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1999年から通信販売、2004年からEコマース。事業者として携わってきました。気が付…

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1999年から通信販売、2004年からEコマース。事業者として携わってきました。気が付けば周りはみ~んな年下。「昭和のオヤジ」が”酸いも甘いも”経験してきた中から、「次世代」に語り継ぐべきこと、書きます。https://www.facebook.com/kamail.gl/

最近の記事

「ただより高いものはない」-実感する日が来ませんように。

「ただより高いものはない」意味は、「ただの物は返礼に苦労したり、無理な頼みごとをされたり、かえって高い代償を払う」。この背景には「もらいものには返礼をする」という意識があります。この意識は、ほとんどの人類の文化には備わっているらしいです。 さて。改めて周りを見てみると、「ただ」で(無意識に)使っているもの、ありませんか? 圧倒的な「ただ」=情報現代において、「ただ」の代表格といえるのは、情報提供サービスです。インターネットの普及、さらにはスマホで得られる情報の激増により、ち

    • 「AI」が押し寄せてくる...でも「アナログ」が勝るところは、必ずある(と思う)

      AI=人工知能の”進化”が止まりません。日常の場面まで(以前と比べると)安価でAIを活用する例も増えてきたようです。昭和世代の私としては、わからないことがいっぱい、ですが、企業活動としては「わからない」と言ってられない環境になっています。 ”進化”の波に乗り切れない私、身近なAIに触れて思うこと、書いてみます。 契約書のチェックも。企業の「書類」関連はデジタル化が急速に進んでいるようです。最近よく見るCMで、「契約書のチェックツール」なるものもあるようで、なんでも「AIが契

      • 「ゆっくり・ゆっくり」

        ここ数ヵ月、親族の「代理人」として、電話での手続きをすることが多くなりました。銀行や保険会社、証券会社、カード会社、公共インフラなどへの電話問い合わせ。具体的には、「解約」や「残高照会」、これらを代理人ができるようにするための手続き。十数件電話で問い合わせをしている中、本来の手続きフローではない部分で、「共通して」気になったことがあります。処理能力低下傾向の「中年の悲哀」かもしれないのですが、よろしければ読んでみてください。 「モノスゴイ○○」にタジタジ...オペレーターの

        • なんのためのルールなのか、誰のためのルールなのか

          この半年間、それまでに一ミリも想定していなかった事態を経験しています。「成年後見人」になって、親族の財産、健康を管理することを引き受けているのですが、裁判所、司法書士、銀行、証券会社、役所...普段あまり接しないところとのヤリトリの中で、 なんじゃこれ? と思う場面をいくつか「初体験」しました。「なんじゃこれ?」はまったく解決されていないのですが、「ルール」について思うところを書いてみます。 成年後見人に選任されて後見人、簡単に言えば、認知機能の低下などで判断がアヤシクなっ

        「ただより高いものはない」-実感する日が来ませんように。

          たまには「寄り道」もいいよね。ゴールに着けばいいんだから。

          1年前の健康診断で「運動不足」を言われてから、”最寄り駅ひとつ前で降りて歩く”を続けています(気分がノッているときは、”ふたつ前”になったりします)。時間は多くかかっちゃいますが、地図アプリやナビアプリでは絶対に出てこない、「敢えて歩く」ことで得られるもの、見つかります。 「街ができる」を感じる週1回か2回、「いつもと違う駅」で降りると、いつもと違う風景に出会います。私の場合でいうと、丁度その(ひとつ前の)駅前は「再開発」が進んでいまして、「1週間ごとに新しい街ができてくる

          たまには「寄り道」もいいよね。ゴールに着けばいいんだから。

          前を向いて歩こう。

          新社会人として、「通勤」を初めて体験したのは、もう30年以上前のこと。当時、電車内は「新聞を読んでいる人」が大半でした。それが今、半数以上がスマホを見ている(操作している)状況に様変わりしました。「情報」がデジタル化した顕著な態様変化のひとつだと思います(以前も今も、変化していない層=「寝ている」人は一定数いるけど)。 そして、「新聞」時代には少なかった例が、今、生じています。「歩きスマホ」です。電車内で移動中、だけではなく、降りた後、または通勤でなくとも歩いている時に、目

          前を向いて歩こう。

          ネット広告、の未来。

          デジタルマーケティングの”中の人”として、今まさに、「変革期」にあることを感じます。個人情報保護を目的に、ネット広告の仕組み自体に規制が施され、これによって何ができなくなる、どう対応する、など大騒ぎなのですが...この点を少し違う角度から眺めてみます。 Cookie規制という現実テレビ広告や新聞広告など、いわゆる「マス広告」と呼ばれるものとの対比として、ネット広告の特性として語られてきたのが、「ターゲティング」。テレビCMのように「広く浅く」ではなく、企業側が「広告を見せた

          ネット広告、の未来。

          「出遅れ」は、追いつけばいい。巻き返す機会に。

          先日、「電動キックボード」のニュースを目にしました。終電後の飲酒状態でレンタルし、事故を起こすことがあるので、「飲食店の近くに設置された乗り場を見直すことや、貸し出し時間の再検討、飲酒運転への注意喚起を呼びかける看板の設置など」を事業者に要請した、とのこと。 これに対し、 ・わかっていたこと。遅すぎ ・そもそも夜間の貸出は、飲酒している人を想定すべきだったのでは などのコメントが見られました。 個人的には、同意する部分もありますが、でも、安全のため、後からでも「ルール追加

          「出遅れ」は、追いつけばいい。巻き返す機会に。

          ”ラジオ”で学ぶ「ターゲティング」

          先日、リスペクトnoterさんのおひとり、中野あすかさんの”ラジオ”を聴きました。 ※stand.fm。アプリでなくブラウザで聴いたので、「参加」できず... フリーランス、起業家に対してのコンサルティングをされている方ですが、今回のテーマは、「ターゲティング」。 いわゆる「マーケティング」が語られるときに、よく使われる言葉ではありますが、聞いた内容をきっかけに、私なりに改めて考えてみました。 改めて「ターゲティング」の大切さをインプットその”番組”で強調されていたのは

          ”ラジオ”で学ぶ「ターゲティング」

          「過ぎる」ことはよくない。じゃあ、どこからが「過ぎる」なの?

          気温があがり、夏・湿気の季節とマスク生活の折り合いが必要になってくる時期。水分補給の必要性も言われます。マスクをしなくてよい(しないようほうがよい)新しい「基準」も示されました。 暑い季節に必要な水分補給も、感染症対策も、「過度」になるとよろしくない事態になってしまうこともあります。「程度」「バランス」が大事になりますね。この「バランス」を考えてみようと思います。 「ほとんど」の基準厚生労働省によれば、 ・他者との距離が確保できていて、会話がほとんどない場合 にはマスク必要

          「過ぎる」ことはよくない。じゃあ、どこからが「過ぎる」なの?

          「ユーザー」という言い方、やめませんか?

          「マーケティング」(ここでは、集客、宣伝、という意味で使っています)、とくに「デジタル」の領域で、よく(内部で)使われる用語に、 ユーザー という言葉があります。 ”中の人”なら、何気なく使っていると思いますが、”中の人”ではなくなって、消費者に近い感覚を持っている今の私からみると、違和感、もっと言えば、よくないイメージを持つ言葉に思えちゃうんです。この「ユーザー」について、考えてみます。 ツールの影響、それと...ホームページ、ECに関わるひとなら使ったことがあると思いま

          「ユーザー」という言い方、やめませんか?

          「便利」になっても、忘れたくないこと。忘れてほしくないこと。

          商品、サービスが、デジタルを中心に、どんどん「便利」になっていきます。これまで多くの時間が必要だったこと、経験値が大部分だったこと、が、「いつでも誰でも」できるようになってきました。 「便利」になることは、もちろんうれしいことなんですが、一方で、「やらなくてよくなったこと」が、本当に不要なのか、そこに意識を向けなくて本当によいのか、ちょっとだけ立ち止まって考えてみます。 センサーライト暗くなると点灯、明るくなると消灯。または人が通ると点灯、といった「センサー付き」ライトが、

          「便利」になっても、忘れたくないこと。忘れてほしくないこと。

          カタカナはちょっと苦手だ...

          ここnoteで、(ことあるごとに)「デジタルは万能じゃない」と叫んでいる私(55)は、15年くらいECの現場にいたので、多少は「デジタル」なんです。多分。 ただ、ここ2年ほど「現場」を離れてしまっているので、改めて「デジタル(マーケティング)の今」をキャッチアップするため、いくつかの記事を読んでいます。勉強しています。 そこで気づいた(自覚した)のが、特に「オンラインで」記事を読むときに、 カタカナが多すぎて、アタマに入ってこない... と感じるように...以前「現場」

          カタカナはちょっと苦手だ...

          『ムダの美』~人生に無駄なことなんてひとつもない

          先日、都内を車で移動中に、たまたま見かけたのは、イタリアの高級スポーツカー・フェラーリの車列。東京の雑踏、渋滞に似合わない「異次元の」フォルムが、カラーが並んでいるのを見て、 か、か、かっこいいいいいい!!! 感動、あやうく感涙しそうに。 1970年代後半の「スーパーカーブーム」(ほとんどの人は知らないよね)を、「夢見る少年時代」に接していた私としては、まさに”夢の世界”なのです! 当時キラキラの目で「スーパーカー」を見つめていた少年が、40年後オトナになって、ふと思っ

          『ムダの美』~人生に無駄なことなんてひとつもない

          「ん?」と感じたこと。

          日常生活の中に、「違和感」を覚えることが少なからずあります。 理由はよくわからないけど、何かが違う...と、ささいなことがアタマの中を埋めちゃうような... 最近、私自身が感じたケースを、書き出してみます。 ※私は心理学を知っているわけでも、スピリチュアルなタイプでもありません。フツウに行動している中で感じた「ん?」、ということです。 詳しくはホームページ? 通勤にJRを使っています。首都圏のそこそこ混んでいる路線。最近は「換気」の重要性が言われていて、電車の窓も少し開

          「ん?」と感じたこと。

          ニュース番組をみて、考えた。

          『風薫る五月』。本来なら、この「気持ちのいい季節」に、外出、旅行といった”非日常”を体験する場であるはずの、 海、山、外国。 これらが、連日の報道で、「いたたまれない」環境になっているのが、悲しい。 引き続きの自粛も含め、遠出することもない私は、メディアのニュースに触れることが増えたが、事件・事故・争いそのものの痛ましさとともに、そのニュース・報道の内容も、モヤモヤする対象になってしまっています... 取材はどこまで必要なのか イチ視聴者、として最も感じるのは、被害

          ニュース番組をみて、考えた。