見出し画像

「便利」になっても、忘れたくないこと。忘れてほしくないこと。

商品、サービスが、デジタルを中心に、どんどん「便利」になっていきます。これまで多くの時間が必要だったこと、経験値が大部分だったこと、が、「いつでも誰でも」できるようになってきました。
「便利」になることは、もちろんうれしいことなんですが、一方で、「やらなくてよくなったこと」が、本当に不要なのか、そこに意識を向けなくて本当によいのか、ちょっとだけ立ち止まって考えてみます。

センサーライト

暗くなると点灯、明るくなると消灯。または人が通ると点灯、といった「センサー付き」ライトが、”あたりまえ”になりつつあります。車のヘッドライトは、もはや「当然」で、日常使うような屋内屋外使用のものも、かなり安価で買えるようになりました。
消し忘れ、もなくなるし、省エネルギーにもなる。100点満点ぢゃん!...

ふと...思う。

そのうち、「(壁の)スイッチ」を知らない人たちが出てくるのだろう。「点ける」「消す」という行為そのものがなくなっちゃうのかもしれない。でも...意思をもって、あるいは習慣で「消す」という行為は、つまり省エネの意識に繋がるのではないだろうか...誰もいない部屋に電気が点いているのはもったいない、という意識。これって大事なんじゃないかなあ。「消す」という意識がないと、「機械が(自動で)消してくれる」が前提になっちゃうと、よろしくない。あと、「点ける」「消す」ことで、そこでも行動に一区切りつける、という気持ちの点も、小さくないと思う。

路線図、地図

行きたいところ、への経路はスマホが教えてくれるようになりました。次の交差点を右に曲って次は100メートル先を左折、電車の8両目に乗って3つ目で乗り換える、到着時間も教えてくれます。もう紙の地図帳も、電車内の路線図も必要ないのでしょう...

ふと...思う。

例えば、東京の日本橋から浅草に行くとき途中上野を通るなら寄り道しよう、とか、浅草は今いる場所から北なのか東なのか、わかんなくなっちゃうのではないだろうか。専門家や趣味でもない限り、「地図をアタマにいれておく」必要はないのかもしれないけど、「おおよその位置関係」を知っておくことは、いろいろな点でベターかと思うのですが...
目的地「以外」に楽しみがあることも少なくない。寄り道できるほうがいいなあ、と思う。
※最近の新しい電車には、以前からドア付近にあった「路線図」がなくなっている...悲しい

キャッシュレス

現金を「持たない」手法が、ここ数年で一気に広がりました。”非接触”が推奨される環境も後押し、ポイント付与というインセンティブもあり、私も使っています。例えば買い物金額が「680円」だった場合、財布の中から「500円玉」「100円玉」「50円玉」...を探すのは大変で、結局「1000円札」で支払って、コインが貯まる一方で...なんていうパターンも。スマホを使ったバーコード決済なら、財布そのものが要らない、「ピッ」で完了!楽だわあ...

ふと...思う。

オカネの大切さを感じる場面、減らしてるんじゃないだろうか。例えば財布のコイン集めても「670円しかなかったとき。100円足りない、あのとき「100円」をセーブしておけば(無駄遣いしなきゃよかった)...とか、今いくら残っているかわからない(重さ、がないから)...とか、何か「自動的にチャージされている」気分になっちゃうとまずいですよね...
それと、「680円」に対して、「1000円札」使って払うにしても、「1,180円」払ったら、おつりはワンコインになる、この感覚。キャッシュレス「だけ」だと生まれないかも。
※敢えて「痛み」を残すために、私は絶対に「現金でのチャージ」をしています。クレジットカードと紐づけてしまったら、「使っている感覚」がゼロになりそうで。

例を挙げてみましたが、生活が便利になるのは(もちろん)WELCOMEである一方で、全体像を俯瞰する視点、とか、この仕組みになる前の感覚とか、だとか、忘れてしまったら、よろしくない点も意識したいところです。
サービスが進化しても、私たち自身が「退化」してしまっては、プラスマイナスゼロになっちゃうから、ね。

※残念ながら、デジタルや機械による自動化は、「不具合」が発生することもアタマの片隅に入れておけなきゃいけないですね。完璧な、絶対間違いない、ということはあり得ないわけで。あまり想起されないけれど、実は「電池次第」ということもある。電池=バッテリーが不足して使えないときに、対応できるのは、「忘れてはいけない点」を知っているかどうか、かもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?