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【連載小説】母娘愛 (7)

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 裕子は自席へ向かいながら、オフィスのどこからともなく視線を感じていた。「おはようございます」という、スタッフたちのすれ違う様子が、明らかにおかしい。
 確かに服装は、少しラフ過ぎるかも知れないが、職業柄まだ許される範囲だし。もちろん、銀の鈴で福田と会うために、目印にした赤いベレー帽など被っていない。さりげなく、胸元のダイヤを押さえてみる裕子だったが。
 その真相は、裕子自身の気持ちの変化で、いつもの風景を微妙に違うように感じていただけなのだ。人の視覚は、けっして眼で見ているのではない。脳で見ているからだろう。
 要するに、裕子は昨日までの彼女とは、明らかに違っている。
 福田の巧みなテクニックとリードが、眠っていた裕子のオンナを目覚めさせたのだ。いつもより濃いめのブラックコーヒーを、味わいながら仕事モードに入る裕子であった。
「チーフ!おはようございます!あの企画書?どうでしょう?」午後からの企画会議資料のまとまり具合を気にして、サブチーフの松田香織が近寄ってきた。香織の視線が、裕子のダイヤのネックレスに、及んでいるのが明らかだ。
「そうね!ほぼ、あれでOKだと思うけど・・・」裕子は、大げさに胸元を前に出しながら、誇らしく鼓舞する自分のヤンチャさに、心で苦笑しながら、ささやかな優越感で遊んでみる。
『いよいよ!独身貴族を卒業しま~す!』裕子はフロアー全体の人たちに、大声で、そう報告したい気持ちを、堪えるのに苦労するのだった。

 佐伯裕子は、株式会社ワールドトラベルの企画部を、チーフとして50数名のスタッフを束ねている。ワールドトラベルは、独自のポータルサイトを展開し、さまざまな旅行プランを、斡旋する旅行会社だ。 
 その旅行ガイドは、旅に詳しい専門家によるおすすめ記事をメインに、現地在住者や、その土地の専門家による、実際に足を運んで制作された記事が、ウリの人気サイトである。
 似通ったサイトの中でも、当企画部がさらに厳選した、まとめ記事が旅行愛好家から根強い支持を得ており、特に最近PVを急激に伸ばしている。
 それは、裕子の功績が大きいことを、社内外の誰もが認めていることだ。裕子の企画が、ことごとくヒットしてきたからだが、しかし、奇しくもコロナの影響をモロに受けてしまった。
 ところが、ここに来て、旅行業界も動きが出はじめている。好機到来として、あたらしい風を取り入れようと、新企画を立案中なのだ。
 ありふれた旅行プランから脱却した、旅の通な人をも唸らせる企画が望まれるところだ。落ち込んだ売り上げを、V字回復させるために裕子の経験や、実績は不可欠なのである。
 そのために、各々の担当スタッフたちが、それぞれリモートワークで進めてきた細目を、本日、午後一に最終企画としてまとめ上げる、企画会議が幹部だけで持たれる予定だ。 


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