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愛するバンドの話 戯言

好きなバンドがいる。特別なバンド。
彼らにはでかいステージに立って欲しいし、彼らの音楽を届け続けて欲しいと思っている。ずっと思っている。
でも、そのバンドには小さい箱が似合うと言う人もいる。その気持ちもわかる。実際でかいライブハウスのチケットは売り切れない。
最近は、小さいライブハウスでのライブチケットさえ売り切れない。
彼らは小さい箱で、数十分の出番のライブにばかりでている。
数字だけではないが、結局数字が伴わないと続けていけない世界なんじゃないかと思う。

約三年前、いろんなことがあってバンドの活動が休止した。
そのバンドが逞しくなって帰ってきた時、彼らは最高の曲を作り、最高のイベントを企画した。
ちょうど同じ頃、コロナウイルスのせいで軒並みイベントが中止になっていた。
彼らの最高のイベントもまた、中止になった。
その時生まれた最高の曲の一部は、音源化されないまま約二年の時がすぎた。

正直もったいないと思っている。
彼らのライブに行って、スペースが有り余っていることが、彼らのライブチケットが売り切れないことが、めちゃくちゃ悔しい。勝手に悔しんでしまう。
もう少し上手くやれば売り切れないわけが無いと思う。二重否定、ややこしい。
つまりこのバンドば絶対にもっと売れるし、売れるべきだと思うのだ。いや、「べき」なんてもんじゃなくて、ただ単に売れてほしいだけなのかもしれない。
この点で特別なのだ。他のアーティストのライブはただただ楽しむだけに行ってる。
スペースやチケットが余っていることなんて、気にもならない。
でもこのバンドのライブに行くと、売れ具合にも目が向くことがある。昔は埋まっていた箱なのに、なんで今はこれだけしかお客さんが入らないんだろうとか考えることがある。多々ある。
(もちろん彼らのライブに行くのも、楽しいからである。ここも重要なので言及しておく。彼らのライブは1番我を忘れて楽しむことができる。多分あれが熱狂だと思う。)
でもそれは、何よりも彼らに、彼らの音楽を続けてほしい、広く届けてほしいからであって、それ以上でも以下でもない。やはり、「べき」とかじゃない。
ただの私欲である。

四時間の往復と、40分のライブ。そこに生まれる価値がどのくらいかは分からない。数字としての価値も。数字以上の価値も。
最近は、出番が短く雑多なバンドが入り乱れるライブにばかり出ることで、バンドの価値が下がっているような気さえする。
とは言っても、そんなのは単なる思い違いで、数字以上の価値が思っている以上に大きいのかもしれない。バンドはライブをして、生で観てなんぼだ。何も知らない奴が、口出しすることなんかじゃない。いろんなバンドが集まるライブに出れば、それだけ色んな人にもライブを見てもらえるだろう。

でも本当にそうなのか?それが最適解なのだろうか。

私はずっと考えていた。
たった数十分のためだけに長い時間とお金をかけるのであれば、その時間とお金を使ってあの最高の曲たちを音源化して欲しい。
都内でばかり自主企画をやっていないで、バンドの生まれ故郷でも自主企画をやってほしい。あのパパラッチとかさ。結構根に持ってたりする。
やるって言ってたやん、楽しみにしてたのに。
新曲のデモがダウンロードできるQRコードなんかも、関東でのライブでしか配らないのはずるい。ずるいとか言い出したらもうそんなのは結局「1」でしかないうるさいファンの嫉妬になる。あまり故郷に来れないのは分かるつもりではいるから、デモ音源くらいはこっちにも届けてくれれば良いのに。とか。
出番の短いライブにばかり出ていないで、大きいステージで長丁場ワンマンライブをしてほしい。絶対遊びに行くからさ。とか。戯言。

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