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真摯であるとは何か

昔 「調子に乗ったおしゃべり」と言われたらしい。
小学校の担任が、隣のクラスの担任に話していたそうだ。
母が、たまたまその後ろの席にいて、聞いてしまった。

通行人ABCの一人として学芸会に出るはずが
主要な役どころの子が病欠し、急遽私が出た。
その舞台を見ながらの言葉だったそうだ。

そこだけ切り取られた話である。
だから
「頑張る子でもあるんだけど」くらいの誉め言葉が
話の前後にあったかもしれない と 儚い望みは抱く。
それは担任からではなかっただろうな。


おだてられると木に登りかねない方である。
もともと落ち着きはなく、低学年の時は手いたずらが止まなかった。
もともと逆さ文字を書いていて、根源的な不安はあった。
右 と言われても 両手の平を数舜見つめてしまう
今でも

アンバランスな中にいるくせに
おだてられたら木に登るのである。
高学年では、算数の文章題に少しの自信を持てていた。


人生 秋を迎えても覚えていることはある

母は、その晩 私に言ったわけではないし
担任にも特別厳しく当たられていたわけでもない。

卒業式を控えて 勉強ができなかった子に
「九九が言えるようになって良かったな」と言っていたのを覚えている。
そういうことを言える担任を自分なりに尊敬していた。

それでも
忘れられない。

いい気になる。調子に乗る。
そうした言葉と無縁になれない自分を思う。

私の辞書にないのは「老成する」なのか
それとも「愚直である」か


「真摯」という言葉に対するあこがれは、止まない。


笑いは大事 と強がる

「調子に乗る」の項目には、二ページくらいの例文がありそうだ。


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