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読書論(5):物語があなたの脳を操作する

最近、読んだ本の中で、読書好きにとっても非常に内容が刺激的で、人間の思考について再考させられた書籍があったので、読後録と考えたことを書いてみたいと思います。

ストーリーが世界を滅ぼす

副題が「物語があなたの脳を操作する」となっているワシントン&ジェファーソン大学英語学科特別研究員のジョナサン・ゴットシャル氏が書いた「ストーリーが世界を滅ぼす」は、いわゆる読書家だけでなく、ニュースやエンターテインメント、ソーシャルメディアの情報に常に晒され(Allways On)、ストーリー化・ドラマ化に快楽を感じてしまう現代人に対して、警鐘を鳴らす重要な思考書になると感じました。

物語が全人類を狂気に駆り立てている、という私の言葉が意味するのは、次のようなことだ。
私たちを狂わせ残酷にしているのはソーシャルメディアではなく、ソーシャルメディアが拡散する物語である。私たちを分断するのは政治ではなく、政治家たちが楔を打ち込むように語る物語だ。地球を破壊する過剰消費に私たちを駆り立てているのはマーケティングではなく、マーケッターが紡ぎ出す「これさえあれば幸せになれる」というファンタジーだ。
私たちが互いを悪魔に仕立て上げるのは無知や悪意のせいではなく、善人が悪と戦う単純化された物語を倦むことなくしゃぶり続ける、生まれながらに誇大妄想的で勧善懲悪的なナラティブ心理のせいだ。

出版社(東洋経済)より

この本の前半で、「ストーリーテリングという闇の芸術」は2400年前に「国家」を記したプラトン自身が、物語は大規模に人間の行動に影響を与えコントロールする手段であり、国家から詩人(ストーリーテラー)の追放を望んでいたとしています。その後、プロパガンダによって多くの市民が暴君やナチスを信じてしまったのは周知の事実でしょう。

原始の狩猟社会から農耕社会に至って、集団を一つにまとめるために「神話」が必要とされ、その後「宗教」が生まれたことについても書かれています。物語に惹かれてしまうのは人間が持って生まれた性ということのようです。

キリスト教が布教に成功したのは第一に伝道宗教として福音(物語)を伝える聖なる義務があること(=チェーンレター:この手紙を6人に送らないとあなたは不幸になります)と第二最後の審判において天国より地獄の責め苦をリアリティを持って伝えたことにある。としているあたりの記述は少しぎょっとさせられます。

政治におけるストーリー

この本の第6章で、著者はアメリカ前大統領を「でかメガホン」と名付けて、彼に世界の支配者に近い地位を与えたのは「彼の空想家としての才能とナラティブ を操る不安定な特殊能力のおかげだった」 と評しています。
   
日本にいる私から見ても、あれだけ支離滅裂な言動をしても未だに保守層から根強く熱烈な支持者を獲得し続けているのは不思議だったのですが、米国にいる著者からしても、別陣営から見ると虚構や欺瞞に満ち足りているとしても、それだけ彼の語る政治的ストーリー正義の真実・物語として支持者の心に強く響いているからだと分析しています。

一方で、米国のアカデミアやジャーナリズムの世界では圧倒的にリベラル派が多く、保守派の意見に耳を傾けない、少し行き過ぎた主張でも異論を寄せ付けない雰囲気(=自らの物語・正義を信じている)があり、それが両者の分断に拍車をかけていることも忘れずに指摘しています。

また、フランシス・フクヤマ氏「歴史の終わり」の中で
「21世紀はリベラル民主主義が世界中で栄える一方で、君主制、
 共産主義、ファシズム、その種類を問わず、 独裁制は急速に絶滅
 
していくと記したが、この言説はいまの世界情勢を見ると、
 時の試練に耐えなかった
と、その理由についても一節を割いて書かれています。

フクヤマの支持者のほぼ全員が、民主主義のほうが道徳的にも実践上も
ライバルより優れている
、とあらかじめ信じていた。
チャーチルの有名な皮肉の通りだ。「民主主義が完全無欠だとか全能だと
いうふりをしている者は誰もいない。民主主義は最悪の政府形態だが、
これまでに試されてきた他のどれよりもましなだけ
だ 」

本書 第6章より

この辺の話は現在、ポスト資本主義とともに民主主義のあり方が模索されている話にも通じるものがあるでしょう。


ビジネスにおけるストーリー

さて、ビジネスの世界においても、戦略をストーリー性を持って考える・立案する・伝えていく重要性は楠木健教授のベストセラー「ストーリーとしての競争戦略」の中でも明確に提言されています。

この著書では「成功物語」としてのお話の重要性ではなく、戦略的一貫性、キラーパスとなる繋がり(ストーリー)の重要性について書かれているのですが、

市場や社員との対話を重要視するようになると、どうも戦略的一貫性や組織開発におけるコングルエンス・モデルなど戦略・戦術の整合性よりも、
マーケティング的な視点から、わかりやすく共感を呼ぶ「物語性」だけが
重要視されているような気がしてなりません。

近年ではストーリーから、さらに一歩進んで「ナラティブ・マーケティング」といった手法が提案されています。

ナラティブマーケティングとは、顧客自身が主人公となる物語を企業側がその物語に参加・体験させていくマーケティング戦略

CrossMedia Marketing Blog より
https://book.cm-marketing.jp/blog/marketing/narrative/

企業の持つ製品やサービスを企業側の物語(ストーリー)からいかに自分の物語(ナラティブ)、私が一緒に作ってきて愛している製品・サービスにしていくかの手法のようですが、これなどは映画を見ていて、ヒーロー・ヒロインの活躍を自分に起こった出来事のように感じてしまう効果に近いものがあるかもしれません。

ただし、この手法も一歩間違えば、冒頭、出版社からの書籍紹介の中にあったマーケッターの術数にハマることになるかもしれません。

地球を破壊する過剰消費に私たちを駆り立てているのはマーケティングではなく、マーケッターが紡ぎ出す「これさえあれば幸せになれる」というファンタジーだ。

出版社より

事実を見極める

本書「ストーリーが世界を滅ぼす」では一貫して、「ストーリーで世界を変えるにはどうしたらいいか」という問いかけをやめ、
「ストーリーから世界を救うにはどうしたらいいか」について問うています。

まさに、事実と物語は混ぜな危険! しっかりとしたエビデンスから事実をとらえていくべきだとすれば、まさにFACTFULNESSに書かれていたようにデータから世界や事象を正しく見ていく姿勢がこれからは必要なんだと思います。

ただし、データ活用・エビデンスについても、著者は「私たちはナラティブの鋳型をそのナラティブが真であると証明するエビデンスの捏造に使う」と著しています。注意して見ていかないとデータも嘘をつくのです。

国家や企業が成長する・生き残るのは勧善懲悪や失敗から学んで成長するといった我々が好き好んで聞きたがる綺麗な物語だけが真実の姿ではないはずです。

昔から「上手い話には裏がある」ってよく言われていますしね。


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