アーティストとして生きる(3)ワーママとしての葛藤を超えて。保育園に行かせないという決断
先日、通うはずだったけれど1日も登園していない
保育園に退園届を出してきた。
東京は新型コロナの流行が激しく、
夫の呼吸器系も弱いため登園を控えてきたが、
これで一旦区切りがついた。
夫婦で、メリットデメリットを考えつく限り
ふせんに書いて出し合い、
それらを眺めながらメリットデメリット
どちらとも言えないもの、共通する要素に
分類して、よく話し合った。
色々上記のような試行錯誤をしたけれど
最終的には、私自身の気持ちに一番素直になって、結論を出した。
思い起こせば去年、わたしは馬車馬のように働いていた。
夜寝る間を惜しんで、予定日の2週間前まで働いていたのだ。
マンションのリノベーション現場や打ち合わせ、
ショールームにもガンガンいって、
ガシガシとパースを描き、図面とにらめっこする日々だった。
なんとか予定日の2週間前に自分の仕事を終えて休みに入ったが
息子は予定日より1週間早く生まれてきたので、
実質、産前1週間まで働いていたことになる。
私が住んでいる世田谷は、
なかなか保育園には入れない保活激戦区。
待機児童も多い。
自営業は不利だという。
危機感を募らせながらも早めに情報をあつめ、
なんども役所に相談しにいった。
会社員と違って、いつどこでどんな仕事をしているのか
3ヶ月分の勤務実績の記録を出さなければならなかった。
記載する枠は8時から20時までしかなく、
夜中まで働いていて、
ときに徹夜に近いスタイルで
基本的に起きている間中、ほぼ仕事していた私。
会社員より断然働いているのに。。。という苛立ちもあったが
色々な人がいるからしかたない。
手帳に克明に仕事を記録しながら、
とにかく今のうちに詰める経験は積んでおきたくて、
体調が許す限り、最大限に働いた。
妊娠中は、子供ができたことを嬉しいとは感じるものの、
母になる実感はあまりわかなかった。
想像もつかない世界だったから。
そして、仕事が大好きな自分にとって
ママ業に専念するなんて、耐えられないだろうと思っていた。
自分に母性があるかどうかすらも、不安だった。
そんな状況だったので、
産後はすぐに子供を預けて働く気まんまんだった私・・・。
かなりの過酷な勤務状況もあって、
ラッキーなことに激戦区にもかかわらず、
認可保育園に入ることができた。
しかし・・・出産後に里帰りしているときに
新型コロナが日本に流行し始めた。
東京で感染が拡大する前にと、2月頭に帰京。
ここから自宅にこもる生活が始まった。
4月の入園は延期になり、延び延びになった。
夫婦で在宅ワークをしながら、自宅保育の日々が始まった。
最初は夫が洗濯物をどこにしまうかわからなかったり
衛生観念のレベルが違ったりすることにイライラしたり
衝突することも多かったが、
だんだん彼も学習してくれて
夫婦で分担しながら家事育児をこなすスタイルに。
それでも私の仕事が可能な時間は激減し、
基本仕事ができるのは息子が寝ている間だけ。
ネンネの時期は昼寝も長かったから楽だったけれど
最近は頻度も少なく時間の長さも短くなってきて
ますます時間との戦いに・・・
それでも、この自宅保育期間中にたくさん息子の
成長を目の当たりにできてとても良かった。
だからこの先も、この目でそれを見届けたい気持ちが
私の中ですごく大きくなっていった。
3歳までの大人の関わり方で語彙の数がまったく
違ってくるというアメリカの研究書を読んだこともきっかけの一つ。
仕事に追われることなく、
小さい息子の手を引いて、毎朝のんびり散歩して
いろんな季節を感じながら、
いろんなことを話しながら歩きたい。
いつか、どうせそう遠くない未来に
この手を離れていく息子との
かけがえのない、二度と巻き戻ることない
黄金の時間を大事にしたい。
そんなことを願っている自分がいた。
母性が私に備わっているかも怪しかった自分が
こんなふうに思うことに、我ながら戸惑い、
苦笑いしている。
自分の人生を振り返って、
これからはアーティストとして生きる、と決意したのもあって
息子が幼稚園に入るまでの期間は少なくとも
地に足をつけ、次のステップにむかってジャンプするための
充電期間とすることにした。
仕事は完全にはやめないけれども、積極的な拡販はしない。
腰を据えてじっくりと作品づくりに取り組みつつ、
アートの歴史や本物を見て学び、
また子育てから得られる発見やこどもの創造性に刺激を受けながら
肥やしにしていこうと思う。
ということで、
少しゆっくりしたペースでお仕事していきますが、
仕事スタイルもオンライン中心にガラッと変えて
両立の道を探りたいと思うので
温かく見守っていただければ幸いです。