藤が丘から名古屋駅まで歩いた時の話(令和5年版)
名古屋の祖母の家に滞在している。私はこの間、名古屋滞在と云う折角の非日常であるから、自宅からは遠いこの地を思う存分歩こうかと検討していて、実際に昨日は、何かと冬の雰囲気の漂う名古屋の街を祖父のお墓を目指し歩いた。そうして迎えた今朝、「さて、今日はどこを歩こうか」と考えていたら、去年の冬、同じくここ祖母の家に滞在した時の事が頭を過ぎった。その時は、藤が丘駅から名古屋駅を目指して地下鉄東山線の沿線を歩くとかそんな事をやっていた。なんだろう。恐らくであるが、去年私はこの名古屋市の大動脈に沿って足を動かしてみて、楽しかったのだと思う。なので、どこを歩こうか悩んでいた時に、この道の記憶が蘇ったのだろう。
祖母が作ってくれたラーメンを食して、正午過ぎに祖母の家を出た。ちょっと地下鉄に乗ったら、すぐ藤が丘駅に着いた。相変わらず平均所得の高そうな街だと思った。この街の人達はこの大動脈を走る列車に必ず座れるのだろう。しかし、去年の2月7日や今日の私は、座らずにこの街から名古屋駅までの距離を移動している。いや、そんな事は無いかもしれない。何れの日も途中池下駅周辺のマクドナルドで休憩をしたり、コンビニでトイレを借りたりして、一応何回かは座っている。まあ、そんな事は些細な事である。何れにせよ、ちょっと人を見下してみようかと思って文章を打ちかけたが、やめた。些細どころか、しょうもない事である。そんな事をするから、「工楽さんは、僕を馬鹿にしてますよね!?」とか何とか怒られる。あれは確か3年前の事であった。図星であった。頭の悪い人だと思って見下していた人に、鋭い、思いもよらぬ事を言われてしまった。あの出来事は私の恥である。とにかく、今日のこの日記では、大動脈に沿って西方へ足を動かしていて楽しんでいる私の姿をただ表現できればよい。余計な事はしない。
とまあ、そんな風に一年前や三年前の事を思い出しながら歩いていて、前述の通り池下駅周辺のマクドナルドで休憩をしつつ浄土三部経(角川ソフィア文庫)を読んでいたら、そろそろ辺りの光量が落ちてきた。祖母が餃子を作って待っている事からそれ程遅く帰る訳にもゆかず、少し時間を意識して、また歩き始める事にした。マクドナルドを出ると、数十分間前より気温が若干下がっていた。この寒さが、更に去年の2月7日の記憶を蘇らせた。そう言えば去年もこの池下周辺で震えながら歩いていた。そして、今日も去年も、この道で夕陽を見た。夕陽に向かって歩いていた。そして、千種駅を超えた辺りから夕陽が見えなくなった。これも、去年と同じであった。
新栄を超えると、いよいよスーツを着た男性や、コートを着た女性が増えて来た。この人達、今日はどこへも飲みにゆかず、家で夕食を摂るのであろうか。そんな事を思っていたら、今度は3人程で一緒に歩いている男性らの姿も見えた。この集団は、恐らくこれから飲み会だろう。いよいよ日の本有数の規模を誇る繁華街である栄が近付いてきた事もあり、飲み会の想像がしやすくなってくる。夕陽はすっかり落ちたが、大きなドン・キホーテのマスコットキャラクター、どっしり長年も立つ三越の建物、ビルの上にあるハイボールの広告、通りの並木に飾られた数々のイルミネーション、これらの威厳が、この時間のこの街を明るくする。この街はこの時間帯の方が明るいのかもしれないと思う。東海地方の若者は、皆この明るさを求めてこの街へ集まってくるのだろうか。
やがて名古屋駅周辺に着いて、地下街へ入った。地下鉄の乗り場がわからず一々看板を見て進む私は、余所者でかつ田舎者なのだと思う。流れるように人々が進んでゆく。ようやく辿り着いた地下鉄の乗り場にはもう既に多くの客が並んでいた。当然、列車も多くの人が立って乗っていた。例えば藤が丘までこの列車に乗る人等は、早く座りたい思いで一杯だろう。私は何とか座って祖母の家まで帰る事ができた。が、席はそれなりにギュウギュウであり、あまり寛げる空間ではなかった。そして、地下鉄を降りて地上へ上がるとやはり寒い。帰ったら餃子を食べようという思いを燃料にして、祖母の家を目指して後少しだけ歩いた。別にめちゃくちゃな距離を歩いた訳では無いが、やや疲れていたらしい。帰って炬燵に入ったらホッとした。そして勿論、餃子を食べた。餃子はやはり美味しかった。
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