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「テストで良い点数をとる」現代教育の違和感


「テストで良い点数をとる」現代教育の違和感

テストで良い点数をとることが、小学校から大学まで一貫して求められる。子供たちは良い点数を取ることが使命となる。良い点数をとれば、優秀、努力家、真面目とみなされる。良い成績がもらえ、友達から尊敬される。先生から褒められ、親からも褒められる。良い学校に進学できる。単位がもらえる。就職で有利になる。


我々は、子供の勉強の度合いをテストによって評価する。当然ながら子供は、テストで良い点数を取ることが真っ先の課題となる。
そして実際に、テストの点数によって評価することが勉強のモチベーションとなる子供が多くいるのは確かである。彼らは資本主義に正しく則り、己の時間と労力を引き換えに報酬(良い点数、良い成績、良い学歴など)を得ようとする。親はしばしば、子供にテストで良い点数を取らせるために、塾などの教育サービスを購入する。

しかし、そのようにして勉強の度合いをテストによって評価し成績を与えるような勉強を資本主義のモデルのうちにおく教育システムはまた、子供に勉強に対するモチベーションを下げ嫌悪感を抱かせる。なぜなら、子供たちは差し出す時間や労力が、勉強によって得られる報酬とほとんど釣り合わないことに疲弊するからである。
勉強は、費やした時間と労力に比例してテストの点数が上がり、成績が上がる、などのような簡単な話ではない。むしろ、どれだけ時間や労力、ときにはお金を費やしたとしても遙かに出来の悪い点数が返ってくることのほうが多い。そして悪い点数をとれば、出来の悪い子、怠け者、不真面目とみなされ、友達からはバカと思われる。悪い成績が与えられると、親は、高いお金を払って塾に行かせてるのになぜだ、と不機嫌になる。学校や就職の選択肢の幅は狭まる。
そのような直接的な示唆がなくとも、悪い点数をとれば快く思う子供はおそらくいない。平均点との差を見るだけで、あるいは良い点数を取り褒められている他の子どもを見るだけで、それに比べて自分はバカなのかもしれないと無意識的に自己嫌悪に陥ってしまう。そして、悪い点数と自分のイメージの認知的不協和に苦しみ、より不真面目に勤しみ、出来の悪い子を演じ、元々勉強が嫌いだから上手くいかないのもしょうがないと理由付けをする。


このようにして、テストによって評価する現代の教育システムは、子供を簡単に勉強嫌いにさせる。
そして、子供の頃に感じた勉強に対する嫌悪感は、身体の奥底に根強く残り、長らくやる気や可能性を吸い取っていく。



現代の教育は、いささか子供に「テストで良い点数を取る」ことを強要しすぎているように思える。


そもそも、勉強の本質とはいったい何なのだろうか。
教育とは本来、子供に何を与えるものなのだろうか。


我々はこれらについて、今一度考えなおす必要があるのではないか。



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