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ニュース番組をみて、考えた。

『風薫る五月』。本来なら、この「気持ちのいい季節」に、外出、旅行といった”非日常”を体験する場であるはずの、

海、山、外国。

これらが、連日の報道で、「いたたまれない」環境になっているのが、悲しい。

引き続きの自粛も含め、遠出することもない私は、メディアのニュースに触れることが増えたが、事件・事故・争いそのものの痛ましさとともに、そのニュース・報道の内容も、モヤモヤする対象になってしまっています...

取材はどこまで必要なのか

イチ視聴者、として最も感じるのは、被害者やその関係者への「取材」。事故にあってしまった方のご家族など、気が動転しているさなかでの「取材」は必要なのでしょうか。もちろん過失による事故、それ自体がイケないことですが、それによって被害に合われた方へのインタビュー、エピソードの引き出し方、「どう思われますか」という質問。その目的がわからない、何が出てきたら「正解」なのか、わかりません。
加害者側への「取材」も、例えば事故を起こした側の責任者の自宅で呼び鈴を押し続け、「反応がありません」と話す報道陣。どんな反応が欲しかったのか、「反応がない」ことでネガティブなイメージを増長することが目的なのか、わかりません...

事故現場、事件現場に密集する報道陣。複数の報道機関のヘリコプターが飛び、車や機材が山積みになっている現場、捜索や捜査の邪魔になっていないのでしょうか...
「密を避けましょう」と言っている報道局が、密集を作っている、なんだこれ?

こんな世界になるとは...

海外で起こってしまっている紛争。まさか、その現地の映像を、日本でお茶を飲みながらテレビで見ることになろうとは考えてもいませんでした。争いの被害に合ってしまったひとの言葉、武力行使が実際に行われている映像、実際に起こっていることなのですが、ともすれば、動画配信サービスで映画を見ているのと同じ環境で、私たちはテレビを見ている。ものすごく違和感だし、気持ち悪い。だから何ができる、というわけでもないのが、さらに、”気持ち悪さ”を助長しています。

時間がたつと出てくる「まとめ」感

痛ましい事故、事件、争い、これらが長引くと、「専門家」と呼ばれる方たちが、「二度とこんなことが怒らないよう、この点に気をつけるべし、法整備をすべし」とコメントするようになる。
これがまた違和感で。
おそらく、このようなネガティブな報道の場合、そのコーナーを「閉める(終わらす)」には、そういうフレーズになってしまうのだと思うけれど、被害に合われた方、関係者の方、まだわかっていない事実、これら本当に大事なことをスキップして、「教訓」にしようとするのは、ちょっと違う気がします。報道の「構成上」、そうまとめるしかないのでしょうけれど...

「速報」が求められる時代に...

犯罪報道や、事件性がある場合、リアルタイムでの報道をなくせばいい、という論もあるそうです。ただ、SNS全盛時代、「デマ」「憶測」が一人歩きしてしまい、別の被害が発生してしまう危険性もあります。報道機関が「速報」を競っているような今、「落ち着くまで伏せる」ことは現実的ではないのかもしれません。


どうすればいいのか、メディアはどうあるべきなのか、その考え方を持っているわけではないし、やはりイチ視聴者にに過ぎない立場ですが、「違和感」を感じながらも、そのようなニュースを見て、読んで、聞いている、ということは、何も産みだせない同類なのかも...と考えてしまいます。

う~ん、
モヤモヤモヤモヤモヤモヤ...


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