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ヨロシクおじさんと永遠の看護師

入院していた時、怪談というよりはいたずらに近い夢を見た。

今のようなコロナ病棟とは違うからか、その病室では穏やかで静かな時間が流れていた。

昼間、向かいの病室から何度も聞こえる声があった。

「ヨ・ロ・シ・ク~! ヨ・ロ・シ・ク~!」

一字一字をくっきり&ゆっくり、割と大きな声だ。
障害を持った方なのか、痴呆の方なのかは分からないが、声の主は五十を越えていそうだった。
同じ言葉とその声が午前中だけでも約20回は聞こえた。

彼の発声は毎日、元気で明るい。

私は暫くの間、トイレに行くときしか移動が出来ず、しかも看護師に車いすを押してもらわないと病室から出られなかったので、どんな人なのかは実際、分からなかった。

しかし、声はあまりに何度も聞こえていた。
車いす生活が終わったら私もその人にヨロシクと言い返しに行こう、と思っていた。

なにしろ、入院生活は退屈だ。
たまたま痛みもそれほどなく食事も出来る状態だったからというのもあるが、テレビもYou-tubeも見放題、本も読み放題、朝も昼も夜も起きていても寝ていても問題なし! ご飯もそんなに美味しくないとはいえ、上げ膳、据え膳。あれしろ、これしろと追い立てられる仕事からも切り離されているといった日々。
普段のわたしなら嫌いな時間の過ごし方ではないはずだ。

それなのに、病室の窓から電車が走るのを見かけると、

あの車両の中には今から勤務先に向かう人とか、得意先へ商談をすすめに向かう人とか、研修を受ける為に向かう人とか、教える為に向かう人とか、お客さんのところへ商品を渡しに向かう人とか、仕入れに向かう人とか沢山、乗ってるんだろうなぁ。緊張して向かったり、心配になりながら向かったり、疲れ果てて帰ったり、ほっとして帰ったりしてるんだろうなぁ~……

……などと想像し、次第に電車が機関車トーマスのドヤ顔に見え、仕事もしていない私をあざ笑っているかのように見えた。

自分でも意外であった。
なんと、

はよ仕事したい……、

などと羨ましく窓の外を眺めていた。
つい一週間前の頭の中とは真逆である。

人間は無いものねだりなものなのだ。

昼寝ると、夜は目がさえてしまう。

その夜は特に眠れず、何度も寝返りを繰り返し、やっと眠れた頃だったと思う。

ふと気付くと病室の灯りが点いていた。
就寝時はベットの周りをカーテンで覆うものなのだが、その時は薄く透けた白いカーテンで覆われていた。
そこに一人の看護師がかなり大きめの車いすを押してやってきた。
この病棟でもわたしが一番可愛いと思った看護師だ。
金色に近い茶髪のボブ、仕事柄あまりメイクは濃くないがDJなんかでも出来そうな感じのする娘。
カーテンの向こうでその看護師が少し背を倒した感じの車椅子を押してやってくる。
思わず起き上がってわたしはぎょっとした。

車いすには185センチ以上の身長はあるかと思われる大男(一番近い有名人だとジャイアント馬場)が座っていてこちらを向き、少し笑ってこう言った。

「ヨ・ロ・シ・ク~!」

あの声だ!

わたしは咄嗟に恐怖を覚えて、言葉を返す気持ちも失せ、傍のシーツを握りしめていた。
そもそも、こんなおばはんや高齢者ばかりとは言え夜更けの女性の病室に男性患者を運んでくるとは何事なのだ? とは思ったのだが叱ることも出来ずに、怯えてその看護師と車いすのおじさんをじっと見ていた。

すると、看護師はその薄く透けるカーテンにゆ~っくりと顔を近づけ、両手を添えて小声で囁いた。

「すいませぇーーーん……」

言い方はほんの少し怖がらせようとイタズラをしてみた、といった感じ。
静かだけど表情はちょっと笑っていた。

えええ、なに~~?!

看護師とおじさんはそれだけ言い終わると、気が済んだかのように向きを変えて、病室を出ていった。

びっくりしたけど私はその後、すぐにまた寝てしまったのだと思う。
気が付けば朝だった。

何だったんだ?
しかし、見回すもベット周りにそんなに薄くて透けるカーテンなどないのだ。病室にそんなカーテンがある訳がない。

その朝からヨロシクおじさんの声は聞こえなくなっていた。
前日、亡くなったそうだ。

思い返すとあの時、現れた看護師も変だった。

検温は朝と晩一回ずつのはずなのだが、その夢に現れた看護師がきた時は、なんだか一回余分だった。こっちも寝ぼけて対応しているから「あれ? 何か今日多いな……」と思ったが、多い日なのかな? 担当患者を間違ったのかな? などと適当に考えてまた寝ていた。
見たのはその時だけだ。

まあ、それにしても入院中、本当に看護師さんにはお世話になった。

看護師の買う宝くじの当選確率は通常の三十倍位はあってもいいはずだ!
この娘に良き彼氏を!良き旦那を!良き子どもを!と、神に祈る毎日だった。(祈らなくてもいるだろうよ……)

わたしは入院し看護師の仕事ぶりを間近に見て久しぶりに一日一善という言葉を思い出した。

彼女たちは一日何十善こなしているだろうか。

昼も夜も下の世話をこなし、痛みを訴え絶望を抱える患者に寄り添い、ボケ老人のかますさまざまな言動にも表情を変えることなく対処していた。
当直勤務の人なんか見てると大変過ぎて警察24時より看護師24時をやるべきだよ! と心底思った。患者と交わす人間ドラマとご苦労な場面を何度も見た。

眠れない夜に見た変な夢だったのかもしれない。

でも、もしかしたらあの看護師は自分の仕事の延長線上で、お見送りする役回りを続けているのではないだろうか。と、思う。

たまに些細なイタズラを楽しみつつ、永遠に彼女の奉仕の精神は続くのだ。
愛っていうかさ。

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