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【勝手に人生相談 No.462】88歳 終活の教科書は ( 東京都・80代男性)


▼ご相談内容▼

88歳の会社役員男性。妻と暮らしています。

2人とも高齢なので、多少の持病はありますが、それなりに元気に生活しています。

安全に気をつけて、自転車にも乗っています。

今後についての相談です。人生の終末に向かけた「終活の教科書」はないでしょうか。高齢を理由にした「年賀状じまい」については、先輩の文例を手本にして、年賀状をやまることができました。

趣味で集めた品々も、息子に、「残されると粗大ごみになるから」と言われたのを機に、自分でほとんど処分しました。

困っているのが、趣味の会合や、職場などの同期の会合のやめ方です。教科書のようなものがないので、義理を欠くことになりますが、予告することもなく自然に退散していくしかないのだろうかと思っています。

どのようにしていくのがよいでしょうか。

東京都・80代男性

▼やまのぼ回答▼

 とても、生真面目な方だとお見受けします。ところが、窮屈過ぎる人生だったのだろうともお察しします。

 これはこうあるべきで、あれはこうでなくてはならないと、世間の流れに抗うあらがうこともなく、を押さえ粛々と80数年間を生きて来られたのだと思います。

 人生は多くの人に誤解されがちですが、世間体というめんどくさい習俗を無視できれば、誰もが思うように生きればいいのです。もちろん、法治国家ですので、社会人としての最低限度の制約はありますが。

 生あるものは、やがて死を迎えます。この世で絶対と言い切れるのは、誰もが死ぬということぐらいです。

 それは、年齢順でもありません。明日の命は誰にも予想できないのです。そんな不確かな将来に、几帳面に対応する意義などありません。むしろ、そんなことをすること自体、周りの人に不快感を与えるしかありません。

 最近では、生前葬など行う人もおられますが、私は決して賛成できません。とても、典型的なナルシストだと軽蔑すらしています。芸能人や著名人なら、それなりに意義があるのかもしれませんが。

 そんな、暇があれば一刻でも、楽しい趣味に生きるべきだと思います。

 最近、後期高齢者の私は、冥途の土産と言う言葉が大好きになりました。新たに経験する喜びや嬉しさは、冥途の土産だと思うようにしています。

 もちろん、こうしてnoteに「勝手に人生相談」を書き続け、デジタルエンディングノートとして、生きた証を残すせるのも、ある意味冥途の土産だと思っております。

 趣味の会合や、職場などの同期の会合のやめ方など、考える暇があるのなら、いっときでも楽しいひと時を送りたいものです。それこそ、いい冥途の土産です。

 亡くなられたあなたを、不義理だ!などと、誰にも責める資格などないのです。お互い様なのですから。

 

▼次回のご相談予告▼

 次回の【勝手に人生相談 No.463】広島県・50代女性のご相談です。「男性横取りされ 恨んで30年」を、予定しております。

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