私の移住した佐伯市は、 両親の故郷 両親は大分市なので、定期的に佐伯市へ帰って来て息子たち(孫)と遊んでくれます。 息子たちもじいじばあば大好きなので、大喜び! 自分もお婆ちゃん子でしたので、 自分達よりも上の世代と関わりをたくさん持つことは子供の心の成長にはとても良い事だと感じます。 帰ってくると、必ず施術をします。 開業するまでは、年末年始しか帰省せず、会話をする機会がなかなかありませんでした。 移住して、治療院を構えて、 18歳ぐらいで止まっていた親子
東洋医学の考え方では、 秋は臓器でいうと 「肺」 が活躍する季節 同時に、負担がかかりやすい季節です。 この時期は特に、 物悲しいや、気持ちが沈みがちになります。 「肺」に関係する「感情」は 「憂う」 です。 ですので、不安感が増したりする事は、季節の影響もあるので、決して悪い事ではありません。 「憂い」の意味を調べたら、 ・予測される悪い事態に対する心配 ・嘆き悲しむこと なるほど。 入り口からもうネガティブなのね笑 これまた東洋医学の考え方で、 金剋木
前回の投稿のきっかけ 来院された80代の女性 肩の痛みで来院され、問題を解消したい理由には 畑仕事ができるように と記入 円背も強く出ており、痛みの原因には 姿勢がとても影響していますという説明を行い、 根本の部分の治療を開始 施術中の会話の中で、 踊りをしていた 事を教えて頂き、踊りの話で盛り上がる でも、 昔みたいに出来ない 声がかかるが断っている などのネガティブな言葉がちらほら きっとこの方は =まだ踊りがしたい この想いに自分で蓋を
治療家として10年 開業して、したかった事のひとつが、 聴く という事。 最近とても楽しいのです。 楽しいというと、少しおかしいかもしれませんが、 以前の職場で、なかなか出来なかった事。 患者さんの数が多く、必要以上に時間を費やせなかった部分がありました。 でもその分、技術にフォーカスでき、今の私が在るのでそれはそれでとても良い経験です。 私が聴きたいのは、 もちろん治療家として 痛みを引き起こす原因になっていること どんな生活をしているのか 知りた
おいおいまた投稿?! 梶川どうした? あいつこんな奴やったっけ?? こんな奴ではありません。 でも、こんな奴に憧れて頑張ってます。 きっかけは、この言葉。 「事実はひとつ、解釈は無限」 最近、ある先生から良く聞く言葉です。 出来なかった という事実ひとつでも、 「〇〇だったからなぁ」 「俺は〇〇だもんなぁ」 の解釈よりも、 「何故だ?」 「こうしたらどうだったのかな?」 ←ここの言語化 出来た という事実ひとつでも 「こうしたら出来た!」 ←ここの言語化
私は、左利きです。 書くのも、箸も、投げるのも、蹴るのも。 利き手や利き足を使うことは、もはや無意識のうちに習得しているものです。 唯一 私は治療の際、 「鍼」を右手でうちます(「刺す」という言葉は鍼のイメージに影響が出てしまうのであえて使わずにいきます)。 当初は、 国家資格取得の為の専門学校で、実技の時はずっと 左で練習し、取得後1年くらいは利き手の左で治療にあたっていました。 もっと臨床経験が積める環境で仕事がしたい!と 前の職場の治療院へ入社、
先程、月数回のサッカーから帰って来ました。 運動は、やっぱり良いです。 佐伯に来てから定期的にサッカーをするようになり、 そこで繋がりも出来、周囲からもエネルギーを貰えて非常に良い関係が築けています。 治療家になってから初めて運動が習慣になりつつありますが、 高校時代とはまた違った感覚でプレーしている自分が非常に面白いです。 仕事で「重心」や「姿勢」に注目しているのですが、 これをプレー中にも意識する瞬間があるのです。 私はずーーっとゴールキーパーしかしてこなかった為
神奈川県川崎市から、大分県佐伯市に移住し、はりきゅうマッサージのちはれを開業してあっという間に1年半が経ちました ここにきて、決断することの大変さを痛感しています いや、今まであまりして来なかったのだと思います だから大変だとかんじるのでしょう汗 このタイミングで、一度自分の事業を見直す機会を頂いたことで 「決断する」ということは、 責任を乗せて実行する とうことに気づけました(遅い!) もちろん、治療に関してはしっかりと向き合って、自分の持っているものを提供
初めまして! 大分県佐伯市ではりきゅうマッサージ治療院をしています、梶川直也です。 ここでは私の事や、身体や健康に役立つ話、あとは、、、うーん、、。。。 まあ、あまり気構えずに、少しでも自分の事を知ってもらえれば! 人の身体、「人」に関わる事を生業にしているので、縁あって関わった方々の身体や気持ちが少しでも晴れてくれれば幸いです。 また書きます! 自己紹介のち晴れ(←これ、続くのか?!)