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ことばのおまもり

仕事用の鞄に御守りをつけている。京都の東山にある安井金比羅宮で買った心機一転の意味合いがある御守り、安井金比羅宮は縁切り神社で名を馳せるほど有名で、縁を切りたいと願ったら手段を選ばずどんな手を使っても願った相手と縁を切ってくれるという有名な神社だ。縁を切る代わりにその代償も人それぞれ、骨折や交通事故、原因不明の病になる人もいればあっさりと縁が切れる人もいる。実際に一度、願った私も願い、その後、立て続けに大変な思いをした。それほど悪い何かがついていて、しがらみや縁を切るということは大変なことなのだと勝手に前向きに受け取っている。祀られているのは日本三大怨霊の一人とも言われている崇徳天皇と源頼政、改めて崇徳天皇の生涯を調べ直したが諸説があろうとも凄い話だな、と感心してしまう。


安井金比羅宮で買った御守りは触るとリング状のモノが中に入っている。これは安井金比羅宮に参拝する際、大きな石の輪をくぐる事で縁を切り、また反対からまたくぐると良縁を結ぶ、という意味合いが込められている事からその形を形容したリングが御守りの中に入れられたのだとか。何か不安になった時や心が落ち着かない時に私は自然とその御守りのリングをなぞるように触るクセがついている。

人は何かに守られたい生き物で誰かを守りたい生き物でもある。藁にもすがる思いで見えない何かに願ったり僅かな望みや可能性をかけて挑んだり、最後は神頼みに行き着き、自分の意志や手の届く範囲ではどうすることも出来ない事ばかり。御守り一つで心が安心してしまうほど心が弱りきっているのかもしれない。



そんな自分に私は毎日、ことばのおまもりを持たせている。ことばのおまもりとは携帯のメモ帳にいくつかの言葉をしたためておき、不安なときや苦しくなったとき、逃げ道や視野が狭くなり自分で選択肢を狭めていると感じたとき、本当の事が見えなくなり正しい判断が出来なくなったときに見るようにしている。ことばのおまもりの効果は凄いと感じる。心が焦っている時というのは何をしてもうまくいかない。自分に言い聞かせても忘れてしまったり、無意識に反対の事をしてしまったり、そんなときに自分で作ったことばのおまもりを見ると大丈夫だ、と自然と心臓を波打つ鼓動がゆっくりになる。

言葉は自分を守り、人を守ることもできる。誰かや何かを救うことも権利や尊厳を奪うことも出来る。私のことばのおまもりは私を守る為が大前提で作られているが同時に人や物事を正しい目で見る為のおまもりでもある。悲しくも時には感情や思いれがあるからという理由で許したり賛同してはいけないことがある。事実は事実として受け止め、消化するしかないことや権力のある人間が決めたこと、どう足掻いても弁解の余地がないほどの失敗、これらには必ず罰やペナルティが発生してしまう。人は誰かを守りたい生き物だからこそ感情で動き誤った判断をしてしまうこともある。私は何度も事実より目の前の相手を救いたい気持ちで動き、誤った判断をした結果、傷つかなくてもいい人が傷ついたり、起きなくてもいい事態がさらに起きたりと、物事を正しい結論から遠ざけたことがあった。それらを学び大人になりいま、私のことばのおまもりには以下の言葉が連なっている。



相手の感情に飲み込まれない、振り回されない
片方の意見だけに耳を傾けないこと
境界線を引いて接すること
きちんと与えられた仕事をすること
目の前の仕事にコツコツ取り組むこと
誰かに誰かの悪口は絶対言わないこと
思ったこと、悩んだことは人を選んで話すこと
人の負の感情に引き込まれないこと
自分の目で見て確かめること


毎日、誰かと関わる私たちは毎日、誰かの意見や考えに触れているせいで自分の考えや思い、なぜここにいるのか、なぜここで働いているのか、どんなふうになりたくて、夢や目標すら自分でもわからなくなってしまう。選んだこともそれが正しいのかも間違いなのかもわからなくなる。大切な人や物を守りたいのならば、正しい自分で正しい耳と目でいなければならない。


あの人がこう言った、私はこう聞いた、誰かが言ってた。私は私の言葉で私の想いを話せているだろうか、相手は自分の考えをきちんと話しているだろうか、探り合ったり、騙し合ったり、本当の事が話せなくても、せめて私は私の言葉で、声で、表情で、私の想いを伝えたい。毎日そう思っている。


京都府 東山区にある安井金比羅宮の
心機一転御守り
中にはリング状の物が入っています。

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