歩いた先に

早朝5時に家を出て、二週間前に参加したプロテスタント教会の日曜礼拝に再び参加する為に京都へ向かった。移動手段は徒歩である。この教会を紹介してくれた桑原さんは、「徒歩でやって来てくれては何処か申し訳無い。」と云ってくれるのだけど、私はこうやって早朝から歩くのが楽しくて仕方が無いので、私としてはこれで全く問題は無い。しかし気を使わせてしまって何だか良く無い気もする。

教会の牧師さんの話は非常に興味深いものが多く、大変理論的で聞いていて楽しい。ご存知の通り私は仏教徒だが、成程基督教も良く出来ていると感銘を受ける。この前頂いた新約聖書を少しだけ読んでみたものの、書いてある事の奥深さに戸惑っていた自分が居た。しかし牧師さんの話を聞けば成程ここはそう云う事が言いたいのかと、ぼんやりしていた事がはっきりとするので爽快である。オススメのYouTubeチャンネル等も教えて貰った。

この様に、牧師さんや教会で仲良くしてくれる人の影響に依って、基督教の面白さを私は強く感じるに至っている。私もこの様な感じで仏教や、歩く事の楽しさを多くの人に伝えたいと思う。仏教は難しいとしても、歩く事の楽しさぐらいはどうにかして多くの人に伝えられないものかと思う。歩く事が何かと特別視される昨今であるが、足は便利な移動手段であり、足を長く使う時間は穏やかで豊かな、健康的で文化的な時間だと思う。この日記を見て歩く事に興味を持った方は是非歩く事に時間を使って欲しい。そして、ご縁があれば一緒に歩きたい。

ご縁と云えば、今日は面白いご縁があった。逢坂山の峠の休憩所で休んでいたら、おじさんの二人組も私と同じ様に休息を求めてこの休憩所にやって来たので、「どちらまで行かれるんですか」と問うた結果、「某市まで、ちょっと」との返事を得る事が出来て、そこから20分程おじさんの二人組と話が弾んだ。幸いにもその某市は私が何かと詳しく知っている市であったので、おすすめの飲食店等を紹介したら、より一層話が弾んだ。

更には暑さについての話も共有し、その末には塩飴とドーナツを贈ってくれたりもした。別れ際には写真撮影をしたりして、また何処かで会える事を願って合掌をした。おじさん達も合掌をしてくれた。そうやって素敵な出会いがあったのはもう何時間も前の事だが、どうだろう、おじさん達は無事に目的地へ辿り着いたのだろうか。今頃楽しく食事でもしているのなら何よりである。

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