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とにかく感性を磨きなさいと言われた話

私は本当にセンスがありません。

これはファッションの専門学校に通っていた頃の話なんですけど

とある授業で「自分のファッションブランドを作る」というのがありました。

その時ブランドイメージ、つまりブランドの世界観をコラージュで表現するというのがあったのですが

周りの友達は一発で先生からOKをもらう中、私は「何をイメージしているのか、どういう服を売っているブランドなのか伝わらない」と言われて全然OKがもらえませんでした。

4回目ぐらいで「まだまだだけど、もうみんな先に進んじゃってるからいいや」的な感じでOKじゃないOKをもらいました。

コラージュ、あの時は何をどうすればいいのか全然わからなかったなぁ。


周りの子たちはみんなお洒落で、だけど自分は全然センスがなくて。

専門学校在学中に自分にはファッション業界は合わないとわかったので別業界のイベント会社に就職をしました。

でもね、ファッションに関する勉強はすごく楽しかった。
高校で大の勉強嫌いになっていたんだけど、専門学校の勉強は楽しすぎて「これこそが本当の勉強なんだ!」と思ったし、そこから勉強することが大好きになりました。

だから、ファッションの専門学校に行ったことに関しての後悔は全然なくて、むしろ今でも学んだことを結構大切に覚えています。

その中で1番印象に残っているのが「感性を磨きなさい」という教え。

色んな先生がことあるごとに何度も何度も言っていた気がする。

とにかく感性を磨きなさい。

感性を磨いて魅力的な人になりなさい。

それからもうすでに10年以上経ちますが、ずっと私は「感性を磨く」ことを意識してきました。


「とにかく色んなものを見て感性を磨きなさい」と言われてきたのですが、そもそも感性とは何なのか19歳の私にはわかりませんでした。

わからないけどセンスは良くなりたいから、何となくこれは感性を磨けそうだな!と思うものに触れるようにしてきました。

代表的なことで言うと美術館にはよく行くようにしました。
やっぱりアートは感性を磨けそうじゃないですか?笑

美術館だけじゃなくて、いろんな場所に行っていろんなものを見るようにもしました。
洋服屋さん、インテリアショップ、雑貨屋さん、飲食店、それに街そのもの。
どうしてそういうセレクトがされているのか考えながら見ることもあれば、何も考えず、でもその感覚を自分の中に取り入れようと出かけていくこともありました。

読書も感性を磨く方法のひとつです。
特に小説やエッセイは語彙力や想像力を伸ばすだけでなく、言葉のセンスを磨いてくれます。

それに加えて、今ではInstagramやTwitter、YouTubeでも感性を磨こうと思って観れば全てが学びにつながります。

そうやって積極的にいろんなものに触れるようにしてきました。



感性を磨くために源流を知ることも大切にしています。

ファッションならやっぱりコレクション(ファッション・ウィーク)の情報を見ること。
私レベルじゃ世界最先端のファッションショーを見ても理解できないことがほとんどなんだけど、

その解説を見ることで世の中の風に敏感な人たちが何を感じ、何を表現しようとしているかを知ることはとても勉強になります。

(確か今年のSSコレクションはほとんどSDGs関連の表現はなく、多様性に関する発信が多かったという記事を見た気がします。もうすでにSDGsは当然のことだからファッションでわざわざ発信することではなくなった。逆に多様性に関しては問題意識がより濃厚になっているとのことでした。)

それにほとんどの洋服がコレクションからヒントを得て作られているそうです。

アバンギャルド(先鋭的)なデザインからヒントを得て、それをコンテンポラリー(現代的)やリアル・クローズに仕立てたものが、私たちが普段着ている洋服です。

だからファッションの流行はコレクションという源流から流れてくると言われているのです。


また読書なら小説やエッセイだけでなく、美術史や現代アートの解説、哲学関連の本も読むようにしています。

美術館に行ってもアートの背景がわからないと理解ができないこともたくさんあるので美術史や現代アートの解説は必要だし、
小説やエッセイを読んでも思想の背景や歴史を知らないと時々過度な思想に染まってしまう恐れがあります。

過去の芸術や現代アート、思想や哲学はまさに現代のさまざまな文化の源流で色んなものに影響を与えているし、アートと思想哲学もお互い影響を与えあっています。

例えば、心理学者のフロイトが美術史のひとつであるシュルレアリスムに大きな影響を与えているのは有名ですし、シュルレアリスムから日本の「シュール」という概念は生まれています。
気軽に「なんだかシュールだね」と発されるその曖昧な感覚にもしっかり源流があるのです。




10代20代の私は感性とは一体何なのかわからずに、ただただ感性を磨いてきました。

そして30代になって
「感性を磨くとは、自分の内側を磨くこと、そして自分の内側を豊かにすることかもしれない」
と思ってきました。

自分磨きと言って外見ばかりを磨いても、なんだか中身が空っぽな印象を受ける大人はいませんか?

逆に外見は普通だしすごく大金持ちとかでもないけれど、とても豊かでそして奥行きのある魅力を持った大人もいます。

その差は「その人なりの感性を磨いてきたかどうか」によって生まれるものなのではないでしょうか。


さらに概念的な話をすると
(いつもインスタでは具体的に、具体的にと思って書いているんだけど、このnoteでは抽象的・概念的な話もさせてください)

感性を磨くと言うのは「美意識を磨く」とも言えると思います。

そして真の美意識の背景に「なぜそれを選び取るのかという哲学」があると、その美意識はより確固としたものになります。

やがてその美意識や思想・哲学が「その人の世界観」つまり「その人らしさ」を作るのです。

自分らしさを表現することにおいて
「何を選ぶか」はすごく大切だし、
「何を選ばないか」もすごく大切。
その審美眼を磨くことこそが「感性を磨く」なのかもしれません。

たくさんのものを見て、感じて、感性を磨き、
それらを集積しさらに取捨選択することで、
自分の世界観、その人なりのセンスが出来上がっていくのではないかと思います。



私は本当にただ闇雲に感性を磨いてきたのですが、
この方向で間違ってなかった!と思った経験があります。

川崎に住んでいた頃、例によってアートのことは全然わからない私ですが「感性を磨かなきゃ!」と思って東京現代美術館に足繁く通っていました。

あぁ、芸術家の考えていることは全然わからない。腑に落ちない。身になっている気がしない。
まぁでも、清澄白河の街の雰囲気は好きだし、美術館自体の雰囲気も好きだったので通っていました。

それからちょっと月日が経って。
私は中田ヤスタカ率いるCAPUSULEの音楽が好きなのですが、

ある年CAPSULEが今までのクラブミュージックとは全然違った「CAPS LOCK」と言うアルバムを出しました。

一度聴いただけじゃ理解できないような、それこそコンテンポラリーな楽曲たちが集まったアルバムで、発売当初はファンの間でも賛否両論ありました。

でも私はこのアルバムを聴いたとき、東京現代美術館の空気を思い出したのです。
「あ、私、このアルバムの良さがわかる……。そして好きだ……!」

全然何を表現しているのか、何がいいのかわからないまま通っていた美術館でしたが、確実に自分の身になっていたことがわかった瞬間でした。




ここまで感性を磨くということに関して書いてきましたが、私自身はまだ感性を磨くことを意識し出して十数年しか経っていません。

人よりマイナスなところから始めたのでやっと人並みになれたぐらいだと思います。
魅力的な大人にはまだまだ程遠いです。

でも最初に書いたコラージュの話。

19歳の私は自分の作りたいファッションブランドの世界観をコラージュでは作りきれなかったのですが、

今やなぜかInstagramに手帳デコ、つまりコラージュを投稿する日々です。なんていう因果。

もしかしたらこれも感性を磨いてきた成果かもしれません。


ここまでお読みくださりありがとうございます。

インスタでは手帳デコや自分で選んだお気に入りの文具、暮らしに余白を作る手帳術を発信しています。
感性を磨きたいけどそんな余裕がないんだよという方は、時間や気力の余裕を手帳で作る工夫なども投稿しているのでぜひ遊びに来てください。

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