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お酒がまるで駄目になった

こんにちは、rinnです。
今日は最近のあまり楽しくないことについて書いてみようと思います。()

私は分かりやすいお酒の失敗をしたことはないと思います。

酔うと基本的には口数が減って無口に近くなり、眠くなり、ぼーっとしてくるので終始人の話を聴いてニコニコしているだけになります。

ここで困るのが、飲み会って飲んでおしゃべりになった状態で楽しくコミュニケーションをしたい人が多いと思うんです。(飲みニケーションという言葉もあるくらいですし)

しかし、ほぼ無口になった私は聞き役に徹するだけならできるのですが、能動的なコミュニケーションが全くできなくなります。

どちらかというと、本来の私の姿というのはこちらの方で、お酒を飲んで無口でニコニコ人の話を聴くだけの状態が素の私と言っても過言ではありません。

大学生のときの飲み会で困ったのが、このような状態なので、大人数の飲み会で孤立してしまうことが多々あったことです。

物言わぬ人とは話したくない、楽しくないという人が多かったからだと思います。

「打って響く」の真逆を行く状態になります。

分かりやすいレスポンスも返せません。普段は素の状態を隠してオーバーすぎるくらいのリアクションをする私ですが、お酒を飲んで酔った状態でもオーバーリアクションを頑張って無意識にしようとしているようです。(その証拠に帰宅すると疲れきっている)

しかし、自然な状態ではないので気疲れがハンパない。

まだ大学生の飲み会なら分かるのですが、社会人になるとどうか。

私はホモソーシャルの文化が苦手です。

お笑い芸人でもないのに、無理して面白いことを言わなくても私は良いと思うし、コイツ面白くない、とみなされてしまうとその場に必要ないという視線を感じることもあります。

お笑い芸人はお笑いのプロとして喋りを極めている訳だから、そりゃ笑いを取るのが上手いです。プロですから。

でも、プロでもないド素人である会社員、ホモソの文化に染まりきった人間がわざわざ「面白い」ことをしようとすると途端に乱暴になる気がします。

誰かを下げて笑いを取ることが多いように思います。

私はその文化が苦手です。それは人を傷つけて悪い気分にさせることと同意義だと思うから。

プロでもない人はお笑い芸人の真似事をする必要なんてないと思ってしまいます。

何で小学生のように、過剰に「面白い」ことが求められるのでしょうか。

場の空気を和らげるためのアイスブレイクぐらいなら必要かもしれないですが、必要以上に場を沸かせようと誰かを下げてまで笑いを取ろうとすることに疑問を感じます。

ぶっちゃけ飲み会の文化って何のためにあるのでしょうか。お酒と場のセッティングがなくても、人は仲良くなれるはずです。親睦を深められるはずです。誰かを下げてまで笑いを無理やり取らなくても楽しくおしゃべりできると思います。

むしろ私はその「無理してる感」がキツく感じられることがあります。そんなに頑張らなくても良いのに、みんな何をそんなに頑張ってるんだろうって。

最近知ったこととして、その場にいるのに会話に参加しないことが失礼だと思う人がいるということ。ぶっちゃけ、私みたいに必要以上に人と話さなくても良いと思っている人からしたら、「わざわざ話しかけてやってんのに」と会話に参加しない人をディスる人の話を聞くと「面倒くさいなあ」と思ってしまう自分がいます。

ここで、社会人になるとどうか、というところに戻るのですが、こういった意見を持つ人がいることを察したので、無口になってしまうことを避けています。

最近の私のお酒の失敗と言えば、酔いが回って無口になってしまったことだと思います。

ぼーっとすると人と上手く話せなくなります。

あえて「失敗」と書きましたが、これは社会人の自分としての「失敗」でぶっちゃけ飲み会どうこうなんて楽しければなんでも良いと思ってしまうから、本心では別に失敗だとは思っていない自分がいます。

コロナ禍になってからあまりお酒を飲まなくなりました。

その結果お酒に弱くなりました。

この記事で私は胆嚢と膀胱があまり良くない状態であることについて書いていますが、お酒を飲んだら心なしかその症状が強くなったような気がしました。

余計にお酒を避けないといけない理由が増えました。