穏やかさと不安 24/07/29

陽が、暮れてゆく。夏の昼の騒がしさは夕方になると何処かへ行ってしまう様である。静かさから、少し先の季節の事を感じる。いや、その先はまだあまりにも先の時だろうかと、自制をしたりもする。如何せん、この静かさには私を呼び止める何かがある気がするのである。そして、少し急ぎ過ぎたかなぁと、思ったりもする。どうせ、また昼が来れば歯を食いしばるに決まっている。けれども、夕方が来ればまた後ろを振り返るのである。何も、変わらない。変わりたいと思う気持ちが無くはないが、変わりたくない気持ちの方が強いかもしれない。私が求めているのは、これから先もずっと、夏という季節にはこの夕方の風景にこうして穏やかに浸りたいという、ほんの少しの確かさなのである。しかしながら私には、朽ちてゆく己の姿しか想像ができない。この夕方よりも先に、己が朽ちるのである。

今日はずっと自宅に居た。冷房の効きが悪かったので、外が異常な暑さである事を知るのは容易であった。連日の外出もあり、今日は一歩も外へ出るつもりが無かった。今朝には久しぶりに仏法を聞いたりもした。午後は、水風呂に浸かりながら読書をした。今日は月曜日なのでプロ野球も無く、大相撲名古屋場所も閉幕したので、長々と読書をしていた。休息という二文字が似合う、風の音だけが吹く高原のような、穏やかな日であった。そういう穏やかさを、私は最早信じられなくなってしまった。一旦心が落ち着くと、今度は自ら不安を探し求めてしまうのである。世の中というものは、なんと残酷であろう。不安というものは、探せばいくらでもある。大体、安心という概念は、ただの観念であろう。人が何か無理やり救いを見立てて「安心」と呼んでいるに過ぎないと思う。

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