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「売れないからやめておけ」を全力で進む

やはり世界はマーケティングがすべてだと今日も改めて気が付いてしまったので、備忘録と自分への奮起を兼ねて書き留めておきたいと思う。

マーケティングというと難しい話をしなければならない気がしてしまうので「売り方」「読まれ方」「注目され方」と言い替えたい。たくさんあるのでここでは「売り方」に統一させていただく。


鬼滅の刃、というワードを出すと 今となってはもはや「ハイ出ました~~~wwww」とアレルギーを起こす “アンチ” の方が一定数いることは重々承知の上で、少しだけ、起承転結の「起」だけ、鬼滅の刃について書く。

※私が「アナと雪の女王」や「君の名は。」のときにこのアンチ側だったため、ブームに疲労感を感じるアンチサイドの気持ちはよくわかる。ただ、そんな私が鬼滅の刃はキライじゃない、ご容赦いただきたい。鬼滅の刃が好きな方は首をブンブンと縦に振りながらついてきてほしい。

鬼滅の刃には「売れないからやめておけ」と言われた要素が詰まっているというツイートを見かけた。技の名前を大声で叫んで殴る、第一話から暗い、序盤から修行の話を長々とつづる、などが懸念されていた要素だそう。

それでは「よくあるパターン」ならば売れるのだろうか? ちがう。何なら「二番煎じ」「便乗商法」と言われツバを吐かれて捨てられる様が目に浮かぶからだ。

それでは真新しくて一般受けするものとは何か。

一個人が一発で答えをつづれたならば、私はこうしてのうのうとnoteなど書いている場合ではない。さっさと電通でも博報堂でも受けたほうが自分にとってプラスになるだろう。(8年前に書類で落ちた/(^o^)\)

つまり「よくあるパターン」も「売れないからやめておけ」も、結局は売り方・マーケティングひとつが結果を左右するだけなのだ。さらに「売れないからやめておけ」は「まだ売り方が分かっていない前人未到」という考察に、眼からうろこの私である。なるほど、売り方が分かっていない……ここが一番面白い。


鬼滅の話はここまで。ここからは自分ごととして写真を例に出してみる。

売れる写真とはなにか。
カメラマンとして生計をたてるにあたって、比較的安定して稼げるカメラマンとは「スタジオ〇〇」に社員として入り、決められた構図に従ってシャッターを切るカメラマンだ。例の感染症がなければブライダル系も給与は安定していたと聞く。雇用形態によっては「新聞社所属のスポーツ・事件事故カメラマン」や「修学旅行の専属カメラマン」もここに含まれるかもしれない。

ただし、当たり前に「撮りたくない被写体」も撮らねばならないし、「撮りたくない現場」も撮らないといけない。

それでは撮りたいものだけを撮るにはどうするか。こうなってくるとフリーランスになったり自分の会社を立ち上げるカメラマンも数多い。クリエイター気質が強い人ほど安定よりも挑戦を選びがちなのは他の分野にも共通することだろう。


そうしたときに、安定しにくいぶん彼ら・彼女らが一体どうやって写真を “売って” いるのか。幸いなことに、国民的アイドルの写真集を手掛けた写真家A氏と、スポーツを撮り続けている写真家B氏にそれぞれ話を伺ったことがある。

A氏は名門の美大出身、B氏は元サラリーマンで独学で写真を極めたカメラマンだ。私立の四大を出てローカル局で勤務していた私はどちらかというとB氏寄りのカメラマンとなるだろう。“寄り”というのは、ローカル局にいたときにプロのムービーカメラマンの技術をとなりで見ていたという意味で、数パーセントだけA氏の要素を得ているかもしれない。


悪い癖で前置きが長くなったが、A氏もB氏も口をそろえるのは「自分は特別な天才ではない」ということだ。血縁や地縁があったわけではない、とにかく足で営業をし、SNSで発信し、とにかく聞けば聞くほど泥臭い。おまけに私から見たら「売れている」今でさえ、両者は「なにが売れるか分からない」と口にする。


やはり売り方・マーケティングなのだろう。売れないのではない、売り方が分かっていないのだ。そしてこれまでもこの先も、売り方に王道の正解はないからとにかくトライし続けるしかない。時間は有限だから、自分の鼻息が荒いうちにとにかく行動あるのみなのだろう。

「売れないからやめておけ」というのは早めに軌道修正させるための優しいアドバイスだと思っていたが、こうしてみると「俺にも売り方が分からない」というただの一般論を偉そうに振りかざしているだけの戯言に思えてきた。

こんなことに気付かせてくれてありがとう、鬼滅の刃。(ちがう)


私があがいていることはなんだろうかと考える。

私は猫を好きで撮っている。
だが、どんなに猫を撮ったって一大猫ブームの今、猫カメラマンの中で埋もれていくだろう。ただし、猫カメラマンとして突破口を開き一躍有名になった岩合光昭という先駆者がいる。お会いしたことはないが、岩合氏にとっては「売れないからやめておけ」なんていう言葉は届いて鼓膜までだったのだろう。そんな言葉、脳は受け取りを拒否したと勝手に想像してしまう。

私は花を好きで撮っている。
だが、どんなに花を撮ったってそれがどのくらいお金になるだろう。ただし、花を被写体と共に実に美麗に魅せ上げることで日本では知らない存在となった蜷川実花という写真家がいる。蜷川氏は写真集「ニナデジ」の中で写真がうまくなるためにはとにかくシャッターを切ること…と、特別なテクニックについてはなにも言及していない。

私はスポーツを無心で撮っている。
だが、どんなにスポーツを撮ろうとも、取材席から撮影した写真には肖像権というものがもちろん発生し、どんなにステキな1枚であろうと関係各所の許可が無い限り世に公開されることがない。酷いときには撮影者の名前さえ表記されないこともある。それでも、そんな私の存在を知り、私が撮った1枚を自身のInstagramに公開した選手がいた。私にとっては忘れられない大きな一歩だった。


「だが、」と否定的に書き始めているのに、そのどれもがプラスに昇華していく。一見「売れない」ところを突き進むことにこれから売れるためのヒントが埋まっているのではなかろうか。売れたものの追随ではなく、売れないことの追求に売れることのヒントが埋まっているのではなかろうか。


先にご紹介した写真家A氏とB氏になにで知り合ったかというと、A氏にはご本人の公式サイトに100万回読み返したメールを震えながら送信し、B氏にはご本人のFacebookから同じく震える手でタイピングしたメッセージを送信したことがきっかけだった。返事をくださらなかったC氏という存在が実はいるのだが、むしろ珍しいのはA氏とB氏のほうだろう。弟子でもない、通りすがりかもしれない私に、私が書いたのと同じかそれ以上に丁寧な返事をくださった。(A氏に関してはウェブ通話も実現しているのだがその話はまたの機会に)


売れないのではない、売り方がみつかっていない。この発想の転換がまた私の背中を押した。言葉のもつ力はスゴイ。こわい。


ここで終われない。娘の寝顔を撮っている場合じゃないと思った日も実はあったが、実際娘を撮ったことでフォトコンテストに入賞したこともあるのだから、なにかがどこかで繋がっていると信じてやまない。

やってきたことの点と点がつながって「こさいたろ」として一本の線になるまで、諦めずにカメラを構える。


唐突な決意表明を最後まで読んでいただいたあなたに心からの感謝を。今日の福岡は冷たい雨が降っているが、私の気持ちは今までにないほど前を向いている。

2020/10/22 こさい たろ

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