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【退職エントリ】 子どもができたので電通を辞めました。

株式会社NOBU PlanningのCEO兼ビジョンライターで、グルメ動画SNS「Popdish(ポップディッシュ)」のChief Eating Officerをしています、起業家のノブです。書こう書こうと思っていながら、いつの間にか、電通を辞めて2ヶ月が経ってしまった。夏休みの宿題は8月31日にも終わらずに9月に学校が始まってからようやく焦りだす子どもでしたが、あの頃から何も成長していない感があって、残念な気持ちと、変わらずに生きてこれたと言う誇らしい気持ちもある。

この2ヶ月間は怒涛というか、電通という看板を外した時に、自分が何者なのか、そして、これからどうしていきたいのかいう、自分の人生の棚卸しに必要な期間だった。そして怒涛の送別会ラッシュが終わり(ありがとうございました!)、給与がいつも振り込まれていた日に振り込まれなくなって、ようやく、電通を辞めてしまったのだ、という実感が湧き始めてきたので、この記事を書き始めた。

目立った実績も、強力なコネも、全くない中で、なんで辞めたの?ノブが辞めるとは思わなかった!とよく言われるので、なんで辞めたのかを記録しておこうと思う。それにしては、書き始めるのが遅いのですが、お許しください・・・

どうしても電通でコピーライターになりたかった学生時代。

そこから話し始めるのか!と思われるかもしれないが、幼稚園、小学校、中学校、高校と、私はかなり先生の言葉に影響を受けており、先生が大好きで、嫌いな先生もほぼいない子どもだった。そのため、中学2年ぐらいからは漠然と、将来は先生になりたいな、と思っていた。特に、バスケットボールが大好きだったのと、金八先生も大好きだったので、バスケ部の顧問と、生活指導の先生になりたかった。しかしながら、大学で教職の授業を受けていく中で、そもそも教科を学ぶのが苦手である(なぜか英語の教職課程を選んでしまった)ということに大学3年ぐらいで気がついてしまった。(遅すぎる)そのため、先生になる道は諦めて、就活をすることにした。

何に関わりたいかを見つめ直すと、言葉だった。

就活の始める際にいろんな業界を見たが、部活の顧問も、金八先生も、結局は子どもの人生に向き合う先生の言葉が残っているし、自分もそういう言葉を発することのできる人になりたかった。ということに気づき、言葉に関われる仕事を探した。通訳とか、小説家とか、路上詩人とか、いろいろ探して、コピーライターという仕事にたどり着いた。今でも覚えているが、深夜の早稲田のITルームのPCの前で、これだ!と思ってすぐに宣伝会議のコピーライター養成講座に申し込んだ。学生の私にとって30万は結構な大金だったが、コツコツ毎晩ほぼ徹夜で頑張っていた飲食のアルバイトのおかげで、自分で全額払うことができた。

世の中はそんなに甘くなかった。

そして宣伝会議のコピーライター養成講座に通いながら就職活動がスタート。これだけ勉強しているから大丈夫と思い、広告代理店や制作会社やメーカーのクリエーティブ職などを受けまくりましたが、ことごとく落ちてしまい、小さな制作会社1社と、コピーライターなどのクリエーティブ職を自社で抱えていた味の素に内定した。味の素は総合職採用だったが、妙な自信があり、味の素へ行くことに決め、電博などのコピーライターになることを夢見ていた私の就職活動は終了した。

それでもコピーの勉強はやめなかった。

就職活動は終わったものの、味の素でコピーライターになるために、私は宣伝会議の基礎コースが終了後、中村禎さんの専門コースという選抜コースに通い始めた。当時大学4年だった私は30人のクラスでも最年少で、電通や博報堂や、コピーライターのプロの先輩がいる中で、必死で毎週の課題を描き続けたが、12回ぐらいの課題で褒められたのは3回ぐらいという平均よりも下の生徒だった。それでも書き続ける中で、単にレトリックでうまいことを言うのではなく、人生をかけて言いたいことを絞り出す、人間性が出てしまう仕事だということがわかり、苦しかったが、この仕事をますます好きになった。

実はこのクラスの同期(といってもみなさん先輩)はかなりすごくて、TCC新人賞は複数人出ているし、TCC審査委員長賞受賞者や、なんと2021年度のTCCグランプリ受賞者も出てしまっている。(TCCとは東京コピーライターズクラブの略で、日本では一番権威のあるコピーライターの協会のようなもの。新人賞受賞者のみが入会できる。)

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中村禎さんの大好きなコピー

チャンスは素振りを続けていると、突然やってくる。

そうして半年の専門コースの講義が終わりを迎える頃、一通のメールが届いた。タイトルを見て、胸が高鳴り、すぐにメールを開いたことを覚えている。そのメールが今も残っていた。

【急告!】2010新卒秋採用を実施します。〜株式会社電通

今までは海外の大学生採用のために行われていた秋採用を、今年は一般大学生にも広げること。そして、一度4月の採用試験で落ちた人も再度受験ができる初めての制度であることなどが書かれていた。しかし、秋採用は ①ソリューション ②デジタル ③グローバル という3ジャンルの特化人材ということで、英語もできないしエクセルもさわれなかったので、ソリューションかなぁとか思っていたが、どう考えても東大生や海外大学生に勝てる見込み無さそうだよなぁと思い、一発逆転にかけて「③グローバル」で応募した。(ちなみにTOEICは300点でした・・・)

世界中どこにいても、人間の本質は変わらない。

当然グローバルで応募したので、英語の話になるわけですが、開口一番「英語は全く話せません!」と返すもので、面接官も「なんでグローバルなの?」って聞いてきた。そこで、この1年コピーを学んでわかったことを素直に伝えた。それは、

犬を見れば可愛いと思うし、花を見ればきれいだと思う。別れは悲しいし、みんな涙する。そういう人間の本質は言語に関係なく、同じである。

ということ。

「だから私は、グローバルなコピーライターとして、世界中の人を感動させます。」と伝えた。結果的には、海外大学の学生に混じってTOEIC300点の早稲田卒の世間知らずを採用いただいた。

電通の人事としても、こういうイロモノ?のようなネタ学生を採用するのかどうかは、悩みどころだっただろうなぁと思うし、よく採用したなと思う。懐が深すぎて、器が大きすぎる会社だと、今もとても感謝している。

あまりに濃すぎた13年。

「東京、大阪、名古屋、どこの勤務地でもいいから、コピーライターにしてください」と面接の時から言い続けた甲斐あって、念願のクリエイティブ局に配属されたが、そこからは意図せず、マーケティング→営業→デジタル→メディアプランニング→コミュニケーションプランニングと、コーポレート部門以外はほぼ経験させていただくという、1人電通的なレアキャリアを歩ませてもらった。結果的にはおかげさまで言葉を軸足にしながら、幅広い知識と経験を得ることができ、他の人にはない強みになったと思っている。

それでも「生み出せる人」にこだわりたかった。

色んな部署で忙しくさせていただいた一方で、やはりクリエイティブという何かを生み出すときのアドレナリンに敵うものはなく、晩年は転局試験を毎年受けていた。筆記は一度も落ちなかったが、毎年面接でうまく思いが伝わらず、言葉だけで勝負するのも厳しそうだなという思いもあり、尊敬する電通のOBであるさとなおさんのおっしゃっていた、希少価値のある人材になるためには、得意分野の掛け合わせであるということを信じて、何を掛け合わせるかずっと考えていた。そして、電通を見回しても、コピー×マーケはゴロゴロいたし、コピー×営業もそこそこいたし、コピー×デジタルは増えていたということもあり、コピー×プログラミング×起業の掛け合わせをしようとエンジニアと起業の学校であるG's ACADEMYに通い始めた。そこらへんの話はこちらの記事に。コロナという自分と向き合う機会も自分にとって大きかった。

通いながら、事業を作ることはどんどん夢物語ではなく、すぐそこにある、手触り感のある目標になった。そして、起業とは事業を生み出すという、とてもクリエイティブなことだと気づいた。

子どもが生まれて、覚悟ができた。

「子どもが生まれたら、普通電通辞めないだろ」ってたくさん言われたのだけど、自分が一番ワクワクしている親の姿を子どもに見せることが、1番の教育だと考えていたので、むしろより自分のやりたいことに振り切る覚悟ができた。自分勝手な決断だと言われればその通りなのだけれど、今やらないと一生やらないと思い、決断した。なんだかんだで応援してくれている妻には本当に感謝しているし、頭が上がらない。ありがとうございます。

なぜいま、飲食なのか。

事業を作るにあたり、実家の飲食店経営での原体験や、自分のバイトや普段の生活でも大好きな、飲食グルメサービスに取り組むことにした。このコロナの時代になぜ飲食なのか。もっと流行りのSaaSやWeb3.0といった方向がいいのではないか?とか色んな人に言われた。でも私は、この下火と言われている飲食業界を、もう一度盛り上げたいし、コロナで市場がリセットされた今こそ、新規プレーヤーの参入の大きなチャンスだと考えている。ゲームチェンジするなら、むしろ今しかない。そう考えている。Z世代向け×グルメ動画SNSという、歴史を見ればなかなか参入しないであろう分野だ。時間はかかるかもしれない。だけど、必ずやりきる。世界をよりよく変える。その覚悟はできている。ぜひ一度触ってみて欲しい。

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同時に、起業家に必要な言葉も磨く。

私自身が起業をして、たくさんの起業家に出会う中で、多くの起業家が、自分の事業の言語化や、ビジョンミッションの言語化に苦労していることに気づいた。自分自身もまだまだではあるが、ビジョンライターとして、起業家の言語化の伴走者にもなれればと考えている。起業して2ヶ月。さっそく母校ジーズアカデミーのたくさんのキャッチコピーを書かせていただいた。このnoteを読んで、頼んでいただけたようだ。本当にありがとうございます。

受託ではなく、言葉を通じてパートナーとなれる仕組みを思いつき、すでに数社のスタートアップと取り組みを始めている。今後は、事業と言葉を、お互い相乗効果で磨いていければと思う。ビジネスで、ちゃんと結果を出す。売り上げを立てる。言葉を磨いて、応援する人、応援してくれる仲間を増やす。

伝え方を変えれば、世界は変えられる。

このビジョンを、一生をかけて、必ず叶えます。

サボらないように、見ていてください。






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