うだうだしていると夕陽が出て来た

この所私は、スマートフォンを弄る以外特に何もせずゴロゴロと布団の中でだらけると云う時間が、あまり退屈では無い。これも一種の秋の夜長なのだろうか。夕食後、普段なら退屈で堪らないそんな時間の使い方を日付が変わる頃まで続け、その後、程々の時間には力が尽き、いつの間にか夢を見ている。そんな日が多い。別に特段面白い訳では無いインターネットのサイトを閲覧したり、何度も見た事のある動画を再び見たりと、その時の気持ちによっては或いは、実にくだらないと思えてならない時間の使い方が、心を落ち着けるのである。

今朝、と言うよりも昼であるが、目が覚めた時は、そのくだらないとも思える愉快な時間の使い方を一旦やめて、珈琲を飲もうかと気分を切り替える事から作業を始めた。しかし、今日に限っては、この作業の開始時間はあまりにも呑気そのものであった。朝と呼べる時間が終わる頃から、とある人と電話をする予定であったのだが、それをすっかりすっぽかしてしまった。時間が過ぎてしまったので結局は謝罪の連絡をした上で、何時もの様に、何事も無かったかの様に、珈琲を淹れに自室を出る他無かった。予定の相手には重ね重ね詫びなくてはならない。

そんな目覚めの後、贅沢にうどんを食し、夏の暑さが力尽きた事をいい事にフラフラと散歩へ出掛け、結局今は例のイートインで読書をしている。たった今、司馬遼太郎の『関ヶ原』を読み終えた所である。そして、次は太宰治の『ヴィヨンの妻』でも読もうかしらんとしている所である。そして、程々に日が沈んで来る時分には、夕食の事を考えて、より涼しくなった散歩道を家へ向かってフラフラと歩く事だろう。更に、夕食やシャワーを済ました後は、冒頭で述べた様な呑気な時間の使い方をしているのだろうと、今から想像がつく。ふと、世界中の人間に全てにこんな堕落をする事が許されたならば、世界中から争いは消えるのだろうかと考える。いや、争いは消えんだろうと指摘をする自分がいる。それでもまあ、私だけは少しだけ抜け駆けをして、少しだけ堕落と言う贅沢をしてやろうと考える。その結果が、この呑気さである。

それはそうと、今日は決して良い天気では無かった。気温こそ程々で、雨も降っていないが、かと言って秋晴れでも無かった。私は、この例のスーパーから帰る時に全面に映し出される夕陽が好きなのだが、この調子では今日は夕陽は無いだろう。と、思っていたら、急に雲の合間から、橙色の光が差し込んで来た。ああ、天気までも予定を変更して、私の贅沢を応援してくれるのかと思うと、何やら少し気分が良い。もう少し読書をしようと思っていたが、夕陽がある今の内に、帰路へ就こうかしらん。迷う所である。

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散歩日記

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