見出し画像

父親の愛を求めて

「大人はしません。お金は要りません。私とただ食事を共にして、ただお喋りをしてくださる方を探しています。」

出会い系アプリのプロフィールに、私はこう書いた。

最初の一言で、大体の男性は私に価値を見出すことなく画面をスクロールして別の女性を探す。出会い系アプリとは、いくら健全さをアピールしていても結局はそういう場なのだ。あらゆる欲と人間の卑しさが蔓延る、そういう世界だ。

この世界の中で、少ないながらも、私に対して何らかのリアクションをくれる人がいる。プロフィールを読んで尚 大人を求めてくる人が大半だが、中には純粋に食事を楽しみたいと誘いをくれる人もいる。彼らのほとんどが、40代ー50代だ。

偽名で登録したチャットアプリを交換し、少し話し、気が合いそうであれば対面の約束をする。対面してみてお互い好印象であれば、食事をする。
テンプレート化した流れだ。

私は、所謂 パパ活 をする気は無い。お金を渡そうとしてきても、何か買ってくれようとしても、全て断る。交通費さえ、貰う気は無い。
お金で繋がれた関係はなんだか冷たくて、嫌だった。

男女二人で食事をして自分の娘ほどの年齢の私に割り勘を求めてくる人はいないので、食事のみありがたくご馳走になる。世間話をしながら洒落た料理を食べ、グラスに3杯ほどのワインを楽しみ、緊張が解れてくると軽く身の上話をし合う。店を出る頃にはすっかり打ち解けて、互いに笑顔を向け合い、「あそこのお店は何屋さんだろう」なんて他愛もないお喋りをしながら真っ直ぐ駅に向かう。名前も住んでいる地域も知らない二人は、改札の手前で別れ、各々の帰路に着く。

それだけだ。

ここまで読んで、きっとほとんどの方は「一体こいつは何がしたいのか」と思うだろう。お金も貰わず、むしろ自腹で交通費まで出して、名前も知らない初対面のおじさんと食事をするのだ。一見私に何も得がない。

ただ、私は、自分と二周り以上も歳が離れた男性からの愛情に飢えていた。それは性愛ではなく、私は父親からの愛というものを疑似体験したいのだと思う。

私の父は寡黙な人だ。寡黙な上、感情の沸点がよく分からない人だった。私の何気ない言動に憤怒して、胸ぐらに掴みかかってきたりすることさえあった。
話しかけても反応が返ってくることはごく稀で、基本的には全て無視。苛立った顔をして溜息を吐きながらその場を去ってしまうことがほとんどだ。


父は私が幼い頃、毎日始発で出勤し、終電で帰ってきた。私の中に、父の腕に抱かれた記憶は、たった1つしかない。
小学生に上がるまでの私の記憶で、父が登場するのはこの1シーンだけだった。


私が小学生2年生になると、父は年に2回ほど私をサッカーの試合に連れて行ってくれるようになった。試合は大体土曜日で、試合を見に行く時は駄菓子を200円分買うことを許してくれた。
私はサッカーに全く興味がなかったけれど、サッカーについてなら父はたくさん話してくれた。だから、誘われれば必ずついて行った。
父と選んだその5つほどの駄菓子たちを小さなリュックに詰めてスタジアムに向かうことが、スタジアムが近づくにつれて父の声が熱を帯びていくのを感じることが、たまらなく嬉しかったのを覚えている。


ところが、私が小学5年生に上がった年、父の単身赴任が決まった。距離にして350km、車で片道7時間の距離だった。
父との唯一の交流であったサッカー観戦が、無くなった。


父が家に帰って来たのは私が中学2年になって暫くした頃で、実に4年の月日が経っていた。その4年間で思春期を迎えた私は素直に父の帰宅を喜ぶことが出来ず、父もまた、元の寡黙な人に戻っていた。時々話しかけても、嫌そうな顔をして立ち去るだけだった。

私と父の交流は、ここで途絶えた。


父の帰宅から更に5年が過ぎたが、今も父との会話はほとんどない。同じ家に住んで同じご飯を食べているのに、一切言葉を交わさない。目も合わせない。私がリビングにいる時は父が自室に篭もり、父がリビングにいる時は私が自室に閉じこもる。
時々家族で外食することになっても、会話がない。笑顔がない。

数ヶ月に一度、メールで一方通行の業務連絡を送り付ける/られることしか、関わりがない。

私の中で、父から受けた明確な愛情はたった一度の抱っこと10回にも満たないサッカー観戦、そして衣食住と学習環境の提供くらいだ。
誕生日プレゼントも、貰ったことがない。

恐らく愛されていないのではなく、愛を伝えられたことが、表現されたことがないだけなのだ。
それでも、私は酷く寂しい。

お出かけしなくても、何かを買って貰わなくても、日々の会話だけでもあれば私はこんなにも"父親"を求めるようにはならなかっただろう。
父親との何気ない会話や共にする食事、親子の間ならごく自然に行われるでろうそれらに憧れ、欲するあまり、父親と同年代の相手を探し、食事をし、お喋りをする。
父親という愛着対象の代わりに、出会い系アプリで知り合った男性を依存対象にし、価値を見い出してしまう。

愛着障害とも言えるのだろうか。

愚かさを、侘しさを、孤独を、見ず知らずの男性に父親を投影することでやり過ごしている。

惨めな18歳だ。本当に、情けない。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?