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詩日記

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日記的詩
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2023年12月の記事一覧

微睡

微睡

繁華街の外れに位置する古いビルのしがないバーにいる。

晩秋の寒夜に沈む様に読み込んだリルケ詩集にある言葉たちをラム酒に入れながら、夜が更けるのと同じ早さで飲む。

ラム酒に混じった言葉が食道から血管、胃腸に届き、少しずつ全身に染み渡る。

それと同時に思い出や記憶、過去の物事が溶け始める。

三杯目のラム酒を飲み終わると、過去の物事は完全に溶け切る。

そして何かを失ったのかそれとも何かを得たの

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どんぶらこ

どんぶらこ

どんぶらこ どんぶらこ

子どもを包んだ桃が川を流れる様に

どんぶらこ どんぶらこ

校庭から飛んだボールが用水路を流れる様に

どんぶらこ どんぶらこ

井の中の蛙が大海を流れる様に

どんぶらこ どんぶらこ

雲雲が空気の澄んだ冬の夜空を流れる様に

どんぶらこ どんぶらこ

各停列車が快速列車に抜かれながら線路を流れる様に

どんぶらこ どんぶらこ

紅葉が北風に吹かれてアスファルトを流れ

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紐

崖から落ちそうになったあなたに細い紐を伸ばす。間一髪の所で紐があなたに届く。紐が千切れないように大切に紐を引いていく。紐を引いていると背後に人影を感じる。振り返ることが出来ずにいると自分が引いた細い紐を持ち紐を引くのと同じ早さで自分の首に巻き始める。ゆっくり少しずつ。

棚の前

棚の前

ショッピングモールの六階、
大型書店の隅、
俳句と詩と古典の棚を彷徨く。

書店に隣接するゲームセンターから、
賑やかで華やかで騒がしい気が書店に傾れ込む。

気が心に触れて強く激しく痛ましく揺さ振る。

無意識のうち倒れそうになりながらなんとかリルケの詩集を手に取り、書を開く。
言葉を舌に乗せて咀嚼し飲み込む。
喉から食道、血管、胃腸へ届くのが分かる。

正気を取り戻した心が身体を支え、棚の前に

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好き嫌い

好き嫌い

好きなことだけやって生きよう、なんて思わない。
嫌いなことを我慢して生きよう、なんて思わない。
好き嫌いしたり好き嫌いを我慢したり、
好きを信じたり嫌いを憎んだり、
好きを妬んだり嫌いを慈しんだり、
好きを慶んだり嫌いを愛したり、
好きと嫌いが混沌とした心を精一杯抱き締めながら、
暗い冬夜に誰にも気付かれることなく溶ける。

横断歩道

横断歩道

コンビニ、スーパー、インドカレー屋、ジム、に囲まれた交差点の赤信号の閃光は冬夜の澄み切った空気中に鮮やかに映える。横断歩道のこちら側と向こう側に何人か立ち止まって信号が赤から青へ変わるのを待つ。待っている間、車は一台も通らない。待ち切れず向こう側から男二人が歩き出す。信号は変わっていない。すると、こちら側から女一人が歩き出す。信号は変わっていない。それから、向こう側から自転車に乗った女が漕ぎ出す。

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師走の帰路

師走の帰路

冬の寒中に沈んだ夕陽の温もりがほんのり、忙しなく過ぎ去って行った日々の断片を拾いながらいつもと違う人通りの少ない道をいつもよりゆっくり、右手に一輪の薔薇と左手にケーキの箱を持って一歩一歩そっと、さあ帰ろう。

鼻詰まり

鼻詰まり

息を吸って吐いてまた息を吸う音が、
地球の丁度真裏から聞こえる。

ひと息ひと息、
重なったり交わったり絡まったりしながら、
枕元に辿り着く。

鼻が詰まって苦しそうな呼吸が、
暗闇に霧散して光を求める。

ケーキ

ケーキ

もうしばらく父とは話していない

喧嘩したわけでもなく
嫌いになったわけでもなく
ただ話していない
桜が蕾を付け花を咲かせ散り葉桜になるみたいに
自然と

最後に話したのがいつだったか思い出せない
きっとなんでもない話だったと思うし
なんでもない話だったから思い出せない
なんでもない話が出来ていた日常があったことに
少し驚いた

一度話さなくなった親子の関係は
通り慣れていない高速道路のトンネルみ

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足音

足音

足音がする。振り返る。誰もいない。

足音がする。振り返る。誰もいない。

足音がする。振り返る。誰もいない。

独り、たった一人きりで道を歩いてきた。

誰も歩くことのなかった道、
誰も歩くことができなかった道、
誰も歩こうとする意思さえ持たなかった道、
誰にも言わず誰にも頼らず誰にも求めず
ただ歩き続けてきた。

家族や友人や先生の声は、もう全く思い出せない。

耳を澄まして聞こえてくるのは、

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振動

振動

木製の長いカウンターデスクが短くも烈しく振動する。真反対のカウンター席に座る貴婦人の眼球が青く照る。貴婦人が飲んでいるグラスの波が微かに揺れ続けている。ウイスキーやラムやブランデーの香が混ざり合い鼻腔を擽る。

変わらない景色

変わらない景色

家の窓から見える景色は変わらない。雨音で起きた朝も凍える程寒い深夜も、桜の葉が散り終わった後の初夏も銀杏の絨毯が広がる晩秋も、景色は殆ど何も変わらない。未だ見ぬ景色を求めて列車に乗れども車窓からの景色は一辺倒で、何度も何度も家の窓から見た景色が線路沿いを並走している。車窓に映る自分自身の表情も心情さえも変わらない。とうとう終点に行き着き列車に乗ったままで居ると、元来た方向へと折り返してゆく。

混雑している快速列車

混雑している快速列車

改札口から一番遠い快速列車の先頭車両は程よく混雑している。会社員らしき人や観光客らしき人や浮浪者らしき人が肩を狭めて座っていたり吊り革に捕まって立っていたりする。停車駅に着く度に人々が入れ替わり立ち替わる。車内の混雑具合は殆ど変動することなく人間だけが入れ替わり立ち替わる。それに伴って見える物事や聞こえる声音、あるいは感じる空気が駅毎に変わりゆく。自分自身さえも自分ではない何者かに変えられそうにな

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変わらない一日

変わらない一日

一度たりとも同じ一日は無いと確かに思っていたし、今この瞬間もそう思っている。それでも、幾年か前に過ごした一日一日と昨日や今日が殆ど何も変わらない一日の様に思えてしまう。変わっている筈だと思えば思うほどに、変わっていないのだと思わずにいられない。勿論、明日が劇的に変わることなどないことを知っているのだけど、淡い期待を枕元にそっと置いて、擦り切れるくらい何度も過ごした夜に鎮む。