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移住先の広島県で私の「おじいちゃんち」を見つけた話。

東京生まれ東京育ち、両親祖父母、親戚みんな東京出身の私は子供の頃から夏休みや冬休み前になるとよく耳にしていた、
「休みはおじいちゃんおばあちゃんちで過ごす」という言葉にひどく憧れていました。

当時私が住んでいた東京の小学校では、クラスの半数ほどの友達が長期休みになると両親の実家に帰省してしまい、子どもの世界では、街がガランと静かになってしまうのがとても寂しかったのです。


広島県尾道市に移住し、リモートワークしながら暮らしていると、あの時の気持ちがよく蘇ってきます。


しまなみ海道にある島々にひっそりとたたずむお寺や自然。

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お祭りの後、氏神様に日々のお守りを感謝する人々。

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控えめな夜更けの外灯が照らし出す美しい神社。

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ゆっくりと走る島渡しの船から見る夕日。

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18時になるとゴーンと流れるお寺の鐘。

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八百屋さんへ行くと、200円分の野菜を買っただけなのに「もう古くなってきたからついでにこれも待って帰りなー」とたくさん野菜をお裾分けしてくれたり、
海を見ながらデッキで仕事をしていると、何も言わずにそっと持っている飴を置いてくれるおじいちゃんに癒されたり。

子供ながらに夢に描いていた「おじいちゃんおばあちゃんち」ってまさにこんな感じです。


祖父の歩いた尾道。

コロナで海外無期限の旅を一時中断し、尾道に引っ越す事を母に報告すると、「おじいちゃんの勤めていた会社の総本山がある場所じゃない!おじいちゃんはいつも尾道に出張していて家族でも尾道に行ってたのよ。懐かしいなぁ。」と教えてくれました。
祖父が生涯全力を注いで働いた会社のお膝元。実家にある白黒の写真で見ていた祖父母と祖父の同僚、子どもの頃の母。
あれは尾道だったのか!

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「おじいちゃんには本当にお世話になったんですよ。あの頃は反社会運動が盛んで、人事部で働いてた私たちは問題が起きたら夜中でもかけつけて、社員の話を聞き、待遇改善を会社にかけ合う毎日でした。あなたのおじいちゃんに救われた社員がいたんですよ。」

退職してもう随分経つのに、祖父のお葬式に駆けつけ、そう話してくれた祖父の元同僚の言葉が何より嬉しかった事を思い出します。

そして尾道の夜の街を歩いている時、「おじいちゃんも気の合う同僚たちとほろ酔いでここを歩いていたんだろうか」と考えると、祖父の厳しくも優しい顔が蘇ってきます。

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おじいちゃんっ子だった私が大人になり、会社勤めをするようになって、祖父の歩いたこの街でリモートワークをしながら暮らしている。


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そんな偶然も相まって、私は念願の「私のおじいちゃんおばあちゃんち」を尾道で見つけたような優しい気持ちになったのでした。



さいごに。

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