かっているなら改善すればいい。
たしかに、過去、改善がうまくいったこともあった。
しかしながら結局、人というものは根本から変わることは難しく
ちょいちょい戻ってしまうのが厄介なのである。

人と関わり合うことは必須の世の中である。
訓練だと思って挑戦するしかないと分かってはいるけれど、
したことで幸せな出来事が起こるとは限らない。
起きたとて、その出来事に自分が幸せを感じられるとは限らない。

人と話すことで得られる喜び、成長、価値って
ハイリスク・ハイリターンみたいなふりして、
ハイリスク・ローリターンだよね、ほんとにさ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?