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詩日記

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日記的詩
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記事一覧

今と未来の間

今この瞬間が
過ぎていくごとに
積み重なり過去を形作る

時間の流れに流されて
形を変えながら
今より少し先に漂着する

今と未来の間
何も咲いていない木の枝に
淡いピンクの花が
たった一輪咲く

満月

満月が焚き火の様に
ゆらゆら燃える

街と街
ビルとビル
空と地上の間を
冷たい風が吹き抜ける

風に吹かれて
消えそうな満月に向かって
薪を焚べる様に星々が流れ
満月は再び燃える

眠り

玄関の扉を開けることさえ精一杯になるほど
疲れたある日の夜

思考と感情と筋肉が同時に停止して
血液が血管を流れていることと
肺が膨らんでは縮むことだけが
それだけが明確に分かる

何度読んでも分からない
読めば読むほどに分からなくなる
小説に栞を挟んで閉じるように
ゆっくり目を閉じる

記憶や知識
あるいは経験が
身体から離れていく

手を伸ばして引き留めようとしても
掴めない
どんどん離れて

もっとみる


来るか分からない明日を
どうかあしたがきますように
と祈り目を閉じる


生きているのが奇跡のような今日を
なにもないように
と祈り空虚な天井を見上げる


なにもなかった今日を喜び
なにもないあしたがまたきますように
と祈り目を閉じる

夜、帰路

民家や公園
用水路や駐車場
線路やビル
街全体が細部まで
夜色に塗り潰される

街灯の明かりだけを頼りに
ビル群を抜けて
川沿いを直走り
坂道を上り下りし
帰路を辿る

玄関の重たい扉を開けて
外とは明らかに違う家の空気を
肺一杯に吸い込んで
ゆっくり吐きながら
真っ暗な洗面台の鏡に映る
自分の顔を見つめる

水たまりと少女

駅舎の屋根から滴る雨水が
小さな水たまりをつくる

水たまりの歪な円形が
少しずつ広がる

鮮やかな青色の長靴を履いた少女が
跳んで水たまりに着地する

水が無邪気に跳ねて
水玉模様のシャツが踊る

春色の光に照らされた街が
水たまりに映える

夜と雨

電車から見える
夜はいつもより暗く
街の明かりはいつもより明るい

風が吹いて
さらに後を追って風が吹いて
それから湿気を持った重い風が吹き抜ける

星が春の暖かさに融けて
雨となり
地上に降り注ぐ

頭に浮かんだ
一編の詩は
雨に打たれ
一語一語に砕け
排水溝に流れる

瞳を閉じてから開けるまでの
僅かな瞬間に
線で繋がっていた点と点が
解けて夜に沈む

あらゆる生命体の
呼吸音が静かに響き合い
暖かい毛布に包まる

街と街
道と川
月と雲
夜と朝
春と夏
それらの間を
まるい形の柔らかい風が吹き抜ける

信号

春の全部を吹き飛ばしてしまいそうな
強い風が街を揺らす

レストランの看板や
捨てられた飲みかけのペットボトルや
道端に散った桜の花びらが
一斉に風に吹かれる

車道の信号が赤になり
横断歩道の信号が青になるのを
風の強さとは無関係に
一定のリズムで繰り返す

能力の優劣や
物事の善悪あるいは自然の興亡とは
世界を異にして
機械として街の流れをつくる

砂時計

砂が落ちる
のを止めることはできず
ただぼんやり
と眺めるまま

砂が落ちた分だけ
夜の暗さは深く濃くなり
月明かりがより鮮明に
空に佇む

静かな夜に読んだ
表紙が色褪せ
幾つかのページの端は折れ
鉛筆でメモが書き残された
古い小説は
とても苦かった

深夜コンビニ前

深夜コンビニ前の車道を
空車マークのタクシーが
数台続けて通り抜けて行く

後を追うように
夜風が吹き抜けて
駐車場脇の葉桜が揺れる

見えない月を探しに
曇った春の夜空を
駆け巡る

谷間

微睡みの谷間を
朧月みたいな淡い光が
灯す

山に棲む
鹿の親子や
杜鵑の夫婦や
孤独な狼が
光に誘われて
谷間に降りる

そこに集う動物たちの呼吸が
交錯し分離しまた交錯する

永遠のような一瞬が過ぎて
動物たちは元の住処へ帰る

淡い光に照らされた
大きな杉の木の影が
佇む

バルコニー

陽がゆっくり歩くのと同じ早さで
風が隣を歩く

蜂の羽音が微かに聞こえるバルコニー
物干し竿に掛けられたシャツの皺が影に映る

朧げな陽光が
朝と小鳥とわたしを眠りへと誘う

食卓

花瓶に挿されたチューリップ
読みかけの文庫本
二つ仲良く並んだ湯呑み
食卓を雑多に彩るそれらの影が
窓から通り抜ける風にゆらゆら揺れる