【連載小説】母娘愛 (16)
広島市中区にある流川。
居酒屋・バー・クラブ・キャバクラ、ゲイバーなどの飲食店や、遊興施設などが建ち並ぶ、広島市最大の歓楽街である。
福田誠の所属する花輪興業は、その表通りから三本入った角から、二軒目の古びた雑居ビルの地下にある。そこは会社と呼ぶには憚れる。アジトと呼ぶ方が相応しい雑然とした空間である。
元スナックだった雰囲気が色濃く残る。カウンターに長足スツール。壁一面が煉瓦造りである。
そのスタッフルームから、現れたボス・八代元(66)は、入口のドア前で緊張して立っている紳士に、顎で指し示しながら呼びかける。
「あんたかい?山岡さんっていう新人さんは」
「あッ!ハイ」山岡大輔(48)は強張った上半身を、気持ち前屈みになって、ぎこちなくボスの方を向き直して応えた。中途半端な挨拶にボスの眼光は山岡を容赦なく射ぬく。
八代元は、通称ハチゲンと呼ばれ、業界では一目置かれる一人である。
八代元は器用に無言のまま、顎を左に振って、山岡を奥の長椅子へ誘導した。山岡が腰をかけると、その長椅子は年老いた猫が鳴いたかのような音をたてて軋んだ。「あんた、ウチ娘のちょっとした知り合いだってか?」向かいのスツールのボスの問いかけに、山岡は顔を縦にゆっくりと上下に振って応える。
「げにウチの娘とは、どういう関係なんじゃ」ボスは質問しながら、右手の握り拳で唇を押さえる山岡を観て、それ以上深入りしなかった。
「この業界は長いんかいのォ~」
「二年半ぐらいになります」
「ところで、本業は何しとるんじゃ」
「舞台監督でして・・・」
山岡の場違いな返答にハチゲンは、驚きを顔全体で現した。
「舞台監督やっちょるって?劇団でも持っとるんか?」
「一応はそういうことです。貧乏小屋ですが・・・」
「ほうじゃのう、ほいで白羽の矢が立ったちゅうことか。あんたに・・・」
「佐伯母娘のことはマスターしとるんかいの」
「クラウドにある情報ファイルで、だいたいは・・・」
「マコトのヤツ!しくじって、面が割れてしもうたんよ!・・・手が出せんけぇの・・・」
「そう聞いとります」
「バアさんに飽きてか、スケベ心で娘に手を出したのが失敗じゃった。学士さんはヤツには手強いけぇ!大方尻尾を掴まれそうになったわい・・・」「ほうじゃったんですってね・・・」山岡には、ほぼ完ぺきに佐伯母娘の情報が伝わっているようだ。
「噂だと、数十憶って言われとるんじゃ」ボスは山岡を顔色を窺いながら、「資産がだよ!あの母娘の・・・ちょっと大袈裟じゃと思うけど、まあ!五、六億は下らんじゃろうの・・・」と念を押すように付け加えた。「はい!もちろんお聞きしとります」山岡は、改めて上客であることに生唾を飲み込み背筋が伸びる。
「まだまだ絞れる母娘じゃけ大事に攻めにゃいけん」
「・・・」山岡は膝の上で、自然と両手の拳を固める。
「あのバアさん、資産のことは、娘には内緒しとるけぇ、気まぐれでどっかに、寄付でもされちゃあ、いけんけぇ・・・」ハチゲンは言い終わると、意味ありげに薄笑いを浮かべた。
「初めに言うとくけど!ちょろまかしたらいけんよ!100でも200でも!ポッポナイナイすりゃ!あんた!命の保障ができんけぇの・・・」ボスの鋭い眼光が山岡を振るいあがらせる。「・・・」「まあ!あんたは、特別じゃけ安心しとるんじゃ!じゃけど魔が差すゆうこともあるけぇ」「・・・」
「セコイ奴が何人か消されとるけぇの!」と、言いながら右手で素早く咽の辺りの空を切り、「シュッ」と、切り裂く仕草をするボス。山岡の顔面から、血の気がひいて蒼白くくすんだ。「たいがいにせぇや!クスネルと不思議とちゃんとわかるんじゃけぇの!ワシらには。ええの」ボスの声は迫力を増して、煉瓦造りの壁に跳ね返って、山岡の腹の底にズシリと収まった。
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