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事業をするのにやめたこと、諦めたこと

世の中は常にトレードオフの関係で、何かを得ようとすれば何かを捨てなければならない
事業で成果を上げたいがためにやめたことや諦めたことを挙げていきたい
この記事で挙げることやめたが実らないのでそれは悲しいことだが
引き続きやることとやらないことをはっきりと分けていきたい
やめたからといって事業が満足いくまで成長するとは限らないが、何かをするのに時間が必要なことは間違いない
時間は有限ですべての人に平等に与えられる
限られた枠で何をするか
これはとても重要なことだ
まずは成功への第一歩、成し遂げたいことに集中するための時間を捻出するためにやめたことを挙げていく


サッカー

私はサッカーが大好きだ
できるのであればサッカーチームに所属して、可能な限りレベルの高いリーグに所属して、プレーし続けたい
それだけサッカーというスポーツは面白い
しかし、それはやめた
上達するためにも時間が必要なのだ、最低限の時間で最高の成果を出すことができるのはフィジカルエリートやスポーツの才能があるものだけだ
空き時間に個人参加を募集しているチームに運が良ければゲームに参加できるという形で折り合いをつけている

友達付き合い

学生時代の付き合いに誘われることはしばしばあったが、基本的にすべて断るようにした
楽しかった学生時代を思い出すことはあるし、思い出話を懐かしむのは嫌いではない
ただ思い出話をしても仕事の能力は上がらない
誘いを受けて、参加するたびに過去の話ばかりだと足が遠のいてしまう
成人になってから友達付き合いは激減した
友人が嫌いなわけではなく、今は優先順位が低いのだ
もし必要があれば、いつか話せる時が来ると思っているが
来ないかもしれないし、それはその時にならないとわからない

イエスマン

頼まれごとは基本的にイエス
相手の気持ちを考えて、相手にとってポジティブな反応を示す
こんな馬鹿らしいことはやめた
人間関係を間違えていたと感じることのひとつだ
相手を尊重し、譲ることは大切だ
ただしこれも年を重ねるにつれて、譲るラインとそうでないラインを明確にする必要がある
結局こうすることで、自分の付き合いたい人とだけ付き合うことができるので結果的に自分も相手もハッピーな状態になるのだ
自分さえ良ければ良い、常に自分の気持ちだけを考えて行動すればよいと
考えているわけではない
しかし、以前よりも選ぶようになったし
何も考えずになんでもかんでも肯定的なサインを出すのはやめたということだ

辞めた結果、現在どうなっているのか

サッカーはやめたが、体は動かしたいのでランニングをしている
SNSで流れてくるサッカーに関連する動画を見続けているので、きっとまだ未練が残っているのだが、ここは上手い付き合い方をもう少し考えていきたい
本当はサッカーを仕事にできればよいと思っているので、事業アイデアは常に張り巡らせている

やりたいこと全部仕事にならないか考える癖がついたように思う

友達付き合いは関わる人が一時的に減るが、そうすると別に繋がりたい人と繋がる機会が増える
これは友達付き合いの時間を削らなければ創出できなかった機会に思う
もちろん両立できる人もいるだろうが私の場合は無理だ
一度に大切にできる人数が限られている感覚があるからだ
友人とビジネスパートナー二人から誘われたら、どちらか一方は断り
大切な方を優先的に選ぶので、結果的に片方とは疎遠になっていくだろう
であれば初めから疎遠状態にしたほうが現状では最適解だと考えている

イエスマンをやめたことによって、自分の好きなことが近づいてくるようになった
ようは嫌だと感じるもの、直感で不快だと感じるものをあらかじめガードすることによって周囲に好きなものしか残らなくなる
ただし試練だと感じることや直感的にストレスが高いが負荷を自分にかけたほうが良いと感じる事象を引き受けるようにしている
これもまた自分で選んだ選択なので、結果的に芳しくない終わり方をしても心地よいのだ

今回の記事では思い出せる限り書いてみた
まとめると
なにかの成功確率を上げるためには費やす時間を増やす必要があり
時間を増やすためには、やることとやめることを決める必要がある

この選択の答え合わせはまだ先だが、それぞれ納得して選択している
きっと後悔はしないだろう

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