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本を読んで思ったこと          「くもをさがす」西加奈子

『くもをさがす』を読み終えた

もちろん、がんは怖い。できるなら罹患したくなかった。でもできてしまったがんを最後まで恨むことはなかった。私の体の中で、私が作ったがんだ。だから私は闘病、という言葉を使うのをやめていた。「病気をやっつける」という言い方もしなかった。これはあくまでも治療だ。闘いではない。たまたま生まれて、生きようとしているがんが、私の右胸にある。それが事実で、それだけだ。

本文中より


読書後の感想はすぐにでも書かなくちゃっていつも思うしメモ書きはするけど
今回は思ったことが多すぎて溢れすぎてどうやって書こうと思っているうちに数日経っちゃった

海外にいて帰国時しか本屋さんに行けないからか(あと紙の媒体が読みたいせいで)昔よりずいぶん読書量は減ったが、いまだ一語一語を味わい尽くすように読みたくなる本との出会いが多い
もともと活字中毒だったしね

前からずっと好きだった西加奈子が描いた(まさに描いたと言いたくなる心の描写の凄さ、いつもながら)彼女の乳がん闘病in Canadaでもあるこの本は
すごくすごく心に響いた
「くぅ〜っ」ってなった私なりに刺さったテーマは

  • 死と生 

  • 自分の内と外

  • 日本の内と外(自国と他国)カナダ&日本(私に当てるとインド&日本)

  • コロナ禍の日本への帰国

  • 光と闇 幸福と怖れ
      
    など、自分の経験と重なった部分も多かった


西加奈子の好きなところ

は、関西弁が可愛い
カナダで暮らしている時のカナダ人との会話なのに「」の中は関西弁
あー頭の中で響いてる言葉が関西弁なんだなぁと、クスッとさせられるし
頭の中で勝手に自分の言葉に変換しちゃうのは「あるある〜!」と思う
途中であれ?って思ったのは
本文中の会話で、ただの通りすがりの人は標準語、自分にとっての大事な人や関わり合いがある人の会話は関西弁なのが、またくぅ〜っときたポイント

助けを求めてもいい

日本人は「迷惑をかけない」という言葉が非常に好きだ
なので、自分が困ったときに助けを求めるのも下手だし、なんなら一切誰とも関わり合いを持たず生活していけるようにデザインされてる 特に東京

日本はサービスが世界でも類を見ず過剰に整っている
でも世界はそうじゃない
その時に自分を救うのは助けてって言えるかどうか 
助けてって言われた時にどう動くかもそう
私もそうだったけど、外国人に囲まれているときに出会う日本人とは深いところまで繋がったりする 同じ人に日本で初めて出会ってもそんな関係性が気づけるかな?って思うほど
繋がるのは、多分助け合いができているからだし、助けてもらわないと困るシチュエーションが日本にいる時より多いから 海外にいると日本人ってだけで安心するし信頼しちゃう(長年の海外生活でそうじゃないケースも多々見てきたけど)
この時に助け合いの法則として、できる時もできない時も自分の気持ちに正直に。
できるできない、したいしたくないを明確にする どうせ、自分の行動は良くも悪くも全部自分に返ってくるし
ここでの西加奈子も何回も何回も助けられたと言っている その一人一人に特筆して感謝する様は胸が熱くなる 

コロナ禍での日本への帰国

Covid−19で世界中が右往左往していた頃、
日本に帰国していく知り合いの話を聞きながらその時の状況があまりにも苦しそうだったので日本行きは戸惑ったけど、
それでもしばらく帰ってなかったし、認知症がすすんでいると聞いていた母親のことも心配だしと思い、少し日本への入国手続きが落ち着いて来ていた
2022年の夏に3年ぶりに帰った。
その頃インドでは熱が出ても誰もコロナだとは言わなくなっていたし、マスクをつける人も超少数派になっていた。たとえコロナになっても誰から移ったとかの原因追求は誰もしていなかった。
日本の厚生労働省から指定されたアプリに登録して申請OK(緑色)にするために指定された書き方と検査方法が記載された陰性証明を取る必要があった
陰性を証明するだけではダメだったらしい
 回答があってても考え方の説明が先生に教えられた通りでないと点数がもらえない日本の数学のテストみたいだ、と思った

日本についたら99、9%の人がマスクをしていて、毎日ニュースで罹患率を発表していてとても驚いた。
「恐れが充満している」
日本の空気に触れた時感じたことだった。
”迷惑をかけたくない”がover doだと恐れになるのか、、、。

そして実家に着いたら母はコロナのことは知らなかった(記憶から消した)
デイケアに行くためにつけるマスクの意味もわかっていなかった

東京で私は、子供たちが、街から歓迎されてないように感じた。
〜中略〜
人混みの中、子供を連れて歩くのは、ほとんど罰ゲームのようだった。
嫌だったのが、自分が本当に危ないと、申し訳ないと思って声を出す時ではなく、「母親として危ないと思っていますよ〜、ちゃんと注意していますよ〜、申し訳ないと思っていますよ〜。」という周囲へのアピールのために声を出している時だった。

本文より

本中での章「日本、私の自由は」で書いてあることは、子供が小さい頃日本に行くたびに私が感じていたことだった
この3年ぶりの帰国時では、すでに私の子供たちは大人になっていたので、このコロナ禍を小さい子供を連れて駆け抜けなければいけない母親でなくて本当に良かったと思った。
母親たちには心底賞賛の拍手と愛を込めたハグを送りたい。
 
大好きな日本が、いいところがたくさんある日本が少しギスギスしているところを見るのは本当に悲しい
世界に誇れる美しさ(物も心も)と、慈愛溢れるおおらかさは同じベクトルを向いて手を取り合えないものなのだろうか。

生きることと死ぬこと

本書「くもをさがす」には、全文を通して生きることの喜び、切なさ、命への正直な渇望、人間の心を揺さぶる葛藤が、西加奈子らしい可愛さと清々しさで正直に綴られている。いつも作品を読むたびにスッキリするのは、エッセーでも小説でも、「あなたはそのままでいいんだよ」って言ってもらえてる気がするからなのかもしれない
人は病気になったり、怪我をしたり、心がどん底に落ちるような経験でもしないと、大切な何かに気づけないのかと、大事が起こるたびに愕然とする
大事な人を何人亡くしても、自分が死ぬまでは毎回毎回新しい気づきや学びをし続けるのか。。いつまで経っても賢くならないと嘆くよりは、そういうもんだと覚悟を決めて、腑に落として大きな力に委ねていくしかないのかもしれない
目の前のことを必死でやっつけながら

死に方

本を読みながら、自分の未来や、周りの人の人生に思いを馳せていた。
最近、お年頃になってきて
ずいぶんと、健康や介護や自分の死に方、なんかでごちゃごちゃと考えることが多い、特に介護については。
実家の父親は10年以上前に亡くなっていて、
母親は3年前から認知症が出始め今年には要介護度3の認定 たくさんの周りの人の事や自分の歩んできた歴史を忘れる(私のことも)。私はゆっくりゆっくりその寂しさを「自分のことは覚えておいてほしいという私のエゴ」だと咀嚼して過ごしている。 彼女が今この瞬間幸せならそれでいいと。
でもでもやっぱり「思い出してくれないかなぁ、またたくさん色々なことをお喋りしたいよ」って思ってるよ、お母さん。。。

義理の姉の母親は2年半の植物状態で寝たきりだったのがつい数ヶ月前安らかに旅立った(安らかにと信じたくなるくらい彼女の顔は穏やかで美しかった。)

同居中の義理の父は去年7月4日にルーティンである田舎道での散歩中に倒れそのまま意識不明 3週間のICUでも治療ののち意識がないまま医者から「もう手を尽くした、あとは投薬以外やることがない。92歳の体では回復の見込みは神のみぞ知るだろう」と退院 その後医療先進都市グルグラムの義理兄の家で自宅介護(24時間体制の住み込み看護士と一緒に)、去年のディワリに空気が良くて彼が終の住処にと気に入って暮らしていたこの田舎に移動 いまだに意識はない
義父は、周知の健康オタクだった 一日2食、朝は軽いヨガと30分ごとに区切ったスケジュールで体にいい自然の食べ物(ナッツや薬草)を少しづつ摂り、新聞もニュースも毎日読み、ネットニュースや世界の出来事にも気を配っていた。もともとpanctual(時間厳守・時間だけじゃなく全てのことに対してThe Determined)で、きっちりかっちりしていて、私が嫁いでからはお互い生まれるところを間違えたねと笑い合っていた(義父は日本人、私はインド人だったはずという意味で)

生粋のビジネスマンで常に頭のことは新しいビジネスのことを考え、誰もがボトルに入った水を買って飲むことなど想像だにしなかった頃から、
飲料水や、学校、医療 はインドの巨大ビジネスになっていくだろうと予測し、
90年代には輸出入規制が厳しかったインドにとっとと見切りをつけfree trade zoneを整えて外国人投資家を誘致していたスリランカで再起業。80歳で一人でバックパックを背負いEuro Rail Passはシニア割引があると、チケットやホテルなど全て自分で手配しヨーロッパ鉄道旅行に出かけた。その後も息子が買ったこのウットラカンド州の田舎を終の住処とするべく85歳で3階建ての家を建築(この時ばかりは周りのインド人からも80歳を超えて家を建てる人なんていないと反対されていた笑)そんな彼の目標は100歳を超えてもなお現役医師だった日野原重明先生だった
お散歩中に倒れた7月4日のその日までパソコンを開いて仕事のEメールをチェックし2ヶ月に一回はグルがオンに出向き血液検査を初めメディカルチェックアップを欠かさなかった

生きるということは、最後の息を引き取るまで何一つ自分で決められないもの。生まれた時から決められている今世でのカルマが終わらない限り、人はどんな形を持ってしてもこの体を手放すことはできないのだ、と
本当にここ最近よく思う
よりよく生きようというのは、よりよく死のうと同じで
生きることにも死ぬことにも何も意味はなく、ただただこの世に、自分の母親のお腹を目指して私の潜在意識である魂が飛び込んで、ほんの少しでも前よりはこの魂をよく磨けるように、体を持ってしか体験できない人間の面倒臭い感情ドラマを通して、それを味わう喜びだけを望んで生きているんだろう

目上の人を大事にするというのは、電車で席を譲る事ではなく
この目の前の自分より先に人生を歩いてきた人の話を聞き、どんな学びを私たちに伝えようとしていて、そこからどうやって私たちがこの先を歩きやすくしていけるかを自分に落とし込む事だと思う

自分は何を伝えていけるのだろう





写真の大きな木は、
義父が85歳の時に家を作ったときに庭を整えるために種苗園から買ってきた
Terminalia Metallica plant「ターミナリア(モモタマナ)科の50種類以上ある木の内の一種」という、枝を何層にも大きく横に伸ばす美しい木です
陽の光が欲しい3ヶ月間の冬の間だけ葉を落として、残りの暑くて日陰が欲しい9ヶ月は青々としているうちのファームステイでのアイコンのような木
そういうの日本でなんていったっけ?

。。あ、マスコットだ。名物?違った?
ま、いいや。
お義父さん、心の目で見てるかな?あれからもうすぐ1年だけど、また随分枝が伸びましたよ。











サポートありがとうございます!!私が住む農村での女性支援活動や、子供達への教育、有機農業推進などできたらいいなぁ❤️