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「いる」「いらない」からうまれたもの

いいお天気のある秋の日
ひとり、八ヶ岳へ行ってきました。

11月に予定している企画のために本やスマホの画面を眺めていたのですが
それだけでは直感が働かず…直接行って感じて決めよう!と思ったのがきっかけでした。

のんびりと峠を越えて太陽の光と
少し冷たい風を感じ
いろんな所を回って感じたこと。

同じ場所でも自分の中ですっ。と入れるもの、違和感を感じたものと分けられていく感覚が現れていく…

これって何だろう?
何が心地良いの?
何が心地悪いの?
そんな事を私の中の誰かに聞きながら
うろうろしていた。

そのうちに「ああ、分かった!なるほどね。」と見えてくると

いらないものは他の誰かがそれはいる!といっても私には必要ないし本当にいらないもの。

他の人にとっているものならいる。それは正解。
でも私には正解ではない。
何が正解かは人それぞれ。

そうやって違和感の向こうにある意味も見えてくると
すんなりと認めて手放せていく自分が見えてくる。

私にとって心地良く感じたものを集めていくと自分だけのワールドが出来てくる。

外からの同調圧力だったり
「それが当たり前」の投げかけの言葉だったり、社会の常識だったり

その中で過ごしていくと口では「そうですね」と濁して返したりしながらも
どこかもやもや…まあいっか…の繰り返しになりがち。

いつしか返しの言葉を「そうなんだ」
「そうなんですね。(あなたはそう思うのですね。)」
に変えてから重たいものが出てくることはなくなった。
相手によっては「えっ?」という顔をされる方もいる。
ただそう言いたかった。だけの方もいる。
でも気にならない。
それは自分の事を大切に信用してるからだと思う。

おうちの中でも好きな目に見える物から場所の空気などなど「いる」「いらない」の選別はできる。

そして少し遠くにでかけてごはんを頂く場所、商いをしているお店に出かけてみると
もっとはっきり自分に合う合わないを実感できる。
それをなぜそう感じたか
自分に聞いてみる。
分かるともっと自分を大切にできる。

そんな大きな気付きをもらった貴重な一日でした。

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