朝も昼も夜も、自分に優しくていいからね。
上手くいかないときって、焦る。
何やってんだろうとか、こんなことしてる場合じゃないのにとか、頭の中でぐるぐると考えが巡る。
巡って巡っても終わりなんかなくて、ただその場を周回しているだけとわかってるのに止められない。
今日もついさっきまではそうだった。
人に会うのが怖い、時間が過ぎ去っていくのが怖い、何もできない自分が恨めしい。
あれよあれよというまに、ネガティブ思考の泥沼に沈みそうになっていた。
けれど、今日はちょっとだけ何かが違った。
「今の私に必要なのって、もしかして"ご自愛"なんじゃないかな」
私にしては珍しく、とびきり自分に優しくしたいと思ったのだ。
電車で乗り合わせた小さな男の子が、大きな声でわんわん泣いていたのがきっかけだった。
泣いている人、特に小さな子どもを見れば「泣かないでね、大丈夫だよ」と声をかけたくなるし、なんとかして元気づけられそうな方法も探す。
それって、大人になっても、自分に対してもたぶん同じなんだと思った。
自分の中に小さな子どもを思い浮かべて、その子が泣いてすっかり落ち込んでいるとしたら、自分ならなんて声をかけてあげるだろう。
きっと、とびきり甘やかして、話を聞いてあげて、元気にまた前を向けるようにと背中を押してあげるにちがいない。
それは今、自分も必要としていることだ。
とびきり甘やかされて、気持ちを吐き出して、また前を向くために背中を押されるのを待っている。
「何やってもダメな日もあるよ、そんなときは思いきってゆっくりしちゃおう」
そうやって自分に言えるようになることが、大人になるということなのかもとさえ思った。
そうと決まれば、自分に優しくするほかない。
さてどんな方法でご自愛してあげようか。
考え始めたとき、眠れない夜を過ごすときと同じワクワクした気持ちが込み上げてきた。
そうだった。
自分を甘やかすことの大切さは、眠れない夜を幾度も過ごしていく中でわかり始めていた。
なのに、朝が来た途端自分への期待値が爆上がりして、ついつい頑張ろうとしてしまって、期待とは裏腹に何もできない自分に落ち込んでいたのだ。
馬鹿だなぁ。
朝も昼も夜も、自分のことの甘やかして楽しく過ごしていいに決まってるじゃんか。
やっとやっと、私は私に笑いかけられた気がした。
「なにしてあそぼっか?」
その問いかけに、心に浮かべた小さな子どもは泣くのをやめて驚いた顔で振り向く。
自分に優しくしていいのは、なにも眠れない夜に限ったではない。
朝も昼も夜も、あそんだりのんびり過ごしたりして、自分を癒してあげていいのだ。
ごく単純な気づきは、私の心を羽のようにとまではいかないけれど、ずいぶんと軽くしてくれた。
これからは、自分の楽しいこと、嬉しいこと、心地よいことをたくさん見つけて、めいいっぱい自分を労れる人生にしていきたいな。
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